微熱
「あーなんか熱っぼいな。」
リビングに入ってくるなり、誰に言うでもなく、独り言にしては大き過ぎる声量で夫が言った。
電子体温計を見つけ出し、おもむろに脇に差し込む。
私は撫でてくれと付き纏う犬の背中を優しく撫でてやりながらチラと夫を見た。
ピピッと電子音が鳴り、体温計を引き抜く夫。
「やっぱりかー、三十六度七分。うん、熱があるな、微熱だ。」
夫は満足気にこちらを向き、体温計の先をチラチラ振ってみせる。
私はその姿を見て無性にイライラしてしまった。
この感情に名前を付けたい。
どうせろくな名前にはならないだろうけど。
足元では、犬がまだ私に撫でろと催促し続けている。
お題
微熱
セーター
母が初めて私にセーターを編んでくれたのは、たしか私が小学五年生の頃だったと思う。
「編み物を始めるの。」
当時からじっとしているということがなかった母は、仕事のかたわら家事をテキパキとこなし、書道や弓道、洋裁や和裁など、すでに趣味を超えた範囲で嗜んでいた。
その母が編み物を始める、と嬉々として私に言ったのだ。
当時、反抗期が始まっていた私は母の趣味になどもちろん興味はなく、いつものように軽く聞き流していた。
出来上がった母の一作目のセーターは、お世辞にも良い出来とは言い難かった。
首周りのゴム編みは伸び切ってダルダルだったし、ところどころ編み目が飛んでもいた。
それでも、兄でもなく、姉でもなく、私のために編まれたピンク色のそれはふかふかで温かく、何よりも母の気持ちがこもっているような気がした。
兄弟姉妹がいる人には分かってもらえるだろうか。
どんなに親が差別なく平等に子どもたちを育てたとしても、兄弟姉妹に対する嫉妬や妬みの感情はゼロにはならないものだ。
残念ながら、そのセーターはもう手元にはないけれど、くすんだピンク色の何とも言えない可愛らしさや、手触り、首周りの伸び具合まで、今でもはっきりと思い出すことが出来る。
齢八十を越えた母は、昨年父を見送ったあと、しばらくはもぬけの殻だった。
十年以上の期間、介護が必要な父のためだけに尽くしてきた母。
もう復活は見込めないのかと思うくらい気弱になってしまった母だったが、今年に入り奇跡的に復活を遂げた。
地域のゴミ拾いボランティアや区民体操、手芸教室と毎日忙しく動き回っている。
そうそう。
そう言えば、最近はまた新たに写経を始めると言っていたっけ。
お題
セーター
夫婦
親子とか家族みたいな、ある種言葉では説明の付かない、縁と呼ばれるようなもので結ばれた関係が昔から苦手だった。
だって、それは血が繋がっているという理由だけで生活を共にしてはいるが、私が好んで選んだ人たちではないのだから。
気が合わなくたって当然だし、半ば仕方がないと諦めてもいた。
一方、夫婦はどうだろう?
これは、紛れもなく私自身が好んで選んだ関係性の人だ。
なのにあろうことか、血縁の相手よりもさらにタチが悪いではないか。
それに、自分が産んだはずの子どもたちだってそうだ。
私には子どもが三人いるのだが、三人が三人、誰一人、私の思うようには育たなかった。
似て欲しいところは似ず、似て欲しくないところばかりが継承された。
でも、きっと子どもとはそういうものなのだろう。
思うままそのまま、それぞれが自分たちの道を進んで行くのがあるべき姿なのだと。
かつての自分がそうであったように。
さて、残ったのは夫だ。
彼のことは、分かっているようで分からない。
知っているようで何一つ知らない。
分かったような、知ったような気になっていた時期もあるにはあったが、今は何周か回ったのち、何度目かの分からないというフェーズに突入している。
夫とはきっと、そんなよく知らない、分からない存在の人のことを言うのだろう、と最近は思うようになった。
お題
夫婦
宝物
どこかへ連れて行ってくれた記憶も小遣いをくれた記憶も一度としてない父。
そんな父が唯一私にくれたものがある。
無垢の木で作られた宝石箱型のオルゴールだ。
子どもの両手でようやく持てる重さのそれは、大人になった私からしてみても、そこそこ大きく立派な代物だ。
裏を見ると、消えかけた金文字でおたんじょうびおめでとう○○(私の名)と、生年月日が書かれてある。
これは物心つく前からすでに私の手元にあり、子ども心に大切にしなければならないものだと分かっていた。
時々、そっと裏のネジを巻いては、蓋を開け、七つの子を響かせてみるものの、それはいつ聴いても物悲しいメロディーだった。
金額的なことだけで言えば、大人になった私はこのオルゴールよりも高価なジュエリーやバッグをいくつも持っている。
けれど、宝物は?と問われると私にとっては父がくれたオルゴールがそれにあたる。
そんな父も、昨年ついに鬼籍に入った。
オルゴールは正真正銘、私の宝物になった。
お題
宝物
冬になったら
冬になったらしたいことを一生懸命考えてみている。
ウインタースポーツは壊滅的にセンスがないことはすでに自覚済みだ。
若い頃、友人に誘われて行った初めてのスノーボードで後ろからスキーヤーに激突され、スノーモービルでふもとまで運ばれて以来のトラウマだ。
あのときは右左どっちか忘れたが、膝の裏に恐ろしい顔型をしたでっかいアザが出来たんだっけ。
あれはたぶん、冬や雪や、強引に私を誘った友人や下手くそなスキーヤーに対する私の恨みや憎しみが化身となって膝の裏に現れたものだと、半ば本気で信じている。
それ以前にスポーツ全般が笑っちゃうくらい苦手なのだが。
あと当たり前だが冬は寒い。
すでにもうここからしてつらい。
夏でもクーラーと同時に電気毛布に包まれて寝ている私としては(誰も信じないが本当だ)、冬の寒さは本当に堪える。
肋間を始め、坐骨にも神経痛が出る。
あのピリピリチクチク、四六時中針で刺されているような感覚は控えめに言って神経を病む。
後頭神経痛に至ってはもう出たら最後、死ぬほどつらい。
それと年の瀬から春先、桜の頼りが届く頃まではだいたい扁桃腺が腫れている。
お陰で抗生物質と痛み止めをこれでもかと飲む羽目になる。
あと冬はおしゃれのしがいがないのもつまらない。
外出中はコートですべてが隠れてしまい、その日のコーディネートがちっともお披露目できないではないか。
だから私はどんなに寒くてもコートの前だけは閉じないようにしている。
もうこうなったら自分との我慢比べだ。
だから体が冷え、免疫力が下がり、神経痛と扁桃腺炎を発症する。
もう完全なる負のスパイラルだ。
それでも冬はおいしいものがたくさんあるし、多少太っても人に気付かれる心配がないのがいい。
毎年恒例、お正月明けから始めるダイエットまでのモラトリアム期間はたらふくご馳走を食べ、思う存分幸せに浸ろうと思う。
冬最高だ!!
お題
冬になったら