8月31日、午後5時
去年の夏も、そうだった。
一昨年の夏も、きっと。
8月31日、午後5時。
太陽は、まだ、空にいて、
でも、その光は、夏のそれとは違って、少しやさしい。
熱いのは、日差しのせいじゃない。
胸の奥が、ぎゅっと、熱くなる。
それは、過ぎてしまった夏への、ほんの少しの、後悔と、
そして、もうすぐ始まる、新しい季節への、
漠然とした、不安と、
それから、ほんの少しの、期待。
夕焼けの色が、少しずつ、濃くなっていく。
空に、赤と紫と、そして、なんだか、うすい水色。
その色を、見つめていると、
なんだか、遠い昔の、
忘れていた記憶が、ふいに、よみがえってくる。
それは、特に、たいしたことのない、
ただ、風が、少しだけ、やさしかった、
そんな、夕方の、ひととき。
夏休みは、終わってしまった。
でも、わたしたちは、まだ、ここにいる。
この、なんでもない、
特別な、8月31日、午後5時。
この、なんでもない、
特別な、時間が、
いつか、遠い未来で、
大切な記憶になって、
わたしたちを、そっと、あたためてくれる。
そんな気が、する。
ふたり
ひとりぼっちでいると、ふいに、宇宙飛行士になったような気持ちになる。
無重力の空間に、ぽつんと浮かんでる。
まわりには何もない。ただ、静かな光が、遠くから差し込んでくるだけ。
その光は、とても綺麗で、でも、どこか寂しい。
そんな時に、ふたりでいることを思い出す。
同じ重力の中で、ちゃんと立って、ちゃんと歩いて。
隣にいるあなたの呼吸の音や、ふいに触れた指先の温もり。
当たり前だと思っていたことが、本当は、ものすごく特別なことだったんだと、
胸の奥がぎゅっとなる。
ふたりでいることは、もう、宇宙飛行士じゃない。
ちゃんと地球に降り立って、土を踏みしめている。
風の匂いを感じて、雨の音を聴いて、
同じ時間の中に、いっしょにいる。
そうか、私たちは、お互いの宇宙だったんだ。
あなたの重力があるから、私はここにいられる。
私の重力があるから、あなたはそこにいられる。
ふたりでひとつの、小さな惑星。
どこへ行くにも、いっしょだね。
ここにある
ここにあるのに、見えないものがたくさんある。
目に見えないからといって、ないわけではない。
たとえば、クロが、そっと足元に寄ってきて、その大きな体で私の足に寄りかかってくるとき。
そのとき感じるのは、体温だけじゃない。
穏やかな重みと、それから、ああ、ここにいてくれるんだ、という安心感。
その安心感は、目には見えない。
私たちは、どこかへ行こうとする。
もっと遠い場所、もっと違う自分を求めて。
でも、本当に大切なものは、案外、いつだって、ここにある。
クロが静かに呼吸をする音。
風に揺れるカーテンの向こう、街灯が灯る瞬間の、ほんの少しの輝き。
コーヒーを淹れるときに立ちのぼる、あたたかな湯気。
そういう、ちいさな、ちいさなことの中に、確かにある。
「大丈夫だよ」と、誰かが言ってくれた言葉。
心の中に、ずっと残っている。
それも、ここにある。
そして、その全てが、私を支えている。
目には見えないけれど、たしかに、ここにある。
素足のままで
素足でいるのが好きだ。
フローリングの冷たさや、絨毯のやわらかな感触が、足の裏から直接伝わってくる。
スリッパは足の間に一枚、無意味な境界線をつくる。
家の中にいるときは、世界を隔てる壁なんていらない。
足の裏で、全部感じていたい。
クロもいつも素足だ。
肉球で床を踏みしめている。
裸足のまま、世界の匂いを嗅いで、
裸足のまま、私の足元に丸まって眠る。
彼はきっと、
世界をそのまま感じることの、
美しさを知っているのだろう。
だから僕も、
できる限り裸足でいたいと思う。
できる限り、そのままの世界に触れていたい。
冷たい床も、温かい日差しも、
素足で感じるだけで、それは「いま」になる。
それは、クロが教えてくれた、とても単純な真実だ。
遠雷
遠くで雷が鳴っている。
もうすぐ来る雨の匂いが、窓から入ってくる。
私は、ただ静かにその音を聞いている。
何かを待っているようでもあり、
ただ、過ぎ去るのを眺めているだけでもあり。
クロは、ソファの上でお腹を出して眠っている。
耳をぴくりともさせず。
稲妻が光っても、気にもしない。
雷を怖がらない犬。
こんな大きな音に、心揺らがない。
その平穏さが、この部屋の、私の、
一番深いところに、届いてくる。
世界がどんなに騒がしくても、
たった一つの、ちいさな命が、
静かにそこにいる。
それだけで、遠い雷は、
ただの、夏が終わっていく音になる。