「ディスタンス」
高校のクラスの机が隣り同士で端的にいうと私は静かめな人とよく言われるタイプであなたは真逆なうるさい人でした。
最初は若干、隣りが騒がしくて思わず睨んでいた事があって、
「こえー」
とかあなたの友達が口走ると、
「いや、もう少し声落とそうか」
と冷静な顔をするあなたに(へー、意外)と思っていました。
春の季節の帰り道にただただ満開の桜を眺めて美しさに浸っていた時に、
「はい」
「え?」
通り過ぎていく見慣れた顔がははっと笑いながら、手に何かを押しつけていく姿に、戸惑ってしまいました。
手を開いて見ると、ひと粒の苺の飴がありました。
「いつもわりー、ごめん」
と片手を斜めに額に近づけて謝る姿に、(意外と見てるんじゃない)と思い、
「別に怒ってないから」
「えー?」
聞こえてないあなたの姿に私は誤魔化すように手を振って、
「また、明日ね」
「おう」
そんなやり取りと苺の飴の甘酸っぱさが大切な記憶になりました。
数年後ーーーーーーーー
「ソーシャルディスタンスを守りましょう」
とどこからか流れてくるアナウンスに辟易としながら、鈍色の空の下、閑散とした街を足早に歩いていく。
スマホにはあなたのことが書かれてありました。
亡くなったんだって。
(嘘、まさか)
だって、だって、
「また、同じクラスだな、よろしく」
「また? 腐れ縁ていうのかな?」
「まあ、いいじゃん。顔見知りがいると落ち着くんだわ、人見知りなとこあるからさ」
「あなたが人見知りだったら、今、世界中の人見知りを敵に回したよ」
と軽口をたたき合って挨拶したときのあなたの笑顔がすぐに思い出せたのに、
ぽつぽつと涙がスマホを濡らしていくほど届かぬ思いがあったのだと今、気づいたの。
マスクを外して足を止めて、涙が溢れてどうやってもとめられなくて鈍色の空もあなたのことを悼んでいるように雨が降り出しコンクリートを濡らしていきました。
あなたは目を覚ましました。
それから私の顔を見て
「お前は誰だ」
と言いました。
あなたは記憶を失っていて、私のことも忘れていました。
「あなたの妻でございます」
「お前が!? 俺の許嫁はどこだ? 俺がお前のような醜女を選ぶはずがない」
この社会では美醜によって扱いが異なりますから、
美しい者は美しさを求め、
醜い者は嫌われて笑われ者になることもあるし、それを歌う舞台演劇だってあります。
そして、周囲の親族が口々に説明していました。
特にあなたの妹は、
「お兄様? いい機会でなくって? この際、離縁なさってもよろしいと思いますわ」
「もう、援助金を頂いて我が侯爵家は立て直しができたわ、それに醜女なんて我が侯爵家にはふさわしくないですもの」
とニッコリと社交界の華と称賛されている笑顔で言いました。
それを聞いて事実通り政略結婚で結ばれた私を見て、
「そういう事情があったのか、でないとまさか、俺がお前のような……」
「醜女を選ぶはずがない?」
喉が支えてしまったようなので続きを代弁させていただきました。
医師の方々があなたに今の状況を説明したことで目に見えてあなたは落ち着いていきました。
「ゴホン」
失礼なことを言った自覚があるのでしょう。
目を閉じて咳払いして誤魔化すのはあなたの悪い癖です。
そして目をそろりと開けて、
「行くあてはあるのか? 確かに君との関係は考え直すかもしれないけど、すぐに追い出したりはしないから、しばらくは屋敷にいて良い」
その無駄に優しい心遣いが以前のあなたと変わっていなくてじんわりと温かくなる。目元も熱くなるので、下を向いて
「気を遣ってくださってありがとうございます」
と見られないように言いました。
二人の思い出があるお屋敷のテラスに私はいました。
沈む夕日がキラキラと反射しているのを見て過去が蘇ってきて、胸が締めつけられました。
正直言ってお屋敷に居るのがこんなに辛いと思いませんでした。
侍女が気を遣ってくれて先程から心配そうに紅茶をいれてくれました。
私は椅子に座って外を眺めながら紅茶を飲んでもう三杯目になります。
「旦那様はすぐに良くなられますよ。奥さまのことを大切にされていました。仲睦まじいご様子をしっかりとこの目で見ていましたから」
侍女の優しさに苦しさが和らいできました。
「でも、もう退院されているのに屋敷には帰ってきてないわ」
最後の言葉が若干震えてしまったけど、私は恐れていました。
もう私たちの関係は終わってしまったのではないかと。
脆く儚い時間だったのではないかと。
自分の本心が分からなくなってきた、そんな寂しいことがありました。
表面的な付き合いしかしていなかったから……。
水晶玉で視ているフリをして、ち、人生相談かよと僕は内心思った。
雑多な喧騒が耳に入る市場通りで目の前の女性が縮こまりながらポツポツと語りだすのを神妙な顔して聴いていた。
「植物の研究をしているんです。王宮のガラス張りの温室に必要な材料をとりにいったら、わ、私の好きな人が、同僚なのですが、私のことを話していて、く、暗いとか、冴えないとか言ってて」
「そうなんだ」
「その時、鏡を布で磨き上げていたような好きな人の姿がガシャガシャと崩れました」
「へー」
「占い師さん、どうしたらいいのですか」
「へ!?」
こほん。
話の内容が大体掴めたので、うんうんと頷きながら僕は
「それはお辛いと思いますが、思いが深くなる前に気づけてよかったじゃないでしょうか」
「そうですか、私は今後も人を好きになることができるでしょうか」
眉を寄せながら、唇をわななかせた女性に特効薬をたった一つだけ、
「視えます、視えます。あなたが微笑んで、隣りにいる方が優しくあなたを包みこんでいるような寄り添いあっている姿です」
「え!」
もう輝き出した女性の表情に僕はホッとした。
占いは嘘も方便、人を助けるために使えと言っていた師匠の顔を思い浮かべながら、
これでいいんですかね?
と内心つぶやいた。
たった一つの希望があるとすれば、目で訴えてくる君の顔。
誇りもプライドも失くしたばかりの自分には少々眩しくて目を逸らす。
だからね、僕の鞘を抜いた刀身が反射して君の顔を照らす時、同じくして周りを素早く囲む敵に相対したこの瞬間、自分という憶病者は消え去った。
嫌な音が響いても、涙を浮かべてもじっと見ている君には血のりを見せたくないなと思いつつ、一人ずつ敵を倒していく。
刃こぼれした刀が最後の敵にかかる時、手が滑り涙か汗が一雫、伝って地面を濡らすその拍子に振りかざされた刀をなんとか身体を反らした姿勢で一撃を受け止める。
よろけそうになるけれど、受け身から攻め手へと身体をしなやかに素早く入れ替える。
その時に柳桜が風に乗って花びらを降らせた。
最後の一撃を敵に与えた時に、緩慢になった敵が倒れていく姿を目に焼き付ける。
自己欺瞞かもしれず、でも確かにどきどきした胸には罪悪感はあって、だから儀式のようなものだ。
目をあけてすぐに君を探し駆け寄って、無事を確認していたら君が手ぬぐいを持って汗を拭ってくれた。
ほっそりとした手が心なしか震えていた。
「すまない、これからも苦労をかけるだろう」
「いいんです、おらが選んだ道ですから」
気丈に背筋を伸ばす姿にこれからもどれほどの心労をかけるのかを考えるとズキリと先程とは別の意味で胸が痛む。
ここは江戸時代に迷い込んでしまった現代人の「僕」という青年が逞しく生き抜いていく世界のお話である。ーーーーー