―また会いましょう―
AM6:13
僕は、人々が次々と目覚め出す時間帯に、
人探しのため全力疾走していた
そう、思い返すのは昨夜のこと―
月や星も眠る深い夜の中、彼女は寝室を抜け出した
人の気配に敏感であるという
僕の特殊な職業柄のため、
彼女の動きに素早く気づくことができた
まるで蝶がサナギに形を残して旅立つように、
彼女は布団に自分の跡を残したまま、静かに去った
呼び止めることは考えた
あとをつけることも考えた
でも、疲労の溜まっていた僕が
眠気に勝てる筈がなくて、
そのまま眠りに落ちてしまった
朝、目が覚めて覚醒するや否や、布団から飛び起きた
隣のベッドの方を向いた
案の定彼女はいなかった
もしかしたら知らずのうちに帰って来ているかもとか
あれは本当は夢の中の出来事で、疲労のせいで
現実と見分けがつかなくなっていたのかもとか
色々考えての行動だったけど、
やはり布団は彼女の形をうつしたまま崩れなかった
そのまま思考が停止した
ぼーっとしていると、彼女のベッドの枕に
染みができていることに気づいた
おそらく、涙…
彼女は、眠っている僕の隣で
声を殺して泣いたのだろうか
いつも完璧で、何をやらせても何でもできる彼女
笑顔を崩すことなく人と接する彼女
きっとそんな彼女でも耐えられないことが
あるんだろう
というか、あったんだ
僕はそれに気づけなかった
彼女の気配は分かれても、
彼女の本音には気づけなかった
そんな今、やれることはひとつ
僕は彼女を探すことに決めた
彼女を探しに行く準備のため、まずリビングに行った
すると、ダイニングテーブルの上に
こんな書き置きを見つけた
『―急に家を出たりなんてしてごめんなさい
驚かせたでしょう?
あぁ、先に言っておく
私が家を出た理由は、あなたに関することじゃない
あなたのことが嫌になったとか、そういうのじゃない
ただ、ちょっと苦しくなってきただけ
少ししたらきっとまた調子を取り戻して
帰ってくると思うから
変に心配して探しに来たりしないでね
また会いましょう―』
部屋全体を見回した
彼女が残した跡はあるのに、
気配だけが全くない部屋
いつもと違う
理由は君が傍にいないから
『もちろん…今に会えるよ』
―スリル―
『あなたもとっておきのスリルを感じてみませんか!?』
ハガキの上の方に大きく書かれたゴシック体の文字
これが不幸の始まりだった
俺は、この世界のどこにでもいるような、
取り柄のない人間
職業は学生兼暇人だ
そしてたった今…
選ばれし者になったようだ
手の中にある漫画に挟まったハガキを見つめる
繰り返される日々に飽き飽きしてきていて、
何か面白いことでも起きないかと、考えながら
読んでいた漫画の次のページをめくると、
挟まってあった
あなたに見つけてもらえる日を心待ちにしていました
とでも言いたげなそのハガキを無視するという
選択肢なんて、その時の俺にはなくて、
一瞬にして目を奪われた
これこそ今の俺が求めていたものだと、そう思った
漫画から抜き取り、漫画を放りっぱなしにして
ざっとハガキに目を通す
『このハガキを見てあるそこの君!!
あんたは選ばれし者であるんです!
学校とか家事とか仕事とかある
毎日の生活に飽きてますか?
そこで▒▒▒▒グループは、無日常的な時間を
あなたに届けいたします!!
我々▒▒▒▒グループが作り出す至高のスリルを
ぜひご堪能くだしませ!
以下の書いた通りにおいでください
お待ちします』
言い回しがどことなく胡散臭いし、
二人称も不定称、
何より日本語がところどころおかしくて、
企業名か何かと思われる何とかグループの部分は
網掛けされたようになっていて、読めそうになかった
1番下に書いてある何とかグループの連絡先も
きっちり網掛けされていた
それでも俺は一切怪しまず、疑わなかった
興奮かなにかで正常じゃなかったんだろう…多分
下に、書いてある日時や場所、注意事項などを読んで記憶し、記入事項の部分に目をやる
俺の手はひとりでにペンを取り、
そのままサラサラとハガキに走らせた
どんなことを記入したかは覚えていない
ハガキをポストに投函した時のことすら、
よく覚えていない
けれど、夢中になっていたのは確かだった
記載に従って俺は遠い街の廃墟ビルに来た
中には様々な年齢の人たちがいたが、
見た感じ俺と同じくらいの年齢の人がほとんどだった
至高のスリル…一体どんなのだろう
頭に浮かんだのは
俺の好きな漫画のジャンル、デスゲーム
もしあの漫画のようにデスゲームに巻き込まれたら
俺の人生、言うことなしだ
…と、思っていた
『こ、こんなの聞いてねぇよ…』
ハガキに書いてあった文字を思い出す
―無日常的(=非日常的)な時間―
ここに来て10分と経たずにわかった
あれは、日常を断ち切り、
日常を無くす時間という意味…!!
断末魔の叫びが聞こえた
プツンと意識が途切れた
そして、俺がこの世で目を覚ますことは無かった
俺はこの世界のどこにでもいるような、
取り柄のない人間だった
職業は学生兼暇人だった
そしてたった今…
このゲーム初めの犠牲者になったようだ
―意味がないこと―
戦争なんて意味がない?
戦争なんて起きなければ良かった?
私はそうは思わない
戦争がなければ、私たちは命の大切さを
知れなかったかもしれないから
戦争による悪影響の大きさに気づいたおかげで
今ここに平和が流れているから
ほら、私たちは意味がないことから
色んなことを学んできたでしょう?
意味がないことがなければ、
それに意味がないと気づくことはできない
でも、意味がないことに意味がないと
気づかないと、それこそ無意味だ
無意味だと気づいたところで、
改善しなければ意味がない
なら、意味がないことを意味があったことに
変えないと
君が感じた少しの違和感、
聞こえた悲鳴や
新しい知識…
変わるチャンスならたくさんある
―暗がりの中で―
気づけば視界は真っ黒だった。
何も見えない暗がりの中で、私は、
壁?に背中を預けて床?に座っていた。
私はパニックになった。
何故こんな暗いところにいるんだ。
そもそもここはどこなんだ。
吹き付けてくる冷たい風から、
おそらく屋外なんだと分かる。
でもそれだけだ。
必死に頭の中で記憶を甦らせていると、
人が近づいてくる気配がした。
不思議なことに、足音は全く聞こえなかったが、
その人はこっちに向かっているようだ。
人並外れた私の聴力でも
その人の足音は聞こえない。
ということは、只者ではないのかもしれない。
すると前方約1mのところで、
服が擦れるような音がした。
私の目の前でしゃがみ込んだとか、
そんなところだろう。
「大丈夫かい?
怖いだろうけど、すぐに助けてあげるから。
じっとしてるんだよ」
声が聞こえた。たぶん、私の目の前にいる人だ。
私は、
『誰ですか?』
と聞こうとして、口を開こうとした。
その時に初めて、口元の違和感を覚えた。
声を出すと、自分の声がこもって聞こえた。
発声者で無ければ言葉として聞き取ることは
できないだろう。
これは…口枷?
…!
じゃあ、ここは
そう思った時、暗がりがサッと晴れた。
晴れたと言っても、見る限り、今、私が居るのは
ビルかどこかの屋上のようだった。
私の頭上で光る蛍光灯と月明かりのせいで
一瞬明るい風景に見えたが、今は夜中らしい。
星が瞬く空を背景に、
目の前の人の姿も明らかになる。
黒いスーツに光沢のある青いネクタイを纏い、
黒いスカーフのような布を手にした若い男の人。
どうやら先程までの暗闇はこのスカーフが
私の顔を覆うことで作り出していたものらしい。
月明かりを浴びているせいなのか、
私の目に神々しく映ったその人は
私の項の近くに手をやり、口枷を外してくれた。
『貴方は…?』
「名乗れる程の身分じゃないんでね。」
そう言って悲しそうに微笑んだ。
「…でも、確かに呼び名が無いのは少々不便だ…
…じゃあ、俺のことは―
ムーンとでも呼んでくれる?
それで、君の名前は?」
―紅茶の香り―
扉を数センチ開くと、
暖かな光が隙間から漏れた。
その光に吸い寄せられるように、
私は扉を大きく開き、中へと足を踏み入れた。
夕暮れ時の暗い路地裏から
いきなり眩しい所へ入ったせいで、
しばらくは目が眩んでいて、何も見えなかった。
身体中が少しずつ温まって、
穏やかな気分になった。
気分が良くなってきた頃、
不思議な香りを感じた。
強いような、柔らかいような、
鼻に抜けるほど刺激的なような。
心地よい渋みもあるけれど、
淡いような、不思議な香り。
でも、不思議と心が落ち着く香り。
紅茶の香りだろうか、と気づき始めた時には、
目が眩しさに慣れてきて、
段々と見えるようになった。
目の前の洋室に圧倒していると、
私に声が掛かった。
「いらっしゃいませ
よくここへ辿り着きましたね
ここまで来ればもう安心ですから
くつろいでいってください」
紅茶の注がれる音がした。
「…さぁ、聞かせてくださいな、
貴方が苦しむ訳を
…この私が、必ず貴方を導きましょう」