木漏れ日の跡(914.6)
日本アルプスの山々に登っていた事がある。
自然は好きだ。
土の地面を歩くと立ち昇る匂いや、目に優しい緑、圧倒される大岩や切り立った崖、美味しい空気に、可愛い高山植物など。
「木漏れ日の跡」というお題からは、登山に向かう道中、森林限界を越える前、天気が良い日には木々の隙間から漏れる光のシャワーが地面にくっきりとした陰影のまだら模様を描いていた光景を思い出す。
今は体力と熊が怖くて山に行きたいとは思えないけれど、自分でお湯を沸かして山の上でコーヒーを飲むロマンを叶えた日の事とか、雲ノ平山荘でいただいた粕汁が最高に美味しかった事とか、大雨に降られて全く景色を堪能できなかった登山で地図の稜線を埋める楽しみを教えてもらった事とか、槍ヶ岳のとあるテント場にあるトイレで衝撃的な絵面を見た(詳しくは汚い話なので自粛)事とか、思い出がたくさんある。
とはいえ、これらは結構昔の話だ。
創作に使える知識や経験を、特にここ数十年、意識して収集できていないなと反省。
時々こうして創作ではないものでお茶を濁しながら、今後少しづつ新たなネタや知識をリアルの世界から拾って創作に活かし、書くことを楽しみたいと思う。
ささやかな約束(オリジナル)
認知症の母の介護のため、実家に戻った。
まれに正気に戻って娘の事を認識するが、普段は全く覚えておらず、苦難の日々が続いている。
母は足腰が弱ってきているが、一緒であればまだ外出可能なため、時々気分転換で散歩に連れ出している。
今日は少し賑やかな駅前通りを歩いていた。
ふと、母が立ち止まった。
手を繋いでいたので、必然的に自分の足も止まる。
母の視線の先には、昔からあるアイスクリーム屋。
「アイス食べたいの?」
私が尋ねると、母は私の手を引いて、吸い込まれるようにそのお店に入った。
並んでアイスを買う。順番が来て、
「チョコミントください」
と母が言い、私は驚いた。
母は健康志向で、あの人工着色のような青いミントを嫌っていた。私が食べたいと言っても食べさせてもらえず、いつもバニラばかりだった。
(本当は食べたかったのかな?)
子供の健康のためにと我慢していたのかも。
そんな事を考えながらお店を出ると、母が、
「はい」
と、そのアイスを、私に差し出してきた。
「え?」
「今度立ち寄る事があったら買ってあげるって約束してたでしょ」
そう言われて、はるか昔の記憶が蘇った。
子供の頃に一度だけ、このお店でチョコミントアイスを買ってもらった事があった。
しかし、お店を出てすぐ、コーンにのったアイスを舌で舐めたところ、アイス部分をポロリと地面に落としてしまい、結局食べる事ができなかった。
拾おうとして止められ、せっかくのチョコミントアイスを逃した悲しさと己の不甲斐なさに泣きそうになっていた私に、母はそのように言ったのだが、結局、その約束が果たされる事はなかった。
それなのに。
母はニコニコとこちらを見ている。
「いいの?」
「もちろん」
母からアイスを受け取り、今度こそ落とさないよう慎重にアイスを舐める。
「どう?美味しい?」
「うん」
覚えていてくれた。
色々忘れた中でも、こうして思い出してくれたという事は、母の中で大きな事だったのかもしれない事が、とても嬉しい。
私は涙で頬をベショベショに濡らしながら、大切にチョコミントアイスを食べた。
この味を、時を、気持ちを、一生忘れないと思う。
祈りの果て(オリジナル)
いじめにあっていた小学校時代、いじめっ子がいなくなってしまえば良いのにと、神に祈った。
学校が荒れていた中学時代、不良の暴力に対する恐怖から、先生の言うことを聞かないヤツらにはバチが当たれば良いのにと、神に祈った。
思春期の高校時代、友達と秘密にする約束で好きな人の教え合いっこをしたところ、クラス中にバラされ、裏切りによるショックを受けた。「釣り合わない」と陰でクスクス笑われて、憎悪が募った。死んでしまえばいいのにと、神に祈った。
大学時代、付き合っていた彼氏が三股していたうえに貸した金を持ち逃げした。こんな最低な人間は今後他の人にも迷惑しかかけないし、生きている意味なんてあるんだろうか。もっとひどい人間に同じような目にあわされるか、天罰が下れば良いのにと、神に祈った。
就職した会社は、パワハラとセクハラが酷かった。残業も多い激務なブラック企業だったので、毎日会社に行くのが嫌だった。電車が事故で止まれば良いのに、あるいは職場が火事で燃えて、全て無くなってしまえばいいのにと、神に祈った。
祈りの果てに。
結局、何も起こらなかった。
誰も、呪いのような祈りを、聞き届けてはくれなかった。
でも、それで良かったと思う。
これしきの恨みで祈りが叶ってしまっていたら「己のせいで人が死んだ」と罪悪感に苛まれるところであった。
どれも、今思えば死に値するほどの事ではない。
誰もが夢想する類いのこと。
祈りでは、何も叶わないと知った。
叶えたい事があるのなら、自ら動かなければ。
だから、
動こうと思う。
私の唯一の友であり、心の安らぎである飼い猫を無惨に殺したあいつ。
未成年だからと罰せられなかったが、反省もせずに同じ事を何度も繰り返しているあいつ。
死には死を。
心の迷路(オリジナル)
物心ついて25年。
10代の頃からずっと推してきたアイドルが、結婚を発表した。
まかり間違ってもお近づきになったり、実際の恋人や旦那になってくれたらなんて期待する事は微塵もなくて、ただただ、己の理想で、格好良くて、大好きだった。
子供の頃は親と、大人になってからは友達とコンサートに通い、ブロマイドや円盤やグッズを、出来うる限りの最大限で買い、推しに課金してきた。
適齢期を過ぎても結婚の話が出ず、我々ファンを今まで充分に幸せにしてくれたのだから、今度は彼が幸せになって欲しいね、と、ファンの友達と話したりしていた。
だから。
突然の結婚発表には、めちゃくちゃびっくりして。
良かったねって嬉しくて。
なのに、
涙が。
止まらないんだ。
悔しいわけではない。
悲しいわけでもない。
寂しいわけでもないと思う。
そして、なんたることか。
嬉し涙でもない事がわかるんだ。
だって、こんなにも心が痛い。
温かいもので満たされているのも間違いないのに。
幸せになって。
幸せになって。
そう心から願うのに。
どうしてこんなに苦しいんだろう。
祝福するよ。
おめでとう。
今後も変わらず応援するよ。
結婚しても好きな人。
でもごめんね、今だけは。
しばしこの涙を、思う存分吐き出したいと思うんだ。
ティーカップ(オリジナル)
やあ、こんにちは。久しぶりだね。
僕のこと、覚えていてくれた?
そうか、だから会えたんだよね。
ありがとう。
久しぶりにとても温かいよ。
気持ちが良いねぇ。
いつもこんなだと良いんだけれど。
ちょっと繊細な僕だから、やりにくいのかもしれないねぇ。
でも、だからこそ、大事にしてくれているんだよね。
ありがとう。
お客様を喜ばせる事ができたかな?
だとしたら嬉しい。
僕はお役に立てたかな?
だとしたら嬉しい。
また、近いうちに、会えると良いな。
あっ!!!!
ガシャン!!!
ああっっ!!!
ぼ、僕はもうお役に立てないかい?
飲み口のところが割れて、取っ手が取れてしまった。
せっかく出してくれたのに、ごめんよ。
そうか、もう僕は君とお別れなんだね。
楽しい思い出の中に、少しは残れていると良いなぁ。
今までありがとう。
じゃあね。バイバイ。