あと一歩だけ歩けば辿り着くそこに、僕は行けなかった。
チャンスを求めたのは僕なのに、無様なものだ。
でも、もう一歩だけ。もう一歩だけ、進ませて欲しかった。
君に、追い付きたかった。
#もう一歩だけ、 0825
遠くで雷の音がする。
きっと今日も俺は眠れないだろう。
小さい頃に雷で停電した日から、俺は雷が大の苦手だ。布団の中に篭もりながら、両耳をイヤホンで塞ぐ。
音楽を聴いて気を紛らわせているが、まだ少し雨と雷の音が耳に入る。
顔を顰めながらも音楽に集中しようと体制を整えると、雨と雷以外の音が聞こえてきた。
「── の、─ です ─」
…声?
俺は一人暮らしだった筈だ。人の声が聞こえるわけが無い。気のせいだと思っても聞こえてくるその声モドキに、俺は少し恐怖していた。
「あ ──、大 ─ 夫で──?」
耳をもう少し済ませてみる。
「あのー、大丈夫ですかー?」
本当に人の声だということに驚いた。
驚きのあまり思わず叫ぶ ──ということは無かったが、驚いたのには変わりない。
いつまでも声を上げない俺に痺れを切らしたのか、声の正体は布団を剥いできた。
目を見開き顔を顰めている俺を見て、吹き出した。
「すみません、驚かせて。私、元々この家の住人で…怖がってたので思わず出てきてしまいました。」
その女の話によると、女は昔この家に住んでいたが事故で亡くなり、暇になったので次ここに引っ越してきた俺を観察していたらしい。
「自分でも姿が現せるとは思いませんでしたけど…」
彼女は苦笑いしながらそう言った。その瞬間、俺はこの家が事故物件として紹介されていたことを思い出した。
「…そうですか」
「あの、良かったら子守唄でも唄いましょうか?」
「は?」
「あっいや、あの、他意は無いんです。ただ、眠れなさそうにしてたので…」
「……」
確かに俺だって雷のせいで眠れないなど御免だが、見知らぬ女性に子守のように眠らされるのも俺のプライドが許さない。
「あの…駄目ですかね…?」
女性経験の無い俺には断ることが出来なかった。
こうして、この女性と俺の妙な生活が始まった。
#遠雷 0823
「なんて素敵な世界だろうか。」
皆が自由に食事し
皆が自由に眠れて
皆が自由に勉強し
皆が自由に生きる
そんな世界ももう目前であろう。
彼はそう言った。
今ではSNSを通じて誰とでも話すことの出来る私たちの世界では、きっと今もどこかで口論が行われているだろう。
些細なことで言い争えるうちはまだ幸せなのかもしれない。
彼の生きるこの世界では、皆が優しく、平等で、仲違いのしない、何とも平和な世界への道が確実に出来上がっていっている。
そんな一見幸せそうな世界で、彼だけは異論を申し立てていた。
今私たちが生きているような暑い夏は存在しない。
排気ガスだって蔓延っていない。
海に空に空気、全てが透き通っている。
だが、何かが足りないのだ。
優しさだけでは学べないこともある。
完全に平等ではつまらない人生だってある。
仲違いする時もあるからこそもっと友情が深まることもある。
きっと、彼らはそんなことを一生知らずに人生を終えてしまうのだろう。
そんな心に響くようなことが何も無い世界を変える為に、彼は次元を跨いでこの世界にまでやってきたのだ。
地球温暖化、排気ガスなんていらない。そんなものが無くたって当たり前に生活は送れるだろう。だが、様々なものを作り出す為には、必然なのかもしれない。
彼は、真っ暗な中にある一筋の青い光を背中に、夜中へと歩き出して行った。
#Midnight Blue 0822
『明日、空から飛び立つ。
置いていくのは少し悲しいけどね、
でも君は僕の手を掴んで言ったんだ。
「待って、私も連れてって」
って。
僕は生きていて欲しかったよ。
僕の代わりに沢山生きて、僕を忘れて。
でも、僕は知っていたから。
残される苦しみを。
「…いいよ」
あっさりと答えた僕を見て、君は目を丸くしたね。
そんな君に最後のキスをして、君と最後の就寝を迎えた。
起きたらきっと君に飛び立つ勇気は無くなるだろうと願って。』
ここで手紙は終わっています。
#君と飛び立つ 0821
「あ...」
私の目に可愛らしいフォルムをした人形が映る。
その瞬間、私の心に何か既視感のようなものが浮かぶ。懐かしいような、何か切ないような...
「おかあさん!あれ!あれ欲しい!」
「えー?」
お母さんは困ったように笑うが、私は諦めずにねだり続ける。
「おかーさんー!あれ欲しいー!!」
「また今度ね〜」
「やぁだぁー!!」
駄々をこねる私を見る目が増える。
お母さんは更に顔を曲げて私に言う。
「ごめんねぇ、今回はやめとこ?」
「えぇーやーだーよぉー」
「だーめ、我慢して」
お母さんは私を制止する。
黄色い鳥の人形を指さし、私はもっと声を上げる。
「おねがい!!買って!!」
普段私がここまで駄々をこねないのもあって、不思議そうな顔をしたお母さんは観念したように人形を手に取る。
「わかった、そこまで言うなら買うね」
「...!ありがとう!おかあさん!」
レジに通し私の手に渡ったその人形は、さっき見たよりもずっと輝いて見えた。
相変わらず、初めに感じた感情の正体は分からなかった。
#きっと忘れない 0820