仕事の合間の昼休み。
「オマエは彼女とか好きな人とかいねえの?」
不意に、お前が訊いてきた。
俺個人のことをお前が尋ねてくるのは珍しい。
興味を示された喜びと、答えられない罪悪感、
そして予想外の問いへの戸惑いに、
返す言葉が見つからず沈黙でやり過ごす。
「……昔から、自分のこと話したがらないよな」
おれにも言いたくねえ?
ぽつりと淋しそうな声。
お前にだから言えないんだ。
長い時間をかけて紡いできたお前との絆を、
たった一言で失くしたくない。
「それならもう、聞かねえよ」
都合がいいはずなのに、なぜ苦しいんだろう。
誤魔化せるだけの器用さが欲しかった。
そうすればお前を傷つけなくて済んだのに。
顔を見ることも出来ないまま、
そうしてくれ、とだけやっと呟いた。
『たまにはちゃんと自炊しようと思う!』
土曜の午後にそんなLINEが来たから。
キッチン爆発しねえか不安で仕方ない、と
つい返信したのが全ての過ち。
『ほんそれ。おれも自信ない。手伝って』
すぐに来た返事は案の定。
本当は嬉しい癖に、俺は隠して家に向かう。
玄関のドアが開いて、覗いた顔に
わざとらしく溜め息を吐きながら、
応援物資だと言ってお前の好物を差し入れて。
「……結局、作ったのほぼ俺じゃねえか」
全部完成して初めて我に返る。
ずっとくっつかれていたせいで、
動揺を悟られないよう集中したのが敗因だ。
うん、へへっ、と当の本人は御満悦。
へへじゃねえ、お前もやれ。蹴りを入れると
「だってオマエが作るメシ美味いんだもん」
屈託のない笑顔と言葉に、何も言えなくなる。
今まで付き合った子達も料理上手かったけど
オマエの料理はなんか安心するんだよなぁ。
勢いよく頬張りながら、人の気も知らず言う。
胃袋を掴む、なんて言葉があったな。
これだけのことでお前を掴んでおけるのなら、
毎食だって喜んで引き受けるのに。
「気が向けばまた作ってやってもいいけどな」
自炊は慣れてるし嫌いじゃない。
言い訳を足せば、本当?やった!と破顔して、
ちゃんと材料費とか出すから、と言い残し、
お代わりをよそいに席を立つ想い人。
金なんかいらない。
食いたきゃいつでも何でも作ってやる。
そのかわりに、
お前が誰かに渡す愛のほんの一欠片でいい、
俺に分け与えて、くれたら。
お前に告白する夢を見た。
「好きだ」
本当に伝えられたらどんなにいいだろう。
伝えられる仲ならどんなに良かっただろう。
口にすればきっと全てが終わる言葉。
俺がお前を失うだけならまだいい。
口にすれば、幼馴染と悪友と親友とを
お前からも一度に奪ってしまう言葉。
代わりがきかない存在なのはお互い様だ。
だから言うのは、夢の中だけ。
すきだ
すきだ
大好きなお前に、心の中で叫ぶ。
いつだったか、サークルの飲み会で
したたかに酔ったお前が言った。
「オマエとなら付き合うのもアリかも」
上機嫌な酔っ払いの放った、
到底本気とは思えぬ軽口。
けれどあの言葉だけがずっと、
俺の中に息づくたったひとつの希望。
どこか遠い遠い街へ行ってしまおうか。
お前のいない、誰も知らない街へ。
そうしたら少しは楽になれるのだろうか。
……無理だろうな。
鳴り出すスマホ、
「置いてくなよ」と拗ねる声、
淋しげな表情。
全部、いとも簡単に想像できてしまう。
お前から与えられるものが
悲しみ苦しみだけだったなら、
俺は迷うことなく旅立てただろうに。
それより俺を満たすのは、
お前がくれる歓喜、悦楽、……幸福。
だから離れられない。
もしいつか本当にどうしようもなくなったら、
その時は遠くの街へ行って。
切り花のようにそっと、枯れる日を待つよ。