距離
結婚してください、は何か違う気がする。
ずっとそばにいたい、それはそう。
でも縛りたいわけじゃない。
縛られたいと思ってないけど、縛られるのも悪くないと思ったのは目の前のコイツだけで。
縛られる事の窮屈さも、縛ってしまうことで奪うものも知っているからこそ、首に輪をくくりつけるみたいに指に嵌め込むもので未来を奪う事に躊躇う。
幸せになって欲しい、それはそう。
でも離れる事が出来るかわからない。
お前がいれば俺は幸せだけど、俺がいた時お前が幸せになるかといえば…。だからそばに居させて欲しいけど幸せになるのを邪魔したいわけじゃなくて、ただお前が幸せになるのを見ていたいっていうかだからそれは…
『あのねぇ…』
振り向いた顔がうんざりしたような呆れたような、それでいて何もかも見透かして許している甘やかさをしていた。だから、ほら俺はお前に甘えちゃうんだよ。
『何考えてんのか知らないけどねぇ。』
大袈裟な程に大きなため息をついて体をこちらに向けて向き合う仕草にいつものように何もない顔で向き合う。感情を顔に出さないのは得意だ。それがコイツ相手に通用しない事も知っている。
『僕が、アンタを』
せっせっせのヨイヨイヨイの勢いで両手を取られた。
手から伝わる温かな温度が心地よく響く。
笑いたくなるような泣きたくなるような、そんな気持ちをお前はいつだってくれるんだ。
だからこそ…
『手放すわけがないでしょう!』
力強く言い切る目の前の誇らしげな顔を見て
ついに俺は噴き出した。
👓心の距離
終わらせないで
『自分の事が好きですか?』って言われたら私はきっと好きとか嫌いとかはわからないけど『頑張って生きてきたなと思ってる』と答えると思う。
生きづらい人生の中で、何度も終わろうとして踏みとどまった私はすごい頑張ってる。
誰かのせいにして、傷ついて、居場所を探して見つからなくて。無理して合わせてみたり、合わせられなくてもがいてみたり、痛めつけられて、痛めつけて。
恵まれてるだけだったら知らなかった世界を知るからこその幸せを知っている。
『後悔ってさ、一生懸命生きた先にあるから振り返ったらあの時ああすれば良かったって思えるんだよ。それって最高に今の自分カッコよくない?』
終わりたくて泣いてた未来の先に、そう笑う私が居ると知ったら泣いていた私は笑うかしら。
終わらせないで、良かった。
愛情
『ねぇ、エドガー。愛とはどんなものかしら』
斜め下から見上げてくるその美しい瞳には信頼と期待に満ちたキラキラとした美しい色を宿したものだった。
私はその期待に応えられるかな?
わざとおちゃらけた風を装ってみたものの、目の前の少女の瞳からの輝きはすこしも曇らない。
『愛、かい?随分と難しい謎かけだね、レディ。』
いつもの唐突な問いかけにもこちらは慣れたものだ。
にこりと笑いかけてふと考える。
愛、愛か。
そう言われてみると具体的な愛というものを考えたことがない。
男にとって愛というものはあまりにも身近にありすぎて空気の様に存在感のないもので、目の前の純粋な少女が望む様なものとは到底思えないどろりとしたものに満ちたものだった。
愛という美しい器はパンドラの箱だ。
輝きに満たされた器の中には人のあらゆる欲が満ちている。煌めきに満ちた世界を夢見られるほど、男は穏やかな生き方を知らなかった。
『そうだね、教えてあげても良いけれど』
目の前の艶やかな小さな手の甲に軽くキスをしてウインクを一つ。少女のキョトンとした顔に苦笑ともつかない穏やかな気持ちを覚える。この綺麗な子供に自分の知る薄暗いものを教えたくなかった。
『そうだね、君はどう思う?』
少しだけ、ズルい大人は答えをはぐらかしながら質問を返す。純粋に、目の前の少女の答えが気になったのもあるけれど。
………
休憩☕️
夫婦
『誰だって女の子はお姫様』なんて誰が言ったのか知らないけれど。片付けていた部屋から後生大事に仕舞われた懐かしい結婚情報誌を眺める。
所々に赤いチェック、古びた付箋に書かれたメモ、何よりもそこに書き込まれた詳細な数字を懐かしむ。
今ではとてもじゃないが着ることの出来ないサイズのウェディングドレスを着た美しいモデルたちに自分を重ねてその日を待ち遠しく夢みていた、そんな気持ちを思い出しては遠い日のように思った。
結婚は思ったよりも大変で、病める時も健やかなる時も慌ただしく過ぎていく。いつか怒れる日や嘆く日を数えた方が多かったかも知れない日々を呆れる様に困った様に笑いながら話すのだろう。
いつか自分がこの世をさる時、これを持っていきたい。
この本に、初々しく照れくさそうに写る二人の写真を挟みながら。
どうすればいいの?
時々ふいに泣きたくなる。
随分前に泣き方を忘れてしまった。
真っ暗なオフィスに一人で残りカタカタとパソコンを叩く。
程のいい『頼られている』という言葉。
押し付けるのに都合のいい相手として他人と比べて数倍仕事を抱えている、そんな現状に嫌気がさしてそれでも仕事を放り投げられない。
こんな筈じゃなかったな、もっと早くに辞めたらよかった。
断るという選択肢を選ぼうにも『君の』仕事であると言われて仕舞えば拒めない。そんな性格を優しいと思っていた。優しい、と言えた環境がそれを優しさと評価してくれていただけだった事を知った。
人はそんなに優しくは出来ていない。
それって貴方の仕事ですよね、なんて言えなかった。
言える人が羨ましかった。
こんな筈じゃなかったな、こんな所に応募しなければよかった。
無視されて、いびられて、我慢して我慢して我慢して。
我慢した先は相手の言い分だけに形作られた『私が悪いというストーリー』。
そんな中で悪役として生きる私。
報われない。何でかな。物語ではシンデレラではないかしら。いつになったらカボチャの馬車はやってくるの?
怒鳴られて、怒鳴られて呼び出されては怒鳴られる。
他に何人もいるはずなのに呼び出されるのは私だけ。
依存されて『頼ってるんだ』と縋られて、どうしてわかってくれないのかと怒鳴られる。
それでも周りは私を悪者にすれば楽だから。簡単に見捨てるくせに頼る時だけ私に擦りつける。
アイツは悪い奴だけど使える。
悪意の大義名分は正義の彼らにどんどん一方的に捏造されながらそれを知りつつ黙って仕事に従事する。
私の立場代わってよ。
それならあなた方の言い分もわかってもいい。
介護を知らない人間が介護をする人間に求める理想論を求めるように、貴方が私に代わって知ればいい。
報われない報われない報われない。
カタカタカタカタと静かなオフィスにキーボード音が響く。
時計の針はもう夜の9時。
不意に、ああ無理だなぁと思う。
どうすればズルい人たちに勝てる。
誠実に生きたい。生きるだけでは報われない。
真面目に生きる事をバカにする奴らばかりが報われる。
報われない報われない。
カタカタカタカタ必死に仕事して仕事してやらなくていいはずの仕事すら一人で仕事をしている。
ふと思い出す、悲鳴をあげた日の上司の声
『君以外じゃみんな辞めちゃうよ。みんなが可哀想でしょう』
どうしたらいい。
どうしたら報われる?
耐えて耐えて耐えた先は皆んなの幸せのためのゴミ捨て場だった。
どうしたらこの憎悪に近い憎しみをぶつけられる?
誰に?どうやって?それをして何になるの。
ふーと深い深いため息をついた。
携帯の転職サイトアプリに入れた40代という条件。
もっと早くに動くべきだった?
いつか報われると信じてた?
ほんっと馬鹿みたい。
随分前に泣き方を忘れてしまったのに
ずっと嘆きが止まらない。
報われる為には、どうしたらいいの。
どうか助けて欲しい。
助けてくれる魔法なんて何もない。
無情に過ぎていく時計を片目に
終えた成果を力一杯床に叩きつけた。