都会のオアシス、というと喧騒の中で静かに過ごせる空間、みたいなイメージがある。
心のオアシス、という言葉もそう。自分が穏やかに安らげる瞬間、好きな物事に没頭出来る空間、といったイメージ。
憩いの場所であるオアシスは、触れることの出来るものである必要は無いのかもしれない。
それは空間そのものかもしれないし、ある特定の物や人かもしれない。
その人が心穏やかに、もしくは楽しく過ごす事が出来るのなら、それが他者から見てどんなに奇妙に見えるものでも、それはオアシスであるのだ。
END
「オアシス」
執務室の椅子に背を預け、両手を組んで眠っている。
そんな姿はついぞ見た事が無く、その珍しい姿に思わず名を呼ぶ声を飲み込んだ。
閉じた瞼。僅かに寄せられた眉。
唇の端は歪につり上がり、常に余裕が感じられる。表情の癖とでも言えばいいのだろうか、そこまでは良く見る顔だ。だが、そこには男が初めて見る〝あるもの〟があった。
「·····」
軽く上を向いたその頬に、微かに残る涙の跡――。
泣いたのか、お前が。
問い質したい声を再び飲み込んで、眠る姿を見下ろす。
共に歩いた同志が背を向けた時も。
恩師をその手にかけた時も。
涙を見せることのなかったお前が。
涙の跡を隠すことすら思い付かなかったのか。
お前ほどの男が。
「·····」
立場が変わり、関係性が変わり、環境が変わった。
その間に自分の知らない関係を築いた者もいるのだろう。それは当たり前の事で、誰にでもある事で。
「·····」
それは自惚れだったのか。
いつかは自分に何もかもを打ち明けてくれるだろう、とか。例え打ち明けてくれなかったとしても、それは〝その程度のこと〟なのだ、とか。
勝手にそう思い込んでいただけなのか。
涙の跡の、その理由を。
知りたい。
知りたくない。
相反する思いを抱え、執務室を後にした。
END
「涙の跡」
中学生の頃はギリギリまで冬服で通していた。
夏服になっても出来るだけ長袖を着続けて、いよいよ暑さに耐えられなくなって半袖にする時が、嫌で嫌で仕方なかった。
クセのある自分の髪が大嫌いで、さらさらストレートの同級生が羨ましくて仕方なかった。
顔にある黒子を、大人になったら絶対に取ってやろうと思っていた。
大人になった今。
半袖でも平気でいられるように「処理」をした。
自分のお金でストパーをかけるようになった。
黒子は取らなくてもいいと思えるようになったから、そのまま残した。
親に貰った体を傷付けるなんて、と脱毛や整形を否定する人がいるけれど、私はそれで前が向けるならいいんじゃないかと思う。
コンプレックスを乗り越えるために処理をしたその日から、私は半袖を着るのが好きになった。
お気に入りのTシャツに袖を通しながら、鏡を見る。
中学生の私は鏡を見るのも嫌だった。
今はこれが私だと、はっきり言える。
END
「半袖」
「あの時に戻ってアンタを連れ出してやりたい」
そう言うと、男はサングラスの奥の瞳を僅かに見開いた。睨みつけるような視線はかつての同志に向けるものでは無いだろう。その言葉と視線のちぐはぐさに、男は彼が自分より九つも歳下だったことを思い出す。
未だ迷い、抗い続ける若さがある彼を正直羨ましいとさえ思った。
「何言ってんだ」
ため息混じりにそう言うと、強い力で腕を掴まれる。
熱い手だった。そして、自分より大きな手だった。
「アンタがあんな思いするくらいなら·····」
熱い筈の手が一瞬氷のように冷たくなる。
それは男の錯覚か、それとも彼が意図したものか。
あまりに一瞬だったから判然としない。
男は自分の腕を掴む彼の手にそっと手を重ねて、その指を一本一本剥がしていった。
「あんな思い、なんてよぉ·····」
我ながら冷えきった声だと男は思う。
だがもう自分は戻れないところまで来てしまった。彼のように自由に、〝やりたいことをやってやる〟生き方は出来ない、してはいけない。
「君に何が分かるってんだい?」
とびきり満面の笑みを浮かべてそう言ってやると、彼がひゅ、と息を飲んだのが分かった。
END
「もしも過去へと行けるなら」
「おかしいでしょ。騙されてるよ。でなきゃ、洗脳されてるよ」
「やなこと言うなぁ」
「だってそうでしょ。殴られて金巻き上げられて、それで愛してるって」
「でも私のために泣いてくれたんだよ」
「自分に酔ってんだよソレ。立派な傷害罪じゃん。アザになってんじゃん」
「そうしたくて我慢出来ないんだよ、彼」
「だからそれがおかしいんだって」
「おかしいおかしいって、私の好きな彼を否定しないでよ」
「――でもさぁ!」
「·····ねえ。アンタが彼の事聞きたいって言うから話したんだよ? アンタとは付き合い長いけど、私の何を知って、彼の何を知ってそんな事言うの?」
「なに、って·····」
「アンタとは長い付き合いだけど、私についてアンタが知らない事、山ほどあるからね」
「·····っ」
「私は私の意志で彼を選んだんだから。他の誰がなんと言おうと、私はこの関係が正解で、真実だと思ってるから。まだ彼のこと悪く言うなら··········友達やめる」
「·····ごめん」
「分かってくれたならいいよ」
「もう何も言わない」
「良かった」
「貴女が誰かを信じて貫いたように、私は私の愛を貫くよ」
「――え?」
◆◆◆
「全部貴方がやったの?」
「――はい。私が首を締めて殺しました」
「どうして?」
「··········」
「··········」
「私は私の愛を貫かなきゃいけなかったんです」
「··········そうですか」
END
「True love」