毎日通る公園のベンチで時々見掛ける人だった。
天気の良い日にそこに腰掛けてじっと本を読む姿は、穏やかで、静かで、その場によく馴染んでいて、まるで一つの絵画のようだった。
通り過ぎながら時折目が合えば会釈をする程度で、お互い名前も素性も知らない。優雅な老後を送っている資産家のご婦人なのだろうと勝手に思っている。
今はあくせく働いている私もいつかはあんな時間を送れるようになりたいと、見掛けるたびにそんな事を思っていた。
有給を消化しろと言われて時間を持て余し、ふと思いついたのがあのベンチだった。
正午近く。
コンビニで買ったパンとコーヒーを片手に公園への道に入る。
いつもと数時間違うだけで景色はこんなに変わるのだと気付く。
子供連れのお母さんの姿が多い。あとはスーツ姿でスマホ片手に詰め込むようにおにぎりを食べるサラリーマン。朝は静かな公園が思った以上に賑やかで、少し気圧される。
あのベンチにあの人はいないかもしれない。
そんな事を思いながら近づくと、空気が一変した。
「·····」
降り注ぐ淡く揺れる光。
葉擦れの音だけが微かに響く。
ピンと背を伸ばし、本を読む姿。
朝からずっとここにいるのだろう、絵画のように変わらない姿。
光は求める人を正しく照らす。
ふだんは無神論者で通す私だけれど、木漏れ日の下で本を読む彼女の姿に、そんな事を思った。
END
「木漏れ日」
恋の歌はどれもいまいち共感出来なかった。
美しく歌い上げるものも、喉を枯らして叫ぶものも、ポップできらきらした衣装で歌うものも、どれも私の体感とは違って思えた。
ラブソング、と銘打ってるからかもしれない。
恋愛というものにそこまで思い入れが無いからかもしれない。
ラブソングの世界では春も夏も秋も冬も、みんな恋の季節で全ての事象が恋愛に繋がっている。
生憎私はそんな世界を見たことが無い。
恋愛という概念が何よりも尊いこの世界で、恋愛感情の無い私はまるで異星人になったみたいだ。
――あぁ、そういえば。
宇宙人をテーマにしたラブソングもあったね、昔。
あの歌に出てくる〝私〟は、概念も価値観も、そしておそらく体の作りそのものも違う生き物と、本当に恋が出来たのだろうか?
END
「ラブソング」
子供の頃はかっこいいと思っていた。
〝独身貴族〟とはこういう事を言うのかと、狭いながらもアパートで独りで暮らし、文鳥と好きな本と趣味の革細工で囲まれた部屋で気ままに過ごす叔母に、「将来こうなりたい」と憧れた。
今、叔母からの手紙を開くと暗澹とした気分にさせられる。
憧れた姿は子供の無知と脳天気から来るものだった。
叔母の生活の理由とリアルを知ろうとしなかった。
時の流れは残酷で、お金が人を変えるという言葉の重さを感じる。
綴られるのは後ろ向きで、卑屈で、愚痴っぽい言葉ばかり。子供の頃は叔母からの手紙が嬉しかったのに、今は封筒の名前を見る度にため息をつく。
もっと関われば良かったのだろうか。
もっと腹を割って話せたら良かったのだろうか。
分からない。
ただ、子供の頃に憧れたかっこいい叔母はもう何処にもいない。
それだけが私の胸に酷く重くのしかかる。
季節の変わり目。
昔なら電話の一つもしただろう。
今はそんな気も起こらない。
あちらにも雨は降っているだろうか。
END
「手紙を開くと」
互いに見つめあうよりも、同じものを見つめた方がいいい。
そう言ったのは誰だったか。
それは魂が近い者だからこそ起こり得る事なのだろう。そこには関係性の名前も、性差もあまり意味が無い。例えば戦友、例えば夫婦。どんな関係であっても同じものを見つめて、同じものを感じることが出来るのならそこにあるのは建設的で、健康的で、前向きで、明るい、輝かしい、いわゆる善なるものだ。
でも、人間はそういう風に出来てない。
自分だけを見て欲しくて、自分だけが幸福になりたくて、自分だけを特別にして欲しい。
そうやって、弱い自分をなんとか支えて生きている。
同じものを見つめることも、互いを見つめあうことも出来ない私達は、すれ違う一瞬で勘違いして生きている。
END
「すれ違う瞳」
サファイアが好きだ。
そう言ったら高くて買えませんよと苦笑された。
色のついた石が好きなんだ。その中でも特に青が綺麗なサファイアが好きで·····。
あぁ、だから私の目をじっと覗き込む癖があるんですね、あなた。――どうやら見透かされていたらしい。
君の全てが好ましいけど、確かにその青に惹かれてしまうのは事実だよ。
天上の青、真実を明かす青、空と海を染める青――。
至上の宝石が私を射抜く。
寒色とも言われる青が、何故か私には熱いものに感じられて·····。
どうしました?
なんでもないよ。
そういえば、青は高温の炎の色でもあったな、などと思い出していた。
END
「青い青い」