【夢を描け】
小学生の頃の宿題。将来の夢を作文に書くというもの。あれ、私は自分の本心なんて書けなかった。
どうせ大人はこういうのを期待しているんだろう、というような作文にした覚えがある。
だって当時の私の一番の望みは『ずっと子供のままでいること』だったから。
大人になるのが嫌だった。遊ぶ時間もなく、よくわからないけど『責任』ってやつがあちこちに発生して、働かなきゃならなくて、自分の自由がなくなるイメージだった。
要は未来に希望がなかったんだと思う。明るく楽しい大人が近くにいなかったのかもしれない。
そんな状態で『夢を描け』なんて言われても無理というもの。将来なんて来なくていいから遊んでいたかった。
まあ、そんな願いが叶うわけがなく。
夢らしい夢は叶わないまま大人になった。
あの作文を書いた時の私の想像と今の現実と、どちらがマシかは、正直よくわからない。
【届かない……】
大規模な迷宮を探索するためには、迷宮内に補給や休憩ができる拠点が必要……最初にそんなことを言い出した奴を絞め上げてやりたい。冒険者ギルドの職員であるアレンは切実にそう思っていた。
だって。それは冒険者が補給を必要とする場所まで、誰かが物資を運ぶってことになるんだぞ。拠点を維持するための人員が要るんだ。おかげで選ばれた職員が数人、迷宮内に長期滞在である。
そして、アレンも拠点まで物資を運搬することを命じられて、迷宮の第6階層に向かわされている。
こういう仕事を頼まれるのは、アレンが大容量の収納魔法の使い手で、物を運んだり保管したりするのが得意だからだ。
とはいえアレンは荒事に慣れていない。魔獣を倒したことなんてない。だから戦闘ができる他の職員とギルドからの依頼を受けた冒険者たちに守られて、ビクビクしながら迷宮を歩いている。
子供の頃はアレンも冒険者に憧れていた。強くなりたいと思った。魔法士としてなら割と優秀なはずだった。でも、性格が臆病で戦いには向かなかった。
だから冒険者は諦めてギルド職員になったのだ。それなのにどうして第6階層なんて、一部の冒険者しか足を運ばないような場所にまで行かなきゃならないのか。
魔獣との戦闘なんて、見るのも音を聞くだけでも恐ろしい。アレンは必死に結界を張って身を守った。
第3階層の拠点で一泊し、その後7日も掛けてどうにか目的地に辿り着いた。
「ありがとう、助かったよ。もう回復薬と食料が心許なくて」
「なんかもう、みんな焦りを通り越して『届かない……まだ届かない……』って遠い目してたもんな」
「肉だけなら魔獣も食えるのがいるけど、それだけじゃなぁ」
迷宮に長期滞在する連中は、ギルド職員であってもそこそこ戦える奴らだ。筋骨隆々だったり声が大きかったりしてちょっと怖い。でもまあ、役に立てたなら良かったと思う。
帰りの道中も魔獣の断末魔やら冒険者のイビキやらに辟易し、やっとの思いで街に戻った。
「ああ、アレン。おかえり。ご苦労さん」
ギルドマスターに労われ、ちょっと良い気分になったその直後。
「今度拠点を増やすことになったんだ。予定では第9階層に」
嫌な予感にアレンは硬直した。
「また荷物運び頼むな、アレン」
収納魔法の容量であれば、この街の誰よりもアレンが優秀だ。喜ぶ気にはなれないが。迷宮の第9階層まで非戦闘員を行かせるとか馬鹿じゃないのかとアレンは思う。
けど、残念ながらそれが今のアレンの仕事である。
「……転職、考えようかな……」
呟きは誰にも聞かれなかったはずなのに、翌日臨時ボーナスが出た。
【木漏れ日】
空は眩しいくらいによく晴れて、風が木の葉を軽く揺らす。暑くもなく、寒くもなく。過ごしやすい一日になりそうだった。
冒険者ギルドに立ち寄ってから、採取に出かける。依頼されているのはマルカ草、ダイダル草、ソルの木の若葉。作りたいのは初級回復薬かな、と想像する。
依頼主はまだ若い薬師か、もしかしたら弟子がいるのかもしれない。初級回復薬は駆け出しの薬師が練習で作ることが多い。
私が行くのは森の浅い所だけ。あまり奥に行くと危険だ。木漏れ日も届かない暗い場所には魔獣が潜んでいる。
私は冒険者だけど戦闘はほとんどしない。薬師の先生から習った薬草の知識を活かして採取依頼ばかりを受けているうちに、気付けば『採取専門』『薬草専門』と化していた。
植物のことはあいつに聞け、なんて言ってもらえるのはちょっと嬉しいけど、討伐依頼を受けないから、冒険者ランクは上がらない。陰で『万年見習い』と言われているのも知っている。
薬師になればもっと稼げる。だけど、それはしないと決めた。私は初級回復薬を作れない。調合スキルがチートだから。この世界に来た時、薬神の加護をもらったから。
私が作ると、初級回復薬のレシピで中級回復薬ができる。中級回復薬のレシピで上級回復薬ができる。上級回復薬のレシピで最上級回復薬ができた時、最上級回復薬のレシピで何ができるのか怖くなった。
蘇生薬でもできてしまったらどうしよう。この力が誰かに知られたらどうしよう。調合を教えてくれた先生も、私に「人前で薬を作るな」と言った。
今だって、まったく薬を作らないわけじゃない。自分が怪我をした時のために、作り方を忘れないように、時々は調合の道具と向き合う時間を取っている。
暮らしていくには今の仕事だけでも十分だ。私の薬で助かる誰かもいるのかもしれない。けど、それを気に病むほど使命感や正義感が強い人間ではない。だからこのままでも良いと思っていたんだけど。
納品に行ったら、思いがけない話になった。
「新人の指導……ですか? 私が?」
冒険者ギルドの職員が、若い冒険者たちが無謀なことをしないよう、森の歩き方や薬草の採取方法を教えてやって欲しいと言う。
だけど……それをしてしまうと、今は私が受けている依頼も、他の誰かに取られてしまうかもしれない。仕事が減れば当然、収入が減るわけで。
迷っていたら、冒険者ギルドのマスターに言われた。
「君が協力してくれたら、見習い冒険者の死亡率を下げられる。君さえ良ければ、ギルドの職員になって欲しいんだ」
私がギルド職員に。それなら確かに、生活には困らなくて済む。
「わかりました。ちゃんとお休みをもらえるなら、引き受けます」
《鑑定》スキルがあることがバレて、ギルドマスターから「それを先に言え!」と何故か叱られるまで、あとひと月。
【ラブソング】
侯爵家の娘である私と、第二王子である殿下の婚約は、お互いの地位や利害関係で結ばれた政略的なものだ。
幼い頃は天使のように愛らしかった殿下は、背も伸び、手は大きくなり、顔には冷たい無表情が居座るようになってしまった。
今日も不機嫌そうな目が私に向けられる。
声だって優しくはないだろう。
なのに、その声ににやけそうな顔を私は必死に取り繕う。だって。聞こえてしまうのだ、彼の本心が。
「何だ、そのリボンは。学院で勉強をするには必要ないだろう」
『こんな可愛い姿は他人に見せたくない』
「まだ課題が終わっていないのか?」
『今日は長く一緒に居られそうで嬉しい』
「わからないのか。それくらい習っただろう」
『もっと俺を頼ってくれればいいのに』
私の母の家系にたまに発現する能力。他人の本当の気持ちが聞こえる特殊な耳。将来は外交の役に立つことを期待されている。
彼と出会うまで、この力はひたすら苦痛でしかなかった。だけど。この不器用な王子様ときたら。なんて可愛らしいのかと思う。
「またぼんやりしているな。もう少ししっかりしてくれ」
『柱にでもぶつかりそうで心配だ……もし怪我でもしたら……』
いや、流石に私でも柱にはぶつからないと思うのだけれど。
「王族の婚約者だという自覚があるのか?」
『他の男と仲良くしないで俺を見ていて』
殿下の本音は私への好意で溢れていた。初めて顔を合わせた時、彼から聞こえたのは『なんて可愛いんだ!』という震え悶えるような『声』だった。
照れ隠しに不機嫌な態度を取られても。素っ気なくされても。ひと言口を開けば聞こえてくるのは『本音』ばかり。
『こっちを見て』『嫌わないで』『もっと近くに』『優しくしたいのに』『またやってしまった……』『今日も可愛い』
「どこへ行く気だ。君が移動する時は護衛もついて行かなければならないんだぞ」
『急に俺のそばを離れないでくれ』
まったく。この人は。相手が私じゃなかったら、とんでもない勘違いをされているところだってわかっているのかしら。
発言の全てが下手くそなラブソング。
そんな殿下が嫌いになれない。
まだ私の能力を知らない彼は、これを知ったらどんな顔を見せてくれるのだろう。
【手紙を開くと】
伯爵の長男、それなのに庶子。僕がそんな面倒な立場になったのは、何も父の不貞のせいじゃない。
僕の母は平民で、母と出会った時、父には婚約者も伴侶もまだいなくて。誠実に付き合っていたらしいけど、身分の差で周囲からは大反対されたという。
どうしても結婚したいと、父は家族や親戚を説得しようとした。けど、話がまとまる前に僕が生まれて、母は酷く体調を崩し、そのまま儚くなってしまった。
その後落ち込み荒れた父を慰め、叱りつけ、支えたのが今の伯爵夫人だったらしい。ちゃんと伯爵家の跡継ぎになれる異母弟も生まれた。
義母は僕のことも可愛がってくれた。弟とも仲は良いと思う。だからこそ、このままではいけないと感じた。
僕が家を出たのは14歳の時だった。全寮制の学校を選び、長期休暇にも帰らなかった。卒業後はそのまま就職先である王立魔法研究所の寮に入った。
僕がいない方があの家は上手くいく。そう思っている。僕を跡継ぎになんてとんでもない。祖父は僕を孫とは認めていないのだ。
仕事を始めて三年目。未だに慣れないこともあるけど、どうにか生活はできている。
仕事帰りに、寮の事務員から封筒を渡された。封蝋には実家の紋章が見えた。
開けたくない。そう感じたものの、読まないわけにもいかないだろう。手紙を開くと、ほんの一瞬、微かに懐かしい匂いがしたような気がした。
手紙には、弟が無事に王立学院を卒業したことと、成人を迎えたことが書かれていた。弟を当主代理とする届け出をしたことも。
これで、父に何かがあった時には、弟が正当な後継者として次の伯爵となり、家や領地をすんなり受け継ぐことができる。
弟からは「兄上がいるのに申し訳ない」と書かれていたけれど、元々僕は当主の座なんて望んでいない。
僕は魔法が好きだ。研究ができればそれでいいのだ。今は氷魔法と水魔法の境界について調べている。
そもそも水の魔法で冷たい水を生成できるのは、術者が『水とは冷たいものだ』と定義しているから。ならば『冷たく凍りついた固形が水である』と定義できれば、水属性で氷の魔法が使えるはずなのだ。ただ、そのためには術者が心の底から『水』というものの概念を変えなければならず……それならむしろ熱湯を出すことの方が液体のままであるだけ簡単なのかもしれないと……
まあ、僕の研究は今はどうでもいい。いや、良くはないけれど、今ではない。
ちゃんと返事を書かなければ。真面目な異母弟と優しい義母が僕に引け目を感じているのは知っている。
いつまでも気を遣っていなくてもいいのだと、僕は僕でやりたいことをして、それなりに充実しているのだと。そうきちんと報告しようと思う。