答えは、まだ
クロと散歩に出る。
いつも行く公園。
同じ道。
クロは草の匂いを嗅ぎながら、一歩一歩、確かめるように進む。
私の中に、答えは、まだ、ない。
子どもの頃は、きっと答えがあると思っていた。
大人になれば、わかることばかりだと思っていた。
でも、大人になった今も、わからないことだらけ。
たとえば、この道が、どこに続いているのか。
どこへ向かっているのか。
いや、そういうことじゃなくて。
人生とか、そういう、漠然としたこと。
でも、そんな大げさなことじゃなくてもいい。
今日のごはんとか。
明日の予定とか。
そういう、些細なこと。
クロは、そんなこと、考えてないんだろうな。
ただ、今、この瞬間を生きている。
草の匂いを嗅いで、
土の感触を足で感じて、
風の音を聞いて。
「答えは、まだ」
そう呟いたら、クロが、こっちを向いて、
首をかしげた。
その目が、キラキラと光っている。
まるで、「それでいいんじゃない?」って言っているみたいに。
答えは、きっと、見つけるものじゃなくて、
感じていくものなんだろう。
クロと一緒に、こうして歩く日々が、
いつか、その答えになるのかもしれない。
そう思ったら、少しだけ、心が軽くなった。
歩きながら、クロの頭を撫でる。
今日も、明日も、
私たちは、答えを探す旅の途中。
でも、急ぐ必要はない。
ゆっくりで、いい。
それで、いい。
センチメンタル・ジャーニー
古い雑誌をめくる。
ぱらぱらと、乾いた音がする。
ふわりと、埃っぽい匂いがする。
この雑誌の発売日、どこにいて、何をしていたっけ。
そんなことを、ひとつひとつ思い出す。
記憶の中の私は、いつも髪が長くて、少し疲れた顔をしている。
それでも笑っている。
その笑顔は、なんだか切なくて、懐かしくて、まぶしい。
あの頃好きだった歌を、静かに聴く。
遠い昔の景色が、目の前に広がっていく。
変わらないものなんて、ひとつもない。
わかってはいるけれど、それでも、変わってほしくないものが、
たしかにあったような気がする。
淹れたてのコーヒーから、白い湯気が立ちのぼる。
その湯気越しに、窓の外をぼんやりと眺める。
雨上がりのアスファルトは、濡れて、黒く光っている。
空は、まだ少し灰色だ。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
それは、痛みじゃなくて、
でも、幸せでもなくて。
たぶん、ただの「きもち」。
名前のない、かたちのない「きもち」。
センチメンタル・ジャーニー。
終わりのない、私の旅。
もうすぐ、夜が来る。
そして、また、朝が来る。
そうして、また、旅は続く。
何も変わらない、それでいて、すべてが変わっていく。
それで、いいんだ。
たぶん。
空白
窓から空を眺める時間。
ぼんやりと、ただ、そこにある雲のかたちを追う。
何も考えない、何も生み出さない、そんな時間が好きだ。
空白は、ただ虚しいだけじゃない。
何かが始まる前の、静かな予感のようなもの。
新しい言葉が生まれる前の、ページの余白。
誰かの声を聞く前の、心の沈黙。
私たちは、いつも何かで埋めようとする。
スケジュール、仕事、誰かとの約束。
でも、本当に大切なことは、その埋められた隙間ではなく、
その間にある、何もない場所で、ひっそりと育つ。
空白は、自分に戻るための場所。
すべてを脱ぎ捨てて、ただ呼吸する。
そうすることで、本当の自分が見えてくる。
だから、もっと空白を大切にしようと思う。
大丈夫、そこにちゃんと、わたしはいる。
ひとりきり
朝、目が覚めると、あたりまえにひとりだ。
布団の中で少しだけまどろんで、
起き上がって、窓から光をとりこむ。
今日の天気は晴れ。
台所へ行き、コーヒー豆を挽く。
ゴリゴリと豆を砕く音は、
静かな部屋に、ささやかなBGMとなって響く。
お湯を沸かし、ゆっくりと注ぐ。
ふわっと膨らむ豆のふくらみに、
「ああ、いい香り」
と思わずつぶやき、ふふっと笑う。
淹れたてのコーヒーをカップに注ぎ、
窓辺に座る。
湯気は上へ上へと、
小さな雲になって消えていく。
なにも考えない。
ただ、ぼんやりと空を眺めて、
ひとりでコーヒーを飲む。
この時間は、
誰に気兼ねすることもなく、
自分自身に戻るための、
大切な儀式のようなものだ。
きっと、ひとりきりじゃなければ、
こんなふうに、
コーヒーを飲むこともなかっただろう。
ひとりきり、自分だけの、贅沢な時間。
フィルター
フィルターという言葉。
最初に浮かぶのは写真アプリだろうか。
空の色を変えたり、肌をすべすべにしたりする、
あれ。
でも、わたし達のまわりには、
もっとたくさんのフィルターがある。
たとえば、誰かを見る目。
あの人はこういう人だと、
勝手にフィルターをかけてしまう。
ほんとうは、ちがうかもしれないのに。
時間も、フィルターみたいだ。
子どもの頃の、夏休みの一日。
あのときは、
永遠に続くように感じていたのに。
いま、思い返すと、あっという間。
あの時間が持っていた、
特別な空気だけが、
キラキラと輝いて見える。
嫌な出来事も、いつかフィルターにかかる。
そのときは、もう二度とこんな思いはしたくない、
と、深く深く苦しいのに。
時間が経つと、
その苦しささえも、
意味のあることだったように思えてくる。
痛みが和らいで、
必要な経験だったのだと、
無理やり納得しようとするのかもしれない。
わたし達は、たくさんのフィルターをかけて、
毎日を生きている。
それが悪いことだとは思わない。
フィルターがあるからこそ、
見えるものがあるから。
でも、たまには、
そのフィルターを外して、
ありのままの世界を見てみたい。
空が、ただの空として、
あるがままの色で見える瞬間を、
大切にしたい。