長いです。2,000字くらい。
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【静かなる森へ】
森というのは意外と騒がしいものだ。風が吹けば枝葉が音を立てるし、虫も鳥も獣も鳴く。川があれば水の音だってするだろう。
それなのに、王都の東の森が突然しんと静かになってしまったという。あまりに異様で不気味なので、何が起きているのか探って欲しいと魔法士団に調査の依頼がきた。
実際に仕事を引き受けることになったのは、土魔法と風魔法が得意な先輩、それと水魔法と植物魔法が使える僕。
僕の緊張を察してか、先輩が茶化すように言った。
「さて行きますか。静かなる森へ」
「これ……僕らの担当ではないですよね」
森の少し手前で立ち止まり、僕はそれを見た。
結界だ。かなり巧妙に隠されている。空間魔法の使い手が相当な魔力を注ぎ込んで、慎重に張り巡らせたものだろう。
「そうだねぇ……調べるなら空間魔法に適性がある奴連れてこないと」
「でも、わざわざこんな場所に結界なんて。何のために」
「何かを隠しているのかな。それとも立ち入りを制限したいのか……まあ、ろくなものではないだろうね」
先輩がそっと結界に手を伸ばした。
「危ないですよ!」
触れれば結界の主に勘付かれるかもしれない。触れた者を弾く結界というのもある。
「触らないよ。本気じゃないって……」
笑って振り返った先輩の背後。めきめきと枝をへし折りながら、巨大な白い竜が空から降りてきた。
「うわぁあ!」
僕は悲鳴を上げ、先輩は中途半端に首を捻って硬直した。
『だからね、私はここに仕事で来てるの。わかる?』
「はあ……」
『魔素の流れが整ったら立ち去るわよ』
「それは、どのくらいの時間がかかる予定で」
『知らないわ。やってみないと』
白竜は魔力の相性が良い相手となら意思の疎通ができると言い出した。そして、僕がたまたまその『相性が良い相手』だった。
「何て言ってるんだ?」
先輩には竜の言葉が聞き取れないらしい。
「魔素の流れを整えるためにしばらくここに居る必要があると」
「人を襲ったりはしないのか」
「……と、聞かれていますが」
『しないわよ、失礼ね』
「しないそうです」
意思疎通が可能な竜なんて、この国の建国神話くらいにしか出てこない。先輩は僕に白竜を見張らせて、魔法士団本部に戻った。とにかく上の判断を仰がないことには何もできない。
『人間は忙しないわね』
「……なんかすみません」
『いいわよ。別に私は急いでないもの』
魔法士団の団長と副団長が駆けつけ、白竜を見て流石に驚いていた。他にも数人の魔法士が来たけど、白竜と『魔力の相性が良い』のはどうやら僕だけだった。
白竜が言うには、竜というものは神々の指示を受け、魔力とその源となる魔素の流れを整えることで世界を維持しているらしい。
『魔素が淀むと魔素溜まりができるの。魔素溜まりは放置すると瘴気になって、魔獣の発生源になるのよ』
竜は魔素を循環させる力を持っているという。竜が居ればその周囲は魔獣の発生を防げるのだ。
魔素の流れを整える作業は時間がかかるもののようだった。白竜は一年経っても二年経ってもその森に居た。周辺の住民は森への立ち入りを制限されたものの、魔獣の発生が防げるということで、白竜の滞在は歓迎された。
白竜と誰かが話し合いたいという時には、僕が通訳に引っ張り出された。もはや魔法士としての仕事よりも通訳としての仕事の方が多いくらいだった。
偉そうな貴族が来て「竜の鱗が欲しい」なんて言うから、僕は青褪めながらおずおずと、それを白竜に伝えた。もちろん『一枚剥がしていいわよ』なんてことになるわけがない。貴族は白竜に威嚇されて、ガタガタ震えながら逃げていった。
『人間のこと、少しはわかってきた気がするわ』
そう言った白竜からはなんとなく苦笑の気配がした。
竜を調べたいとか、竜の魔法について知りたいという学者たちの通訳もした。白竜は代わりに人間のことを知りたがり、学者たちとは割と良い関係が築けているように見えた。やはり通訳ができるのは僕だけだった。
あっという間に10年が過ぎていた。
『そろそろ次の場所に移らないと』
「……行ってしまうのですか」
僕は白竜とかなり親しくなったと思う。だって10年も彼女の通訳をし続けたのだ。
「寂しくなりますね」
『……そうね』
白竜が僕にその鼻先を近付けても、僕はもう怖いとは思わなかった。そっとその艷やかな鱗に触れた。
『やめた』
「……え?」
『私、もう十分働いたもの。何十年か休暇をもらっても良いと思うのよね』
白竜の体が光り、その輪郭が縮んだ。光が消えると、そこには白銀の髪の美しい女性がいた。
「この姿なら、あなたと生きられるかしら」
「え……えぇえ!?」
気付けば僕は周囲から白竜の伴侶とみなされるようになっていた。まあ、嫌ではない。嫌ではないけど……
「人の姿になれるなら、もっと早くそうすれば良かったのでは」
「あら。この姿になるには人間のことを知る必要があったのよ」
それにね、と彼女は嫣然と微笑んだ。
「あなたが一生懸命通訳してくれるのが、私は嬉しかったの」
【夢を描け】
小学生の頃の宿題。将来の夢を作文に書くというもの。あれ、私は自分の本心なんて書けなかった。
どうせ大人はこういうのを期待しているんだろう、というような作文にした覚えがある。
だって当時の私の一番の望みは『ずっと子供のままでいること』だったから。
大人になるのが嫌だった。遊ぶ時間もなく、よくわからないけど『責任』ってやつがあちこちに発生して、働かなきゃならなくて、自分の自由がなくなるイメージだった。
要は未来に希望がなかったんだと思う。明るく楽しい大人が近くにいなかったのかもしれない。
そんな状態で『夢を描け』なんて言われても無理というもの。将来なんて来なくていいから遊んでいたかった。
まあ、そんな願いが叶うわけがなく。
夢らしい夢は叶わないまま大人になった。
あの作文を書いた時の私の想像と今の現実と、どちらがマシかは、正直よくわからない。
【届かない……】
大規模な迷宮を探索するためには、迷宮内に補給や休憩ができる拠点が必要……最初にそんなことを言い出した奴を絞め上げてやりたい。冒険者ギルドの職員であるアレンは切実にそう思っていた。
だって。それは冒険者が補給を必要とする場所まで、誰かが物資を運ぶってことになるんだぞ。拠点を維持するための人員が要るんだ。おかげで選ばれた職員が数人、迷宮内に長期滞在である。
そして、アレンも拠点まで物資を運搬することを命じられて、迷宮の第6階層に向かわされている。
こういう仕事を頼まれるのは、アレンが大容量の収納魔法の使い手で、物を運んだり保管したりするのが得意だからだ。
とはいえアレンは荒事に慣れていない。魔獣を倒したことなんてない。だから戦闘ができる他の職員とギルドからの依頼を受けた冒険者たちに守られて、ビクビクしながら迷宮を歩いている。
子供の頃はアレンも冒険者に憧れていた。強くなりたいと思った。魔法士としてなら割と優秀なはずだった。でも、性格が臆病で戦いには向かなかった。
だから冒険者は諦めてギルド職員になったのだ。それなのにどうして第6階層なんて、一部の冒険者しか足を運ばないような場所にまで行かなきゃならないのか。
魔獣との戦闘なんて、見るのも音を聞くだけでも恐ろしい。アレンは必死に結界を張って身を守った。
第3階層の拠点で一泊し、その後7日も掛けてどうにか目的地に辿り着いた。
「ありがとう、助かったよ。もう回復薬と食料が心許なくて」
「なんかもう、みんな焦りを通り越して『届かない……まだ届かない……』って遠い目してたもんな」
「肉だけなら魔獣も食えるのがいるけど、それだけじゃなぁ」
迷宮に長期滞在する連中は、ギルド職員であってもそこそこ戦える奴らだ。筋骨隆々だったり声が大きかったりしてちょっと怖い。でもまあ、役に立てたなら良かったと思う。
帰りの道中も魔獣の断末魔やら冒険者のイビキやらに辟易し、やっとの思いで街に戻った。
「ああ、アレン。おかえり。ご苦労さん」
ギルドマスターに労われ、ちょっと良い気分になったその直後。
「今度拠点を増やすことになったんだ。予定では第9階層に」
嫌な予感にアレンは硬直した。
「また荷物運び頼むな、アレン」
収納魔法の容量であれば、この街の誰よりもアレンが優秀だ。喜ぶ気にはなれないが。迷宮の第9階層まで非戦闘員を行かせるとか馬鹿じゃないのかとアレンは思う。
けど、残念ながらそれが今のアレンの仕事である。
「……転職、考えようかな……」
呟きは誰にも聞かれなかったはずなのに、翌日臨時ボーナスが出た。
【木漏れ日】
空は眩しいくらいによく晴れて、風が木の葉を軽く揺らす。暑くもなく、寒くもなく。過ごしやすい一日になりそうだった。
冒険者ギルドに立ち寄ってから、採取に出かける。依頼されているのはマルカ草、ダイダル草、ソルの木の若葉。作りたいのは初級回復薬かな、と想像する。
依頼主はまだ若い薬師か、もしかしたら弟子がいるのかもしれない。初級回復薬は駆け出しの薬師が練習で作ることが多い。
私が行くのは森の浅い所だけ。あまり奥に行くと危険だ。木漏れ日も届かない暗い場所には魔獣が潜んでいる。
私は冒険者だけど戦闘はほとんどしない。薬師の先生から習った薬草の知識を活かして採取依頼ばかりを受けているうちに、気付けば『採取専門』『薬草専門』と化していた。
植物のことはあいつに聞け、なんて言ってもらえるのはちょっと嬉しいけど、討伐依頼を受けないから、冒険者ランクは上がらない。陰で『万年見習い』と言われているのも知っている。
薬師になればもっと稼げる。だけど、それはしないと決めた。私は初級回復薬を作れない。調合スキルがチートだから。この世界に来た時、薬神の加護をもらったから。
私が作ると、初級回復薬のレシピで中級回復薬ができる。中級回復薬のレシピで上級回復薬ができる。上級回復薬のレシピで最上級回復薬ができた時、最上級回復薬のレシピで何ができるのか怖くなった。
蘇生薬でもできてしまったらどうしよう。この力が誰かに知られたらどうしよう。調合を教えてくれた先生も、私に「人前で薬を作るな」と言った。
今だって、まったく薬を作らないわけじゃない。自分が怪我をした時のために、作り方を忘れないように、時々は調合の道具と向き合う時間を取っている。
暮らしていくには今の仕事だけでも十分だ。私の薬で助かる誰かもいるのかもしれない。けど、それを気に病むほど使命感や正義感が強い人間ではない。だからこのままでも良いと思っていたんだけど。
納品に行ったら、思いがけない話になった。
「新人の指導……ですか? 私が?」
冒険者ギルドの職員が、若い冒険者たちが無謀なことをしないよう、森の歩き方や薬草の採取方法を教えてやって欲しいと言う。
だけど……それをしてしまうと、今は私が受けている依頼も、他の誰かに取られてしまうかもしれない。仕事が減れば当然、収入が減るわけで。
迷っていたら、冒険者ギルドのマスターに言われた。
「君が協力してくれたら、見習い冒険者の死亡率を下げられる。君さえ良ければ、ギルドの職員になって欲しいんだ」
私がギルド職員に。それなら確かに、生活には困らなくて済む。
「わかりました。ちゃんとお休みをもらえるなら、引き受けます」
《鑑定》スキルがあることがバレて、ギルドマスターから「それを先に言え!」と何故か叱られるまで、あとひと月。
【ラブソング】
侯爵家の娘である私と、第二王子である殿下の婚約は、お互いの地位や利害関係で結ばれた政略的なものだ。
幼い頃は天使のように愛らしかった殿下は、背も伸び、手は大きくなり、顔には冷たい無表情が居座るようになってしまった。
今日も不機嫌そうな目が私に向けられる。
声だって優しくはないだろう。
なのに、その声ににやけそうな顔を私は必死に取り繕う。だって。聞こえてしまうのだ、彼の本心が。
「何だ、そのリボンは。学院で勉強をするには必要ないだろう」
『こんな可愛い姿は他人に見せたくない』
「まだ課題が終わっていないのか?」
『今日は長く一緒に居られそうで嬉しい』
「わからないのか。それくらい習っただろう」
『もっと俺を頼ってくれればいいのに』
私の母の家系にたまに発現する能力。他人の本当の気持ちが聞こえる特殊な耳。将来は外交の役に立つことを期待されている。
彼と出会うまで、この力はひたすら苦痛でしかなかった。だけど。この不器用な王子様ときたら。なんて可愛らしいのかと思う。
「またぼんやりしているな。もう少ししっかりしてくれ」
『柱にでもぶつかりそうで心配だ……もし怪我でもしたら……』
いや、流石に私でも柱にはぶつからないと思うのだけれど。
「王族の婚約者だという自覚があるのか?」
『他の男と仲良くしないで俺を見ていて』
殿下の本音は私への好意で溢れていた。初めて顔を合わせた時、彼から聞こえたのは『なんて可愛いんだ!』という震え悶えるような『声』だった。
照れ隠しに不機嫌な態度を取られても。素っ気なくされても。ひと言口を開けば聞こえてくるのは『本音』ばかり。
『こっちを見て』『嫌わないで』『もっと近くに』『優しくしたいのに』『またやってしまった……』『今日も可愛い』
「どこへ行く気だ。君が移動する時は護衛もついて行かなければならないんだぞ」
『急に俺のそばを離れないでくれ』
まったく。この人は。相手が私じゃなかったら、とんでもない勘違いをされているところだってわかっているのかしら。
発言の全てが下手くそなラブソング。
そんな殿下が嫌いになれない。
まだ私の能力を知らない彼は、これを知ったらどんな顔を見せてくれるのだろう。