長い上にちょっと血腥いです。すみません。
──────────────────
【遠くの声】
集中しすぎていつの間にか息を止めていた。眼下には黒く焼け焦げた元草原。一部は畑だった土地だ。まだ炎があちこちで燻っている。焦げた地面に点々と転がる塊が元は何だったかは考えないことにして、ゆっくりと息を吐く。
集中が切れたことで感覚が戻り、遠くの声が耳に届いた。一瞬で広範囲を焼け野原にした私への畏怖……いや、ただの怯えだ。それに嫌悪と蔑みの声。
「これをひとりで、か……化け物だな」
「あいつ、敵国からは『悪夢』と呼ばれてるらしいぞ」
「確かまだ14歳だろ?」
「第三王子も気の毒に。これが婚約者とは」
「しかも孤児だもんな」
「本当に人間なのかねぇ」
全部聞こえている。魔法士たちは声をひそめる気がないのだろうか。
私はため息をついて、自分の喉元に手を触れた。そこには厳つい首輪がある。装着した相手を隷属させる、呪われた魔導具だ。
戦場を見下ろす崖の上。大規模攻撃魔法を使用するために、私はここに連れてこられた。離れて立っている魔法士たちは、ここに人がいることを魔法で誤魔化し、結界を張って私を守っていた……はずだ。本当にその必要があるのかは知らない。ちゃんと仕事をしているのかも知らない。と言うか興味がない。
足音が聞こえた。こちらに近付いて来る。
「エル」
呼ばれて振り返ると、第三王子のユージーン殿下が立っていた。
「大丈夫かい?」
気遣わしげに聞かれて、思わず顔を顰めた。
「気持ち悪い。吐きそう。全然大丈夫じゃない」
見目麗しい婚約者がフフッと微笑む。
「良かった。思ったより元気そうだ」
「どこが?」
私が睨んでも、ジーンの表情は穏やかだ。
「行こう、エル。もうここにいる必要はないでしょう」
私が前世の記憶を思い出したのは5歳の時だった。自分に膨大な魔力と神様の加護があると気付いてまずいと思った。私が生まれたこの国は、隣国と戦争中だったから。
私が力を隠しきることはできなかった。孤児院から少年兵として徴用されて、魔法士としての優秀さがバレて。気付いた時には第三王子の婚約者にされていた。魔力が多い子供を期待されているのだ。家畜の交配みたいに。
私に隷属の首輪を装着させたのはこの婚約者である。美しい第三王子。持っている魔力はとても多いのに制御に難があって、魔法士にはなれない青年。
この首輪、実は全然効果がない。私がこの王子様の支配下にあるということを示すためのものだけど、形だけ。
なんでこんなものを着けているかと言えば、私が一度、王太子を締め上げたから。二度と王家に逆らわないと示さなければ、私は処分されていたかもしれなかった。
だけど私は悪くなかったと思うんだよ。年端もいかない女の子に手を出そうとした変態が悪いだろう。しかも私は弟の婚約者だぞ?
まだ子供のうちに兵士にされて、人型兵器とか固定砲台みたいな扱いをされて、味方からも遠巻きにされて、結婚相手も勝手に決められて。それでも、私とジーンとの仲は悪くなかった。
人型兵器になんてなりたくなかった私と、王族の地位も権力も欲しくなかったジーン。腹を割って話したら、案外意気投合して、お互いに他の誰かを充てがわれるよりは婚約者でいようということになっている。
「エル」
ジーンに真剣な顔で呼ばれて、私は周囲に遮音の結界を張った。
「帝国と話がつきそうだ」
「本当に?」
ジーンはどうにか戦争をやめさせたくて、影で奔走していた。今の国王陛下に退場してもらうことも考えた。けど、ただ玉座に座る人間を入れ替えただけで、和平が結べるかどうか。
だから大国を頼った。後ろ盾が欲しいと頭を下げた。帝国の庇護を受けることで、この国の土地と人を守れるかもしれない。ついでに王子であるジーンも生き延びられるかも。
「ただ……帝国の協力を得るなら、僕が国王になることが条件だ」
「やっぱりね」
交渉をしたのはジーンだし、信用を勝ち取ったのもジーンである。帝国があの王太子の後ろ盾になるはずがない、当然の話だろう。
「血塗れの茨の道だ……ついて来てくれる?」
それはこのまま私を伴侶にするということか。
「私は殺しすぎたでしょう。なのに、王妃なんて」
「エル、エルヴィラ。僕には君だけだ」
この王子様、いつからこんなに私に執着するようになったんだろう。
私はそっとため息をついた。
「そこまで言うなら、側妃も愛妾も持たないんでしょうね?」
「もちろん」
「あなたの親兄弟なんだから、私にだけ働かせるつもりはないよね?」
「当然だろう」
「その偽装ももうやめるんだよね?」
「…………偽装って?」
私は婚約者を睨んだ。
「あんた本当は魔法使えるでしょうが。わかってんのよ」
「え? いや……え。いつから」
「いつから、なんて覚えてないけど。私の隣に立ちたいって言うなら、あんたもちゃんと血塗れになりなさいよ」
優しい第三王子が泣きそうな顔で笑った。
「エル……ごめん、ごめんね。もう殺さなくていいとは、僕は言えない。けど……」
これから国王になろうという王子が、眉を下げ情けない顔で懇願してくる。
「……僕も一緒に背負うから。お願い、僕の隣にいて」
「ああもう。仕方ないなあ」
抱きついてきた青年の背中をさすった。
「お互い安眠はできないだろうけど、隣には居てあげる」
私はこの顔の綺麗な王子様に、とっくに絆されていたんだ。共犯者になってもいいと思うくらいには。
百合(GL)です。苦手な方は回避してもらえたらと思います。長いです。
─────────────────
【春恋】
『猫の恋』というのが春の季語らしい。
繁殖相手を探して鳴き歩く猫を『恋に身を焦がしている』と表現するのは、少し無理がある気もするけれど。あの特徴的な鳴き声が聞こえる時期に使う言葉なのだろう。
私は猫ではないから『アーオ』なんて鳴いたりはしないけど、春恋に身をやつしているのは確かだった。
進学をきっかけに出会ったばかりの相手だ。正直に言えば、何も知らない人。だけど、顔を見て声を聞いて『好きだ』と思ってしまった。
困っている人を助ける姿を見て、やっぱり良い人だと思うと同時に、その優しさを向けられたのが自分じゃないことが悔しかった。
笑顔を向けて欲しい、話し掛けてもらいたい、できることなら触れられたい。そう浅ましく思う私は猫の恋を馬鹿になんてできない。
ある日、その片思い相手が告白されているところを見てしまった。告白したのは別のクラスの可愛らしい女の子。
「ごめん。付き合えない。でもありがとう。好意を向けてくれたのは嬉しかった。勇気を出してくれたことを尊敬する」
『私が好きになった人は、断りのセリフすら素敵だなぁ』なんて、思ってしまった。
自分は告白する勇気がない癖に、可愛らしい女の子が振られたことと、あの人がその子に嫌悪感を持っていないように見えたことにホッとしていた。
「あれ。同じクラスの。もしかして見てた?」
歩いてきたその人に気付かれて、曖昧に返事をして頷いた。
「そっか。言いふらしたりはしないであげてね。あの子も『女同士なのに』なんて揶揄われるのは可哀想だからさ」
「……しないよ」
できるわけがない。あの子と私は同じ穴の狢なのだ。
『良かった』と微笑むその人に、気遣われているあの子が羨ましい。振られたのは気の毒だけど。可愛かったのになぁ。
「えっと……女の子に告白されて、嫌だなとは思わなかった?」
「思わないよ。私、本気で好きになれる相手なら性別はどっちでもいいの」
「………………そうなんだ」
私は必死に動揺を隠した。
「じゃあさ、なんで、振ったの」
「……誰にも言わない?」
「言わない」
「私、細くて小さくて可愛らしい子って、見てて不安になるんだ。『大丈夫かな、倒れたりしないかな』って」
「そうなんだ? なんか、変わってるね」
私の言葉にフフッと笑顔が返ってきて、どきりとした。
「つまり、残念ながら好みじゃなかったってこと。ああいう子が可愛いって言われるのはわかるんだけど」
「あの……じゃあ、どんな子が」
好みなのか、と聞こうとした声がうまく言葉にならなかった。
「んー? 知りたい?」
思い切って頷いた。
「ちょっとぽちゃっとした人。柔らかそうな、触り心地が良さそうな人が良い。触り心地って言うか、抱き心地?」
そんなことを言いながら、にやっと笑って私を見つめてくる。赤くなるなという方が無理だった。
「ね。もしかして私のこと好き?」
答えられなかった。肯定も否定もできなくて、でも、真っ赤になって黙り込む私の顔は、きっと何より雄弁だったと思う。
「君なら私の好みなんだけどな」
「……ぇ……」
「照れた顔可愛い」
「そ、そんなこと初めて言われた……」
「私が初めてかぁ。嬉しいねぇ」
手を握られて心臓が跳ねた。
私の中の猫が『アーオ』と鳴く。
「私と付き合ってみない?」
そんな風に言われて。告白する勇気もなかった私に、こんな幸運があって良いのかと思った。
けど、拒絶なんかできるわけがない。
「……よろしくお願いします……」
くすくすと笑われた。
「なんで敬語。同じクラスでしょう」
「そうだけど」
「まあいいや。こちらこそよろしく」
その後、彼女が実は私の名前を覚えていなかったことが発覚したり。誰にでも優しいのは誰にも関心がないからだと気付いてしまったりもしたけれど。とにかく私の春恋は、まだまだ終わりそうにない。
ただ、最近は私の中の猫が少し落ち着き、騒がしく『アーオ』と鳴くことが減って、代わりにゴロゴロと喉を鳴らすようになった……気がする。
好きな人と密着していても、緊張でドキドキするどころか安心して、ウトウトするようになってしまった。
私が目を覚ますと彼女がにやにやと笑うから、きっと何かしらのイタズラをされている。
今度、寝たフリをして、現行犯で捕まえてやろうと思っている。
やや長め。1,000字程度です。
────────────────
【風景】
僕が旅に出た理由が一枚の絵だと言ったら、君には呆れられてしまうかな。
その絵は満月が森を照らしている様子を手前の崖から見下ろしたもので、森の中には泉と崩れかけた廃城があるんだ。泉の水面には月が白く映って、その白が森の暗さと無人の城の寂しさを際立たせる、そんな絵だ。
光の表現が素晴らしいんだ。
静けさと緊張感、ひんやりとした空気が漂ってきそうな、凛とした雰囲気を持つ絵だったんだよ。
その絵が実在の風景を描いたものだと知った時、僕はどうしても本物を見たいと思ってしまったんだ。自分でもどうかと思うよ。そんな理由で、こんな場所まで来てしまうなんて。
魔王が倒されてからもう何年も経ったと言っても、この辺りはまだまだ凶暴な魔獣が残っているし、道らしい道もないから移動も大変だろう。こうして君という案内人を雇って、やっとどうにか旅ができるような場所だからね。でも仕方がない。僕が見たいものはこの先、もっと北にあるんだ。
大丈夫。僕は優秀な治癒士なんだよ。これでも祖国では聖者と呼ばれていたんだ。欠損の再生もできる。もし、手足をなくしたら言ってくれ。君にはこれから世話になるし、腕の一本くらい生やしてあげるよ。
ああ。最終的な目的地かい?
そりゃあ、絵の中の城を見下ろす崖、あの場所に行きたいに決まっている。あの絵を描いた人と同じ視点で同じ風景を見たいんだ。
え。ここから北に城なんかないって?
何を言うんだ。あるだろ。ひとつ。
まさかって。
……そう、そのまさかだ。
魔王城だよ。他に何があると言うんだ。
僕が見た絵は勇者と共に旅をした剣士が趣味で描いたものなんだ。魔王を倒した直後の風景だったらしいよ。城が崩れかけているのは古いからじゃなくて、魔法使いの大規模攻撃魔法のせいなんだ。
え、知らないのかい。絵描きの剣聖。僕の祖国では有名人だよ。ああ、剣聖は知っているけど、彼が絵を描くことは知らなかった?
とにかく、僕が行きたいのは魔王城を見下ろす崖の上だよ。君は案内人としては優秀だと聞いている。ちゃんと連れて行ってくれるよね?
危険すぎるって?
わかってるよ。だからほら、護衛もいるじゃないか。僕だって戦えるよ。君のその剣も飾りじゃないんだろう?
魔王城跡地に竜が棲んでる?
本当かい?
それはすごい。ぜひ姿を見てみたいものだ。
ええ? 何を言ってるのさ、もう前金を渡したじゃないか。報酬は弾んだだろう?
僕はあの絵の風景を見るために聖者になったようなものなんだよ。ここに来るのは大変だってわかっていたからね。それだけ本気だってことさ。
大丈夫、即死じゃなければ治してあげるよ。
その時に僕が生きていたら、ね。
だからしっかり僕を守ってよね。
「性別って実はグラデーションなんだよ」なんて話をどこかで目にしたとか何だとか。
ある意味ちょっとセンシティブ。
───────────────────
【君と僕】
いつから『僕』という一人称を使わなくなったのだったか。今でも頭の中では、一番しっくりくるのは『僕』だと思っているけど、男になりたいわけでもない『私』には、それは世間的に許されないもので、いつの間にか矯正されていた。
昔から着飾ることには興味を持てない。アイドル? 俳優? ごめん、区別がつかないし関心もない。化粧なんてしなくて良いならしたくない。髪型は寝癖を楽に誤魔化せるならそれが一番良い。女性向けと言われるものの多くは僕には合わない。
いっそスーツを着てみたかった。ネクタイを締めてみたかった。ピカピカの革靴もパンプスじゃないやつを……でも、そんなものを望めば『性自認が男性なんだ』と思われかねない。違うのに。
そうじゃない、そうじゃないんだ。女らしくしていることが好きじゃないからって、男らしさが欲しいわけじゃない。男装に興味があるのと男になりたいのは違う。
僕の性別はたぶん『僕』なのだ。
でもその『枠に嵌まらない在り方』をわかってもらうのはなかなか難しいと感じている。
ただ君はそんな僕を受け入れてくれた。そのままでいいと言ってくれた。君の隣では自然体で居られる。僕は僕のまま、楽に息ができる。
流石に一人称は、うっかり外で『僕』と口に出すのはまずいから、話す時は『私』をキープしているけど。
君と僕は戸籍上同性だ。でも、この上ないパートナーだ。いつまで一緒に居られるだろう。できることなら添い遂げたい。ああ、法律が変わればいいのに。
(やだなぁ。フィクションだよ?)
おかしい、ここまで長くする気はなかったのに
──────────────
【元気かな】
女神様に加護をもらって、小国の第三王子に転生した。だけど俺は面倒なことは嫌だったから、自分の能力も加護も隠した。
うっかり次の王になんてなりたくない。兄上たちには勝たないように、目立たないように。役には立たないけど害にもならない、ひたすらそんな人物を目指した。
いつからか俺は「良いのは顔だけ」と言われるようになっていた。女神の加護があるから、見目が良いのは仕方がない。
そんな俺でも王子は王子だ。外交を兼ねて他国に留学することになった。
留学先でも、俺は『凡庸』を目指した。でも勉強はした。前世で思い知ったのだ。学んだことは武器になると。こっそり知識は身につけつつ、周囲にはあまりそれを見せないようにした。
留学開始からひと月ほど経った頃だ。遅れてやってきた別の国の姫に、俺は一目惚れした。スラリとした黒髪の美人で、本人は背の高さがコンプレックスみたいだった。格好良いのに。
だけど、その子は母国のごたごたで命を狙われていた。護衛の騎士にまで裏切られた彼女を連れて、俺は逃げた。
それまで隠していたものの全てを発揮して、俺は彼女を守った。冒険者のふりをして町に潜伏した。そのまま全部捨てて本当に冒険者になってしまいたかった。けど、彼女は逃げることを良しとしなかった。
どうしても母国に帰ると言う彼女を、俺はどうにか送り帰した。信頼できるという相手に託したものの、心配で心配で仕方がなかった。
俺自身も目立たず暮らすなんてことは無理になった。祖国に連れ戻され、実は顔だけではなかったと、特に魔法の腕前は宮廷魔法士並だったということがバレた。
兄上にお仕えして魔法士として働くくらいなら、まあ、仕方がないから受け入れようか。俺がそう諦めた頃、彼女の国でクーデターがあった。
クーデターの首謀者は彼女だ。
すぐにでも駆けつけたかったけど、王子である俺が他国の内紛に手を出したら、下手をすれば自分たちの国にも戦火が飛び火する。うちは小国なのだ。本気で戦争なんてしたら滅びてしまう。
もう王族籍を捨てて彼女に助太刀しよう、父上に絶縁してもらおう、そう決心した時だ。彼女が女王に即位するという知らせが届いた。
とにかく、生きていてくれたことにホッとして、それなら俺もまだ王子でいようと決めて。大変なことになっているはずの彼女の国に何かできないかと、支援の手段を調べた。うちの国力でできることなんてたかが知れてるけど。
彼女の即位から数日、父上が思い詰めたような顔をして俺を呼んだ。
「サイラス。お前はフレデリカ陛下を覚えているな?」
「もちろんです」
フレデリカは彼女の名前だ。潜伏中、男装させて『フレディ』と呼んだのはちょっと申し訳なかったな……
「婚約の申し入れがあった。お前を王配にと」
「……え」
王配。女王の伴侶。俺が?
「我が国の立場で断れる話では……」
「ぜひお受けしてください!」
俺は身を乗り出すようにしてそう言った。
フレデリカに会える。しかも俺と結婚してくれるらしい。彼女のことは思い出としてしまい込むしかないと思っていたのに。
元気かな。大きな怪我はしていないかな。きっと忙しいだろう。ちゃんと眠れているだろうか。
俺が彼女の支えになれるなら、なんでもしてやりたいと思った。
久々に会った彼女は、額に大きな傷痕があった。化粧で隠すこともできただろう。でも、その傷痕を見せてくれたことが、俺はなんだか嬉しかった。
女王になったフレデリカは、寂しそうに笑って言った。
「がっかりしていませんか。こんな傷痕を残してしまって……」
「まさか。とんでもない。貴女にお会いできただけで嬉しいです」
彼女は相変わらず背が高くて、凛々しくて、でも少し痩せたように見えた。無理もない。国のためとはいえ、家族を手に掛けたのだから。
俺の婚約者について、あれこれと噂が耳に入ってくる。そのほとんどは、新しい女王は恐ろしい方だというような内容だった。冷酷だとか無慈悲だとか。俺のフレデリカを形容するのに相応しい言葉だとは思えない。
中には訳知り顔をして「サイラス殿下もお気の毒に」と俺に同情してくるやつもいた。何が気の毒だというんだ。俺は学生時代の恋を叶えてここにいるのに。
「陛下。そろそろお休みになられては?」
今日も凛々しい婚約者に声を掛ける。もう少しだけと渋る彼女の額の傷痕にそっと口付けた。
「………………ッ!」
彼女は真っ赤になって狼狽えた。言葉がうまく出ないらしい。可愛いなぁ。こんなに可愛らしい人なんだけどな。でもまあ、それを知るのは俺だけでいい。
額の傷痕は俺が治癒魔法を使えば消せるだろう。だけど、彼女はそれをたぶん望まないと思うから。俺は彼女をその傷ごと愛でると決めている。