『昔々、この惑星に住む者は星のカケラを沢山、集めておりました。
地面に落ちている星のカケラを拾っては大人も子供も老人も腕一杯に抱えて偉い人に持っていくのです。
偉い人々は濁った眼で横柄な言葉と態度で腕に抱えられた星のカケラを選別していきます。
そうしている内に皆、言葉を喪失して表情も無くひたすらに列をなして待っています。何の疑問も持たずに、待つようになるのです』
ーー紙のページを指で捲る音が段々と速くなる。
『彼らが持っている星のカケラは実は彼らの大事な感情に共鳴して多色に発光する性質がありました。また、それに目をつけた有力者がそれらを集めて変換器に入れて、光を惑星のエネルギー源として使用していました』
『しかし、ある時、一人の若者が星のカケラを⋯⋯』
最後までパラパラと流し読みをして、パタン、と僕は絵本を閉じた。
絵本の裏側には花火が描かれていて、それが目に飛び込んできたので心臓がドクンとした。
(時間つぶしのつもりだったけど⋯⋯)
夕方から夜に移ろいゆく時間に顔を窓に向けるともっと気持ちがざわざわとしてくるので目を背けた。
そう、今日だけは顔を背けたかった。
チカチカと光るスマホに新しいメッセージが届く。
スマホが大部屋の病室では通話禁止だった為、僕は松葉杖をついて、通話が可能なエリアに向かった。
「母さん、うん、大丈夫だよ。今日からリハビリが始まったんだ」
僕は抱えている気持ちとは裏腹な声で明るく言った。
「うん、それより父さんや兄貴は⋯⋯」と言いかけた。
ドンドンと、ひゅーっババンと振動が伝わってきた。
病室にいる人々も窓の向こうに見えてきた花火を見に廊下や談話室に来た。
わぁ!
一斉に明るく賑やかな雰囲気になる。
「ねぇ、花火のような音がするけど⋯⋯」
電話越しに母親がつぶやく。
「うん、今日は花火大会が近くであるってさっき受付の人が話してたよ」
僕は努めて明るい口調で早口に言った。そして、電話を終えた。
そうでもしないと心の淀んでいく叫びが口から衝いて出そうだ。
そして、部活のバスケットチームのメンバーの顔が蘇る。
試合が終わり、みんなの頬を伝って流れてくる塩っぱい味も、バスケットコートの床を力一杯腕で叩く、動かない足を抱えた自分の姿や、最後の大会で放心状態から慟哭へとじわじわ変わっていく先輩方の姿がつい昨日の事のようでズキズキと痛む。
大会のメンバーに選ばれて誇らしげだった自分とそんな僕に期待してくれた父親と兄貴の姿も一緒に胸をよぎる。
「なあ、試合終わったら今度みんなで花火見に行こうよ」
誰が言い出したのか、みんなで行こうといつの間にか決まっていた花火大会、そんなロッカールームでの他愛もない話が試合前の緊張をほぐしてくれた。
僕たちはとても落ち着いていたプレーをしていたのだが、それを攻略してきた相手チームの研究と分析の前では身動きが取れなくなり、そして敗北の重みは、綿々と続いてきた伝統あるバスケットボール部の歴史の1ページになったんだ。
「みんな花火大会に行ったのかな?」
独りごちるつぶやきは誰も知らないはずだった。
マナーモードのスマホが着信と共に揺れる。
「はい?」
「おーい、響」
「ひびき!」
「もしもし、響?」
「え?!」
「なんだー、良かった居るじゃん」
「先輩方? それに正史?」
「そうだよー」
「「そうだ」」
僕は声が震えそうになるのを堪えて、
「僕は試合のメンバーに入れてもらったのに、先輩方の大事な最後の大会の試合で不甲斐ないばかりに、怪我までして申し訳なくて⋯⋯ごめんなさい」
「なんだよ、辛気臭い声出して」
「お前のせいじゃないだろ」
先輩方に続けて
「そうだよー」
と正史がおどけたように言った。
「そんなことより花火見てるか?」
「こっちはみんな総出で見に来てるぞ」
先輩方がガヤガヤとした外の音を拾いながら、
「響! 来年のインターハイはお前たちに託すからな」
「⋯⋯」
とよく響き渡る声で朗々と宣言した。
そして、僕と同じスタメンだった正史の
「という先輩方の言葉をいただいたから、がんばろうな」
言葉がつかえていた気持ちを霧散させて
「ああ」
新しい目標と希望をくれた。
ひゅーっ、花火が夜空に花を開かせては散っていく。
炎色反応によって見える花火の色は僕達の先輩方が何代も何代も遡って抱いてきたそれぞれのチームの色と似ていると何となく思った。
空が橙色に染まる夕焼けを久しぶりに見たときの心の震えを私は忘れない。
その場所をやめたとき、暦では7月だった。
やめてしまったら、この先には何があるのだろうかと未来に対して不安しかなかった。
私の心細さを消して背中を押してくれたのは今までお世話になってきて出会って来た人々だった。
色々な人と出会ってきたが、皆、同じ悩みを抱えてきた人々は優しかった。
世間から見るときっと怖いと思われる存在だと知っていたが、他愛のない話をして、同じ体験を共有して、盛り上がるときはみんな笑顔になり、騒がしかった。
大切な居場所だった。
そこから、私は自分の船をそっと海に出した。
居場所がなくなった私は、新しい居場所を作り始めた。
その為、沢山の寄り道をして、その時々の居場所を見つけた。
そして、新しい出会いがあった。
「夢が同僚とご飯を食べに行くことだなんて、そんなの私がいつでも叶えてあげるわよ」
そう言ってくれて、一緒に食事に行ってくれた人の優しさを私は一生忘れない。
他者と分かり合えない孤独に苛まれ、苦しみ、もがいて生きてきても私のように不器用でも、生きることを諦めないでいたら隣に同じように悩んでいる人に出会い、ふと話している瞬間にお互いにぎこちない笑みが生まれるかもしれない。
空を見て一息ついて、秋にしては暑すぎる日々に辟易しながら、テーマの秋恋とはかけ離れたことを今思っている。
窓越しにしとしとと雨の粒が涙の跡のように濡らしていきましたが、しばらくすると雨がやみ、光が差し込んできました。
気づけばあなたの温もりばかり考えていた私は左手の薬指の指輪を見ていました。
寝ているあなたを見つめながら、
「ねえ、今日は何時に帰ってくるのかしら」
心のその問いがあなたの肩にのしかかるぐらいだったら、無言でいた方がよっぽど良いのです。
あなたの顔の輪郭を指でなぞって、長いまつ毛やシャープな顎を辿っていると、
「ここは良いのか?」
目を覚ましたあなたに手を掴まれてあなたの唇を触りました。
「え」
「欲求不満なのか」
「いいえ、別に」
咄嗟に素直ではない言葉が口をついて出てきました。
でもニヤリとしているあなたに、
「素直になってくれ、俺の奥さん」
と言われてぎゅっとされて、恥ずかしくなってしまいました。
そうして、あなたが浴室に行っている間にあなたの匂いが染みた寝間着を吸い込んでうっとりとしている私はきっとおかしいのでしょうね。
このことはテーブルに置いた花瓶の昼顔しか知りません。
「熱っ」
調理中、フライパンで指を火傷してしまい、流水で冷やしていました。
エプロンを着て朝ごはんを作っているところで、
「まだ、慣れないのか?」
「ええ、手際が悪くてごめんなさい」
あなたに微笑むと、
「別に良いんだ。きみのペースで」
と言いながら、傍に来て少し波打つ髪を一房、口元に持っていきました。
「顔が赤くて熱いぞ、大丈夫か」
「ダイジョウブです」
左手の指輪を見ているとまだまだ不思議な心持ちで、いっぱいになります。
本気の恋は一人では始められなくて、この広い世界で出会って恋をして指輪をしている自分の薬指は奇跡に恵まれたのでしょう。
ドクン
今、私に心臓の音が聞こえる。
平静を装っても、その人を見るだけで、ドクドクと音が血流が波打つように変わっていく。
その人が隣りにいる人に楽しそうに笑いかけるその瞬間に氷結していた私の心は溶けて、頰に熱が集まり、思わず下を向いてしまった。
足元の靴を見ていても胸の鼓動は止まらない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
親友の芽以ちゃんが廊下をパタパタと小走りに走ってきて教室の扉を開ける音がする。
「綾〜、教室にあったよ、忘れ物」
私は教室の端の窓から外を見ていたが親友が近づいてきても仲間とハイタッチをしている人物から目を離せずにいた。
「ねえ、忘れ物」
そんな事を言いながら、私の視線の先を追うようにすると親友はニヤリと表情を変えた。
「鈴木先輩かー、新入生の綾を助けてくれたんだよね」
改めて言われると、私の心臓の音がドクンと飛び跳ねる。
そう、私の視線の先にはグラウンドがあり陸上部の練習風景が広がっていた。
その中で目が離せずにいる人は一歳年上の陸上部のエースの鈴木翔先輩だった。
「芽以ちゃん、小声でお願いします」
私が親友に視線を移すと、
「綾ってポーカーフェイスだけど、付き合い長いと心の声がダダ漏れなんだよね、恥ずかしがっちゃって」
はあと大げさにため息をついた芽以ちゃんは、ニヤニヤをやめない。
「鈴木先輩を見るために放課後の空き教室を探して見てるなんて健気、うちの学校広いから良かったよね」
「うん、おかげで色々な角度から鈴木先輩が見れるから、それに基づいて今は観察してる」
私がそう呟くと親友の芽以ちゃんは表情を強張らせて、冷や汗を流している。
「綾、ストーカー気質なんじゃ」
視線を横に流しながら細い声で親友は小声で呟いたように感じた。
ーーーーーーー 一年前の帰り道 ーーーーーーーー
高校生になったばかりの頃の帰り道、桜の並木道を歩きながら、隣りにいる親友の芽以ちゃんに話しかける。
「芽以ちゃん、私ね一昨日お礼を言って、助けてくれた鈴木先輩に挨拶したの。でも、顔が見れないの。見ようとしても顔がこわばって」
私はぎゅっとする心臓に拳を当てていた。
「もしかしたら、病気かもしれない」
親友は何か言おうとしているが戸惑っているようにしていたが、意を決したように
「綾、えーと、初恋なの?」
私が首を傾げていると、
「恋、だから恋よ!」
親友の芽以ちゃんの声がだんだんと大きくなる。
「はあ、だめだこの子は」
親友はやれやれと首を振って、
「で、どんな症状なの」
と訊いてくれた。
「う、うん。あのね、鈴木先輩を見ていると胸がムズムズとして、ぎゅっとなって、鼓動が早くなるの。それに頰も熱が集まってきて、体温も高くなっていると思う」
眉を寄せながら話す私に、親友の芽以ちゃんは顔を輝かせながら、
「おめでとう! 綾、それは恋よ」
(こ、い)
なぜだかしっくり来るような気がする私はコクコクと頷いた。
ーーーーーーー 出会い ーーーーーーーーーー
春、桜の木を途方に暮れながら私は見上げていた。
「どうしたの?」
声をかけてくれた人がいて、恐る恐る私は振り返った。
その人は背が高く、顔も整っていて、爽やかな容姿が苦手そうなタイプだった。
きっとクラスの中心にいるのかなと咄嗟に思う。
「風に飛ばされてしまって届かないんです」
途方に暮れていたから思わず弱音が出てしまう。
「いけるかな?」
「え?」
と言った時には宙を舞っていた。
しなやかだが跳躍する姿が美しいと初めて男子に対して思った。
「はい」
と言って手渡してくれる手は同年齢より少し大人っぽく見えた。
「ありがとうございます」
「いいや、気にしないで。それより遅くなるよ、きみは」
「おーい、鈴木」
手を振る男子が急スピードで近づいてきて、鈴木と呼ばれた私を助けてくれた人の肩をガシッと掴む。
「お前、ノートある?」
とかなんとか言いながら話している。
苦笑しながら、
「じゃあ、またね」
と去っていく姿を見て、私はしばらく地面に根付いた足を動かせなかった。
「あの子は和真に似てないわね」
父方の祖母がため息を漏らす。
「は、はい」
それに対して母はほっそりとした姿で身を縮ませる。
「分かっているでしょうけど、私の家は代々と受け継がれてきた医者の家系なのですよ」
「はい」
「あの子ぐらいの歳には和真は折り紙でも積み木でもパズルでも誰よりも上手に出来ていたわ」
「はい」
「この折り紙の鶴一つ満足に折れないのは貴方の教育に問題があるからではないですか」
祖母の冷えた視線は母に刺々しく言葉は毒々しかった。
部屋の外で僕は腕に抱えていた絵本のイラストのように目を閉じて海の底に沈んでいき、丸い透明な泡に手を伸ばす。
「よさんか、芙美子。まだあんなに幼い子を決めつけるなんてやめなさい。それに由衣さんに失礼だ」
黙って新聞を読んでいた祖父が祖母をたしなめる。
「だって和真は外科医になったのに、孫のあの子はなんだか心配になるわ」
祖母は俯きながら答える。
小学校の家庭科では裁縫を習った。
あせくせと針でチクチクと縫っても一向に進まない僕は同じ班の子達の視線が怖く、結局いつも一番最後に仕上がるのだが出来栄えは酷かった。
ある日、部屋の隅っこに隠しておいたエプロンを学校から帰ってきたら母が見ていた。
カバンを置いて慌てて母の手からもぎ取ろうとした。
「ねえ、健人」
母が失望した顔をしているのか、悲しい顔をしているのか見れなくて、僕は目をぎゅっと閉じた。
「お母さんね、どんなに時間がかかってもね、あなたの最後までやり抜くところが大好きなの」
ぎゅっと閉じた目から温かくて塩っぱいものが頬を伝う。
「ででも、不器用だから上手くできないんだ」
僕の喉から絞り出る声がかすれて苦しかった。
「不器用でも一針一針、一生懸命に縫っているあなたの気持ちがちゃんと伝わってくるわ」
母の穏やかな声が心に渦巻いていた黒いモヤモヤに届く。
母から取り返そうと手で握りしめていたエプロンの布に僕の頬から溢れた涙の滲みができていく。
「お父さんのようにならなくても良いのよ、健人」
「でも、お祖母ちゃんが……お父さんのような外科医になれって」
ぎゅっと閉じていた目を少し開けてみる。
「健人、お母さんはね、大きくなったあなたがお父さんと同じ職業に就かなくても良いと思っているの。お父さんは立派だけど、お母さんは人を助けたり人を救うことはどんな職業であってもできると思っているわ」
「健人はどう思っているの?」
目を開けてみると、母の真っ直ぐな眼差しが海の底に届く一条の光だった。
「ぼ、僕は本が好きで、この前雑誌に載っていた人工知能の可能性に興味があるの。医療でもね、画像認識技術が発展すればがんの早期発見が高精度でできるようになるんだ」
「もしかして健人はお祖父ちゃんの事を覚えているの?」
「うん、5歳の時にお祖父ちゃんが、がんで亡くなったから僕はずっと考えていたの。お祖父ちゃんの事、好きだったから」
「そう」
母は目尻に涙をためて懐かしそうに微笑んだ。
------------------エピローグ--------------------------
不完全な僕、欠点だらけな僕はだめだとずっと思っていた。
でも、様々なことは捉え方次第で状況が大きく変わることもある。
大人になってから出会い、心理学を学んできた友人は認知療法を学び、世界が一変したと言っていた。
それぞれの人生において自分との対話、そして周囲との対話を諦めないでほしい。
転機となるきっかけはすぐ隣にあるかもしれないのだから。