『踊るように』
「まるで踊っているようだ」
呟いたはずの言葉は思いの外、大きかった。
文机でさらさらと筆を滑らせていた先生が、何を言っているんだというような目を向けてくる。
「あ……その……すみません。先生の筆が踊っているように見えたので」
なんでもありませんと言うつもりだったのに、先生の視線には勝てなかった。
踊っているよう、と表現した訳を話すと先生はそっと筆を置いて体をこちらに向けた。
「踊るなんて初めて言われました。具体的にお聞きしたいです」
「え、あの……それは」
まるで責められているかのように感じた。
そんなことを聞かれるなんて思っていなかったから。
何となく焦りはしたが、咄嗟に誤魔化しが思いつかなかったのでもう素直に答えることにした。
「先生の筆の動きが大きかったり小さかったり、早くなったり遅くなったり……時折止まったり……そういう動きが何だか踊っているように見えたのです」
別に先生だけではない。筆を使う時はそうなることが多いので、当たり前のことではある。
しかし先生の筆の動かし方は美しく、落ち着いていて優しく紙の上で自由に踊っている気がしたのだ。
それを包み隠さず伝えると、先生は一瞬だけ驚いたような表情をした。
そして再び文机に向い、筆を手にする。
「嬉しいお言葉です。しかしそこまで見られたと分かると、少々恥ずかしいので……あまり見ないでください」
先生の横顔は少し照れくさそうな顔だった。
創作 2023/09/07
『時を告げる』
(※多少ホラー話注意)
広島に生まれ育った者であるからか、8月6日午前8時15分の鐘の音には敏感だ。
広島の小中学生の平和学習は、語り継がれる原爆の体験談と知識が叩き込まれる。
生まれ育ったこの地で起こったあの出来事を体験してないのに、毎年行われる平和記念式典の鐘の音を聞くと時がまた経過したのだと感じさせる。
話は少しそれるが、原爆ドーム付近には沢山の霊がいるといわれている。
霊感がある者が近付くと気分が悪くなるとの噂も聞くし、近くの学校に通う霊感が強い生徒が視えすぎて学校に行けなくなったという話も聞いた。学校に出るらしい。
私自身も視たわけではないが、原爆ドームにデジカメを向けたところ「動くものがあると表示されるマーク」が画面に出たことがある。肉眼では何も動くものが映っていないのに。
昭和20年8月6日、当時は被爆した人々が水を求めて川へ向かったと聞く。原爆ドーム付近にも川がある。
多くの人が川で亡くなった。
毎年平和記念式典で黙祷を捧げ、平和を祈り、沢山の献花がされるが未だに彷徨っている霊魂があるのだろうか。
彼らはこれから何年経ってもそこに無念の思いを残し続けるのだろうか。
今年はもう過ぎ去ったけど、来年も再来年もまたその次の年も
8月6日には鐘が時を告げるだろう。
彼らの悔しさが癒えるかもわからぬまま何度でも――。
ノンフィクション 2023/09/07
『きらめき』
学生時代が一番きらめいていたと思う。
だけど振り返ってみると、大した青春もない。恋愛だって上手く出来なかったし、友達だって多くはなかった。遊んだ記憶もわいわいとした記憶も少ない。
しかし、興味のあることを直接教えてもらえた。
興味のあることを研究できた。
社会人になってからじゃやること自体が難しい運動だって出来た。
社会人になったら興味のあることは独学。わからないことがあっても聞く先生もいない。
運動も続かないし、学生時代にできてた複数でやる競技も一人じゃ出来ない。
当時は辛いこともあった。HSP気質だとは知らずに過ごした学生時代は集団生活に馴染まなく、体調不良ばかりだった。不登校にはならなかったけれど。
でも、振り返ればあの頃が一番時間があってあの頃が一番きらめいていたと感じる。
刺激には弱いけど、刺激が一番きらめきを感じるのである。
もうあの頃のような刺激は与えられないのだろうか。
ノンフィクション 2023/09/05
(いつもは創作だけど今日は心の声)
『些細なことでも』
「人間は些細なことでも争いを始める弱き生き物だ。我らがそれを作ってやれば良い。そうすれば我々が手をくださずとも良い」
一つの提案に多くの賛同が集まった。
我ら一族の存続をかけた会議であったが、我には到底理解できない薄っぺらい内容だ。
「そんなんで人間が滅ぶわけがない」
少し呟いただけのつもりが、思いの外響いた。
一斉に注目を浴びてしまう。
「何だと? 貴様、長の提案に異議を唱えるか」
「異議などない。ただ、その些細なことを慎重に選ぶのが重要となる。人間文明は長く続いている。存続させてきている種を些細なことで滅ぼすには相当の苦労を要するだろう」
確かに。という声があちこちであがった。
だが偉そうな長の補佐はそれを許さない。
「そんなわけない。上手いくいく」
「上手くいくわけがない。お前の大したことのない頭ではな」
「何だと!?」
勢いよく立ち上がって怒り心頭の補佐に我は笑うしかなかった。
何がおかしいと叫ぶ補佐に言ってやることにした。
「今ので怒ったか。我の些細な発言に、お前は今にも我を殺めそうだ。……我らも人間と同じよ。些細なことで争いを始める一族だ。だから我らも弱き者ということだろう?なぁ長」
「むぅ……」
「だから共存を目指すべきだ。弱き者同士。我はそれを提案する。確実に我が一族が存続するためには」
「しかし、我らが人間に滅ぼされる可能性も……」
我はくっくっと笑う。
「長、お忘れか?我ら一族は人間に化けることが出来る。そして交わることも可能。だが遺伝子は我らが強い。……人間が気づかぬ間に我が一族が人間社会に君臨するだろう。”些細なことでも”確実に」
創作 2023/09/04
(ちょっと難しいお題でよくわかんなくなりました)
『心の灯火』
長く続く戦乱の世がいつ終わるとも知れぬ。
果てしない斬り合いに、己の心が荒んでいくのを感じていた。
会話も、共に過ごした時間もなければ、顔すら見たことがない人をこの手にかける。
心の底では「人なんて斬りたくない」
多くの者がそう思っているのに、大義だの誇りだの勝利だののために刀を抜く。
話し合うこともせず、ただ力で黙らせることに未来はあるのだろうか。
そう、自身も疑問を抱いているのに
この体は止まらない。
とっくに心が壊れていてもおかしくはないのに、紙一重で正気を保っていられるのは
そんな己にも帰りを待つ愛する女〈ひと〉がいるからである。
彼の女の笑った顔、優しい顔――多様な顔の記憶が、刀を握りしめている間でも己の心に灯火を与えている。
必ず生きて帰る。
己が己を保つために。
創作 2023/09/03