【手紙を開くと】
伯爵の長男、それなのに庶子。僕がそんな面倒な立場になったのは、何も父の不貞のせいじゃない。
僕の母は平民で、母と出会った時、父には婚約者も伴侶もまだいなくて。誠実に付き合っていたらしいけど、身分の差で周囲からは大反対されたという。
どうしても結婚したいと、父は家族や親戚を説得しようとした。けど、話がまとまる前に僕が生まれて、母は酷く体調を崩し、そのまま儚くなってしまった。
その後落ち込み荒れた父を慰め、叱りつけ、支えたのが今の伯爵夫人だったらしい。ちゃんと伯爵家の跡継ぎになれる異母弟も生まれた。
義母は僕のことも可愛がってくれた。弟とも仲は良いと思う。だからこそ、このままではいけないと感じた。
僕が家を出たのは14歳の時だった。全寮制の学校を選び、長期休暇にも帰らなかった。卒業後はそのまま就職先である王立魔法研究所の寮に入った。
僕がいない方があの家は上手くいく。そう思っている。僕を跡継ぎになんてとんでもない。祖父は僕を孫とは認めていないのだ。
仕事を始めて三年目。未だに慣れないこともあるけど、どうにか生活はできている。
仕事帰りに、寮の事務員から封筒を渡された。封蝋には実家の紋章が見えた。
開けたくない。そう感じたものの、読まないわけにもいかないだろう。手紙を開くと、ほんの一瞬、微かに懐かしい匂いがしたような気がした。
手紙には、弟が無事に王立学院を卒業したことと、成人を迎えたことが書かれていた。弟を当主代理とする届け出をしたことも。
これで、父に何かがあった時には、弟が正当な後継者として次の伯爵となり、家や領地をすんなり受け継ぐことができる。
弟からは「兄上がいるのに申し訳ない」と書かれていたけれど、元々僕は当主の座なんて望んでいない。
僕は魔法が好きだ。研究ができればそれでいいのだ。今は氷魔法と水魔法の境界について調べている。
そもそも水の魔法で冷たい水を生成できるのは、術者が『水とは冷たいものだ』と定義しているから。ならば『冷たく凍りついた固形が水である』と定義できれば、水属性で氷の魔法が使えるはずなのだ。ただ、そのためには術者が心の底から『水』というものの概念を変えなければならず……それならむしろ熱湯を出すことの方が液体のままであるだけ簡単なのかもしれないと……
まあ、僕の研究は今はどうでもいい。いや、良くはないけれど、今ではない。
ちゃんと返事を書かなければ。真面目な異母弟と優しい義母が僕に引け目を感じているのは知っている。
いつまでも気を遣っていなくてもいいのだと、僕は僕でやりたいことをして、それなりに充実しているのだと。そうきちんと報告しようと思う。
勇者として召喚された世界に魔王がいなかったら。血なまぐさい話になってしまった……
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【すれ違う瞳】
戦場に立つ以上、私がするのは命のやり取りだ。ほんの一瞬、敵と交差した視線。すれ違う瞳。その恨みと決意が篭った熱い眼差し。
まだ若い。
嫌だなと思う。けど、ここで迷えば刈り取られるのは私の方だ。なるべく、何も考えずに弓を引いた。
「今日もすごかったですねぇ」
人の気も知らずに、呑気なものだ。私の世話をするという名目でそばにいる従騎士は見張りを兼ねている。私が逃げ出さないように。
『一矢必中』『魔弓の巫子』『黒の戦姫』『勝利の導き手』『戦場の魔女』『不死身の射手』『弓引く悪魔』……どれも私のことだ。何ひとつ、望んだ呼び名ではないけど。ついでに不死身ではないんだけど。
こんな立場、欲しかったわけじゃない。
そもそも戦場になんて出たくなかった。
戦争なんて、早く終わればいい。
「……本当に良いのですか」
従騎士や侍女の目を盗んで私に会いに来たのはこの国の王太子。
「構いません」
はっきりとそう答えた彼は、もう全て決めてしまった顔をしていた。
「平和な世界から来たという貴女を、これ以上戦わせるのも心苦しいですし」
「……本当に、終わらせられますか」
「終わりにします。必ず」
「わかりました。引き受けましょう」
失敗したら命はない。私も、目の前の彼も。
塔の窓から庭園を見下ろす。
王太子に指定されたこの場所からは、お茶会の会場がよく見えた。そこに参加している国王と王妃も。彼の両親。だけど。
今は私の標的だ。
左手に魔弓を呼び出した。右手には矢。どちらも私の魔力でできているから、持ち物検査なんて意味がない。「決まりですから」と城の中では着けられていた魔封じは、王太子が偽物にすり替えた。
国王を先に。
悲鳴が上がった。戦場なんて知らない貴族たちの、国がこの状況でも優雅にお茶会なんてできる神経を疑うけれど。きっと、私よりはマシだろう。
騒ぎが大きくなる前に王妃を。
嫌な手応えだ……けど、これで終わる。終わらせる。そういう約束。
国王を射抜いた矢が誰のものかなんて、見ればわかっただろう。私は重罪人だ。でも、戦場で散る兵も国王も、それが『ひとりの人間』であることにどんな違いがある?
王太子は確かに戦争を終わらせた。
そして、和平の調印をしたその衣装さえ着替えることなく、そのままに、私の前に跪いて、とんでもないことを言い出した。
「婚約してください」
「え……」
「貴女はこの和平の立役者ですし、国を守った英雄でもある。私の隣に立つには十分な功績でしょう」
「何を言ってるんですか。わかってますか? 私はあなたのご両親を」
「させたのは私だ」
そうだけど。そうだけどさあ……
「お願いです……」
王太子が縋るように言った。
「このままでは私は貴女を処刑しなければならない」
……そうだよな。すでに国王の死因はわかっているんだ。この人が私を守ってくれているだけで。
「でも。王妃なんて、私には無理です」
「貴女は戦場に向かう前にもそう言っていました。『自分には無理』と」
言った記憶はある。急に召喚されて、勇者とか呼ばれて、国を助けて欲しいとか頼まれて。魔王でもいるのかと思えば対人の戦争で……泣き喚いても、解放してもらえなかった。いつからか、環境に流され、麻痺していった。
「私が支えます。補佐してくれる者たちもいます。貴女だけに苦労はさせません」
この人は、この人だけは、私が戦場に立つことを反対し「間違っている」と言ってくれていた。その気持ちが嬉しくて。惹かれていないと言えば嘘になる。
「……本当に、支えてくれますか」
帰れないことはもうわかっている。
この選択を後悔する日も来るかもしれない。けど、私は。差し出された手にそっと自分の手を重ねた。
また長いです。1,500字弱くらい。
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【青い青い】
あ、ヤバい。これ泣かれるかも……そう思った時には遅かった。友人の青い青い美しい目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「なんで……なんでそんなこと言うの」
こいつが泣くのはいつも、自分のことじゃなくて俺のこと。俺が俺自身を蔑ろにしたり卑下することを、こいつはとても嫌う。
今回泣かせてしまったのは、俺の成績がどうやらちゃんと評価されていないらしいという話に対し、俺が怒りもせずに「まあそんなもんだろ」とかなんとか言ったからだ。
こんなに涙脆くて大丈夫なのかと心配になるけど、こいつは同年代の中では最強に近いと言われている魔術師だ。
「いや、だってさ……ここは結局、貴族のお坊ちゃんのための学校で……いくら珍しい治癒魔術が使えても、俺が平民なのは確かで。仕方ないだろ?」
「そんなことで君が不当に扱われるのは間違ってる」
貴族がみんなこいつみたいな人間だったら、不正も何もなくなるし平和な国になるのかもしれない。いや、むしろ他国に侵略されてしまうかな。
「なあ……そんな泣くなよ」
「君が君のために怒らないからだ」
この友人はとても優しい。侯爵家の子息だっていうのに、特待生として入学した平民の俺に何かと目を掛けてくれている。
ある日のことだ。授業の後教師に呼び出された俺は、用事を済ませ、教室に置いたままだった鞄を取りに戻った。そこには俺を目の敵にしている伯爵家の次男と取り巻きが何人か残っていて、嫌な予感がした。
とにかく早く寮に戻ろう。そう思って、鞄を手に取った時だ。魔力が動いた。頭の上で何かが弾けて、気付けば俺はずぶ濡れにされていた。魔術で水を掛けられたのだ。
本当に貴族なのかと疑いたくなる下品な連中が、濡れた俺を見てケラケラ笑う。間の悪いことに……そこに俺の友人が、同年代最強の侯爵令息様が現れた。
ただでさえ大きな青い目が見開かれて。
友人はただひと声「は?」と言った。
ぶわっと放出されたのは強い冷気。床に薄く氷が張り、壁が結露してそれも凍り、窓には小さな細い氷柱ができていった。その発生源はもちろん、俺の友人。
「君たち、何をしているの」
凄んだわけでもない、脅そうという意思すら感じられない平坦な声。だからこそ恐ろしかった。
「ねぇ。なんで笑ってたの。まさか、彼を馬鹿にしてたわけじゃないよね」
俺に嫌がらせをした連中は怯えてガタガタ震えていた。けど、それ以上に俺がガタガタ震えていた。
当たり前だろう。俺は今、ずぶ濡れなんだぞ。こんな異常な冷気に晒されて無事でいられると思うのか!?
「おい、やめ、やめろ……ぉ、俺を殺す気か」
どうにか絞り出した声はちゃんと友人に届いたようである。ハッとした侯爵令息は、冷気を出すのをやめたけど、それですぐに気温が上がるわけじゃ……
あ。冷気の代わりに温風出しやがった。風と火の複合魔術か。器用な真似をする。こいつ、使えない魔術があるのかねぇ?
「ごめん、ごめんね。寒かったよね!?」
寒かったっていうか、もう寒いの通り越して痛かったよ俺は。
友人は俺を暖め、乾かし、荷物も乾かしてくれて、伯爵家の次男とその取り巻きたちにはきっちり謝罪をさせた。
涙脆い奴だと思っていた。
でもそれは、怒りを怒りとして出すことができないからなのだと知った。
「僕が怒ると周りのものを何でも凍らせちゃうんだよ」
友人は幼い頃から、怒ってはいけないと自分に言い聞かせてきたらしい。その結果、感情が高ぶるとそれがどんな『想い』でも、泣いてしまうようになったとか。
「だから君も頼むから僕を怒らせないでね?」
俺はこいつには逆らわないと決めた。そして、もう少し自衛を頑張ろうと思った。周囲の人間たちを守るためにも。
ものすごーく前のお題の続きだけど、きっとわかる人はいないだろうな、という自己満足。
これだけでも意味は通じる……といいなぁ。
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【風と】
大きな影が近付いてきて、ぶわりと風が巻き起こる。フォルは慌てて着地のための空間をあけた。
降りてきたのは、飛竜とその主人だ。彼はいつも影を先触れにして風と共に帰ってくる。
「フォル! お腹空いた!」
酷い人だとフォルは思う。十日で帰って来るはずが、ひと月も自分を放置していた癖に、ただいまも久しぶりもなく、食事の催促とは。
「スープならありますよ。オムレツも焼きましょうか」
それでも対応できた自分に、フォルは概ね満足していた。
彼は相棒の飛竜に近くで待機するよう言い聞かせた。そのいい加減な指示でよく従うものだとフォルは呆れる。風が二人の髪を乱し、飛竜が飛び立った。
「おかえりなさい、リーンハルト様」
フォルが笑いかけると、彼はちょっとムッとして答えた。
「何度も言っているのに。リーンでいいし敬語は要らないって」
「リーンハルト様は僕の恩人ですし、愛称で呼び捨てというのはちょっと……」
すると、わざとらしいため息をついて、リーンハルトはようやく「ただいま」と言う。フォルと彼は再会のたびに似たようなやり取りをしている。
「目的の素材は入手できましたか?」
リーンハルトがこの森の中の家を離れていたのは、薬の材料を手に入れるためだった。
「うん。それはもうしっかりと」
ホクホクと笑う顔に、何か満足できるようなことがあったのだろうとフォルは思う。珍しい素材か、新しい本か、それとも知らない薬でも見つけたか。
何にせよ、この様子ならしばらくはここに居てくれるだろうとフォルは考えた。新しい薬の調合に当分は夢中になるはずだ。
フォルは逃亡奴隷である。隷属の首輪を壊して、フォルを解放し、逃してくれたのがリーンハルトだ。
この辺りでは珍しいハーフエルフであるフォルを隠すために、リーンハルトは森の奥に家を建てた。
植物魔法と土魔法であっという間に一軒家を建ててしまったリーンハルトを見て、フォルは決して逆らわないことを改めて心に決めた。
一体どれだけの魔力があるのかと戦慄したからだ。今の本業はテイマーじゃなかったのか。
「今回見つけた薬はすごいぞ、フォル!」
リーンハルトが『すごい』と言ったものがフォルから見たら全然すごくなかったことが何度もあるので、あまり期待はせずに聞いた。
「今度は何を見つけたんです? しもやけの薬ですか」
「変装薬だ!」
リーンハルトはフォルを振り返って得意げな顔をする。
「人間の街に潜んでいたエルフに教えてもらった、エルフの長い耳を隠すために使う薬だ」
「え……」
フォルが立ち竦んで、リーンハルトがにひひと笑う。
「フォルトゥナート。これで君も人里に行けるぞ」
この人はそのためにここを留守にしていたのかと考えて、フォルは少し恥ずかしくなった。早く帰ってきてくれなかったことに拗ねていたという自覚があったから。
「材料を揃えるのに少し手間取って、余計な時間がかかった。連絡もせずに悪かった」
「いえ……それは構いませんが」
「街に行こう、フォル。定住はせずにしばらく旅をするのも良いな。君は行きたい場所はある?」
フォルは滲む視界をどうにか抑えつつ、笑った。これでやっと、置き去りにされるばかりの時間が終わるのだ。
「あなたと一緒なら僕はどこにでも行きますよ、リーンハルト様」
(以上【蝶よ花よ】というお題の続きでした)
【軌跡】
この世界ではおそらく彼だけが残す軌跡。そのタイヤ痕を私はたどる。いつかもう一度会うために。そしてあの男を思い切りぶん殴ってやるために。
この世界にたった二人しかいない日本人。その同郷者を「危険だ」のひと言で置き去りにした勇者様。やつは今でも召喚された時に乗っていた自動車で移動している。女神の加護とやらでガソリン要らないんだってさ。
相手は自動車だから移動が速い……かと思いきや、道なんて整備されていない異世界だ。タイヤが嵌った跡があったり、森を大きく迂回していたり。あいつはあいつでそれなりに大変そうである。
私はと言えば、従魔術の才能があったらしくて、大型の魔獣を手懐けて背に乗せてもらっている。
あいつが目指しているのは魔境、そして魔王城だ。そこに到着する前に、必ず追い付く。そう決めた。
そして、勝手に置いていくなと、弱い者扱いするなと、私にも手伝わせろと、水臭いじゃないかと、それから……独りにしないでと、殴ってやるのだ。