【冬は一緒に】
彼女は家族との相性が悪く、自分を守るために距離を置くと決めて、実家を出てきたという人だった。
「母によく言われてたよ。『ひとり暮らしは寂しい』『家に帰っても誰も居ないなんて耐えられない』『あなたには絶対に無理だ』って」
でもねぇ、と彼女は苦笑した。
「全然そんなことなかった。引っ越して初日の夜、部屋にひとりきりで、私が何を感じたと思う?」
わからない、と私は正直に答えた。
「『ああ、良かった』って思ったの。『これで自由だ』『やっとひとりになれた』『開放感が素晴らしい』って。『寂しい』なんて気持ちは本当に少しもなかったなぁ」
「でも、たまには寂しくないですか?」
「そうね。具合が悪い時とか、ちょっとだけ。それでも、実家に居た頃に比べたら……」
親も子もお互いを選べない。確かに、合わない組み合わせというのもあるのだろう。残念なことだが。
「あとはね、暖房って、人が居ないと効きにくいんだなって思ったよ。36度の発熱体がそこに居るってだけで、室温って上がるんだね。家賃が安いのはいいんだけど、建物が古くて無駄に広いから寒くって」
灯油を使うファンヒーターやストーブは使用禁止らしく、現在、暖房はエアコンだけで頑張っているらしい。
「たぶんエアコンの性能が部屋の広さに合ってないんだよ。なかなか設定温度まで上がらなくてさ。こたつを買うか迷ってるけど、あれってその場から動けなくなるじゃない」
「えっと、じゃあ……今度、よ、良かったら、遊びに行ってもいいですか?」
かなり緊張しながら聞くと、彼女は一瞬だけきょとんとした。
「ほら、あの。私も一応36度の発熱体なので。少しは、部屋、暖める手伝いになりますよね、たぶん。だから、その。この冬は一緒に鍋でもしませんか。食材は持って行くので」
もっとしっかりとわかりやすく喋るつもりだったのに、しどろもどろになってしまって、私は赤面した。
「あ、でもでも。もちろん、もし、誰かを部屋に入れるのが嫌なら、場所は、私の家でもいいんですけど……」
我ながら必死すぎて格好悪い。でもずっと、彼女とはもっと親しくなりたいと思っていたのだ。
彼女がくすっと笑った。
「いいね、鍋。鍋自体も発熱体だし、きっと暖かいよね」
どうやら嫌悪感は持たれずに済んだみたいでホッとした。
「けど……うちにはカセットコンロとかないからなぁ」
「あ。それなら、私、卓上IHヒーター持ってます」
「本当? 持ってきてくれる?」
それは、私が彼女の家に行ってもいいってことだ。そうだよね?
「もちろん。持って行きます」
「じゃあさ、食材は一緒に買い出しに行こうよ。スーパーが近いから買い物は便利だよ」
「そうしましょう、ぜひ」
彼女が『無駄に広い』と言った部屋は確かに広くて、元は家族用の間取りだったのだろうと思った。水回りなどはリフォームされていたものの、あちらこちらの雰囲気から建物の築年数が察せられる。
だけど、どういうわけだか居心地が良くて。私はすっかり彼女の家に入り浸るようになってしまった。
「誕生日、近いですよね?」
どんなものを贈ればいいか思い付かなくて、私は思い切って彼女に直接聞くことにした。
「何か欲しいものはないですか」
「そうだなあ」
彼女はいたずらっぽく笑った。
「ね、そろそろ敬語やめない?」
「え?」
「プレゼント、今年はそれでいいよ」
それは、まあ、構わないけれど。
「流石にそれだけじゃあ……」
「じゃあさ、あの卓上ヒーター。あれ、便利だよねぇ」
「わかりました。同じやつ探します」
「敬語になってるよ?」
「まだ誕生日じゃないので、当日までは」
ちょっとすぐには切り替えられなくて、私はそう言い訳をした。
「わかったよ。そういうことにしてあげる」
家族とは一緒に居られなかった彼女が、私とは一緒に過ごしてくれる。そのことに、私はなんとなく安堵している。
【とりとめもない話】
「とりとめもない話なんていうのはさ、相手によっては鬱陶しいだけでしょ?」
「まあ、それを言ったらほとんどの雑談はとりとめもないけどな」
「私はさー、結構頭の中がうるさいタイプなわけよ」
「あー。確かに急に話題が飛ぶ時あるよな」
「アウトプットしたいけど、それの全部に他人を付き合わせるわけにはいかないじゃない」
「まあ、俺だっていつも話を聞けるとは限らないからなあ」
「SNSに垂れ流すのもどうかと思うし」
「個人情報もあるしなー」
「そんな事情で、私にはなんでも書けるノートが必要なの。話す代わりに書いていくことで頭の中を整理してるの」
「……それが、また高級ノートと万年筆を増やした言い訳か」
今、私たちの前のテーブルには、定価が一冊1,200円のノートと3,300円の万年筆がある。
「万年筆の中では安い方なんだよ!?」
「一体これで何本目だって話だよ!」
「…………ごめんなさい」
私は素直に謝り、項垂れた。
後日。
「こっちがバレなくて良かったよねぇ」
私はうふふと笑いながら、本命の木軸漆塗りの万年筆にインクを入れた。
見方によっては百合かもしれない。
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【風邪】
1LDKでちょっと強引な二人暮らしでは、具合が悪いと言われても隔離する場所もない。彼女を看病するうちに、風邪は案の定私にうつっていた。
しかも症状は私の方が重くて、喉は痛いし、頭も痛い。インフルエンザじゃないのが不思議なくらいの熱が出た。
起き上がることもままならない私に彼女が聞いた。
「何か食べたいものある?」
先に動けるようになった彼女が買うなり作るなりしてくれると言うんだけど、私が食べたいものはひとつだけ。
「お粥が食べたい……」
痛む喉からはほとんど声が出なかった。私の顔を見て、彼女は何かを察したらしい。
「それって、アレでしょ。『米から自分で煮た美味しいお粥が食べたい』ってことだよね」
こくりと頷く。彼女が「まいったね」と苦笑した。
自慢じゃないけど、私は料理が得意だ。自炊ができることは長所だろう。自身の好みの味に仕上げるのは作り手の特権だ。だけどそのせいで困ることもあって……私にとって一番美味しいお粥は、自分で作ったお粥なのだ。
具合が悪くてキッチンに立てない。そんな時にも食べたくなるのは自分の料理。そして彼女はあまり料理が得意ではない。
私は彼女を見上げて言った。
「レトルト買ってきて……できたら、卵入りのお粥がいい……」
炊いてあるご飯を煮たお粥よりはまだレトルトの方が食べられる気がした。
どうにか風邪が治り、私は一冊のノートを買ってきた。しっかりとした表紙のちょっと高級なノートである。
最初のページに書いたのは『レシピ帳』と四文字だけ。そこから数ページは目次用にあけておき、まずは『お粥の炊き方』を。なるべくわかりやすく、あまり料理をしたことがない人が見ても作れるようにと書いていく。
レシピ帳を作ることにした一番の理由は、私が具合を悪くした時に、彼女に作ってもらいたいから。アナログなのは、もしパソコンに何かあってデータが消えたら意味がないからだ。
だけど、彼女の負担になるようなら無理強いをするつもりはない。ただただ自分が作ったものを記録するだけになっても構わなかった。普段の私の料理は目分量だから、誰かに教えるつもりで書くのは難しい。改めてちゃんとした計量スプーンを買った。
もしもこの先、彼女が料理に興味を持ってくれたら。そうじゃなくても、私に何かあって料理を作れなくなったら。私が今まで作ってきた料理の詳細は私しか知らない。何かの形で残しておくというのは悪くない。
風邪をひいて大変な目には遭ったけど、新しい趣味ができた。料理を作ることと同じかそれ以上に、私はレシピをまとめることが楽しくなっていった。
彼女は相変わらず料理を作ることが好きではない。その分他の家事をしながら「作りたくない」とはっきり言う。だけど、私の『お粥の炊き方』だけは、覚えようとしてくれているようである。
【雪を待つ】
気圧性の頭痛及び自業自得による眼精疲労のためお休みします
もし回復して書けそうなら書きたいです
皆様もご自愛ください
百合のつもりで書いています。苦手な方はご注意ください。
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【イルミネーション】
珍しくテレビを見ていた彼女が言った。
「こういうの、見に行きたいと思う?」
画面には観光客に人気だというイルミネーション。何やらクリスマスの夜景をランキング形式で紹介する番組らしい。映像は去年のもののようだ。
「私は別にどっちでもいいかな。綺麗だとは思うけど、寒いし、人も多いだろうし……」
私もそうだけど、彼女は人混みが好きじゃない。それに、私以上に寒さが苦手だ。本人は何故か「寒くない!」と強がるけど、風邪を引かせたくはない。何より、外はどうしても人目が気になる。デートスポットなら尚更だ。
「結局は、家の中の方が良くない?」
言って、彼女の隣に擦り寄るように座った。ここなら誰も見ていない。好きなだけくっつけるし存分にいちゃいちゃできる。
「でも綺麗なものは好きでしょ」
「うーん。外だとべたべたできないからヤダ。部屋の中から見られるなら良いけど」
彼女がスッと立ち上がった。
「あ、逃げた。居なくなると寒いんだけど」
くっつく口実とばかりに、部屋の温度をほんの少し低めにしているのはわざとである。
「お茶淹れるだけだよ。冬だし、紅茶にブランデーを少し……なんて、どう?」
「最ッ高」
流石、私の好きなものをよく知っている。
「ちゃんと甘くしてよ?」
「それくらい自分でしなさい」
説教っぽい口調で、呆れたように言いながら、それでも砂糖もスプーンも私の手元まで運んでくれる。ならばブランデーの瓶は私が持ってこよう。彼女は私を甘やかすし、私は彼女を甘やかす。私たちはそういう関係だ。
熱い紅茶に角砂糖を三個。ブランデーは目分量だけど、大さじ一杯くらいか。しばらく前に購入した少しお高いお酒は、小瓶なのにたまにしか飲まないせいでなかなか減らない。
動きにくいくらいぴったりくっついて、二人でお茶を飲む。テレビでは綺麗だけど寒そうな景色について、誰かが何か喋っている。
甘ったるくていい香りがして、温かくて、ふわりと酔ってしまいそう。紅茶はもちろんだけど、彼女自身が私にとってそういう存在。
そんな彼女にわざわざイルミネーションを見るために寒い思いをさせるなんて。その上、手を繋ぐのもままならないのだから、外に出るのは気が進まない。
「美味しい」
私より角砂糖ひとつ甘さを控えた彼女が、満足そうにほうっと息を吐く。
その横顔を見るのに忙しい私は、もうテレビなんてどうでも良かった。