正直、その感情の名前なんて本当は何でもいい筈なのに。
相手に対して何かしたい、何かして欲しいというその欲に、何故か人は名前をつけたくなる。
尽くしたいのか
束縛したいのか
手を繋ぎたいのか
見つめ合いたいのか
言葉を返して欲しいのか
冷たくあしらって欲しいのか
同じ思いを抱いて欲しいのか、それとも一方的でいいのか。
恋しているから。愛しているから。そう言うと美しく響くけれど、結局は自分の欲から来る感情だ。
例えばこれが〝楽しいから〟だと、途端に狂気じみてくる。
でも、この言葉の違いに一体どれほどの差があるのだろう??
END
「恋か、愛か、それとも」
あからさまに作った声で彼女は言った。
「担当、降りないでねっ。約束だよ!」
僕にだけ向けてくれるキラキラした笑顔。
その額には微かに汗が浮かぶ。
あぁ、頑張ってるなぁ。
他の人間の汗なんて見れたもんじゃないけど、彼女は汗すら輝いて見えて、僕は思わず手を伸ばしそうになる。
「パワーを送るねっ!握手!!」
白くてマシュマロみたいな頬に触れる寸前で、僕の手は彼女の手に掬われる。
たったそれだけで、僕の胸に熱い何かが湧き上がる。
彼女は一生僕の推しだ。
◆◆◆
〝アイドルグループ○○のメンバー××が電撃結婚!!〟
あの時僕は知らなかった。
約束とは、破られる為にあるものなのだと言うことを 。
END
「約束だよ」
「凄い雨になっちゃったね」
「なんだ。迎えはいいと言っただろう」
「うん。でも風邪ひいたら大変だし」
「·····それもそうだな」
バラバラと石礫が撒き散らされたような音が傘を打つ。靴もスラックスもずぶ濡れで、上着にも水が跳ねていたせいで重くなっていた。
「夕飯なんか買って帰る?」
「あまり食欲は無いな」
「そっか。疲れてるもんね。じゃあ軽く摘めるものだけ買って·····」
傘を打つ激しい雨音以外は、何も聞こえない。
そのぶん傘の中で聞こえる互いの声が、余計に鮮明に響いている気がする。
「寂しかったか?」
不意にそんな言葉が出て、足を止めた。
ほんの数日仕事で離れただけだった。年に数回ある事で、そういう暮らしをもう何年も続けてきた。
慣れたことだった。
――けれど。
熱っぽく潤んだ目が見つめている。
「すごく」
短い声が傘の中で低く柔らかく響いている。
傘を持つ背が少し屈んで、熱を湛えた淡い色をした瞳が触れそうなほど近くにある。
「――私もだ」
近付いた耳にそっと囁く。
バラバラと傘に雨粒が打ち付ける。
唇は重なったのだろうか?
それは二人にしか分からない、傘の中の秘密。
END
「傘の中の秘密」
真っ青な空、瓦屋根やビルの窓に残った水滴が太陽に反射してキラキラと輝く。
視線をゆっくり下げていくと、背の低い薔薇の葉の真ん中に、ビー玉みたいな雨粒が揺れていた。
子供達がわざと水溜まりに足をつけながら、バチャバチャと音を立てて走っていく。跳ねた泥水が白い靴下や薄いピンクのスカートを汚していく。帰ったらきっと、母親に叱られてしまうだろう。
畳んだ傘の水を払って、もう一度空を見上げる。
「·····あ」
遠くの山に、虹が一本かかっていた。
END
「雨上がり」
勝ち負けなんて二の次だと、そう言っていい場面と絶対に負けられない、譲れない場面。
それがきちんと切り分けられて、他の何かに引きずらなければ、世の中はもっと良くなる気がする。
けれどそれは夢物語で。
人はそんな簡単に感情や物事に線を引けないし、以前思っていたことから考え方が変わっていく事もある。
人は競い合うことで技術や社会を発展させていったから、その時感じた歓喜を忘れられない。
優越感や達成感が忘れられなくて、競い合う必要の無いところでもマウントを取り合ったりする。
そこに人の感情も絡むから余計にややこしい。
嫉妬や愛憎、敬愛、友情、そういうのも引っ括めて人は生きなきゃいけない。
おまけにチームとか組織とか国とか、自分が所属する属性に引っ張られたり。
人は不完全で、中途半端で。
でも、それこそが人である事の証なのかもしれない。
END
「勝ち負けなんて」