「×××××」
名前を呼ばれた。
でも眠くて目が開かない。午後十一時という私にしては遅い時間と走る車の心地よい振動、そして細く開けた窓から入る穏やかな風がとろとろと眠気を誘う。
ステアリングを握る彼は助手席で答えない私に小さく肩を竦めた。
「寝落ちしないでくれよ。もうすぐ着くんだから」
「分かってます·····」
それだけ言うのが精一杯で。
彼がため息をついたのを知覚したと同時に、私の意識は途切れた。
◆◆◆
「×××××」
名前を呼ばれた。
今度は瞼をすんなり持ち上げる事が出来た。開かれた目はエンジンを切って真っ暗になった車内を映し、彼の気配を探る。入り込む少し冷たい風の中、私に注がれる視線を感じた。
「着いたよ。ほら、起きて」
「起きてますよ·····」
うっそりとしたままそう答えて、私はゆっくり身を起こす。
「君が朝型なのは知ってるけど、どうしても見せたかったんだ」
そう言った彼の声の楽しげなこと。常よりはしゃいでいるように聞こえたその声は、私の興味をそそるのに充分だった。
促されるまま車を降りる。
「――」
そこにあったのは、空を埋め尽くすほどの無数の煌めき。何千何万、今にも零れ落ちてきそうな星々が見上げる視界一面で瞬いている。
強く弱く明滅するもの。ただ静かに光り続けるもの。
冷たく光るもの、温かさを感じるもの。様々な色と光が夜を夜と感じさせないほどに輝いている。
眠気はすっかり消え失せて、私は言葉を忘れてしまったかのように空の宝石に見入った。
「凄いだろう?」
隣に並んだ彼が囁く。
密やかな声に応えるように青白い星が瞬いている。
私は無言で頷いて、空を見続ける。
――夜は全ての生命が眠りにつく時だと思っていた。
仮初の死を迎え、翌朝再び目覚める為の静寂の時だと。だが、どうやら違ったようだ。
夜も確かに息づく生命があり、その中でこそ輝くものもあるのだ。
星明かりの下、私の隣に佇む彼もその一人なのだろう。
星から彼へと視軸を移しながら、私はそんな事を思った。
END
「星明かり」
手で作るキツネやカニやカタツムリ。
それを当てるだけの遊びがなぜあんなにも楽しかったのだろう?
娯楽が無い時代だった?
そんなことは無い。小学生の頃にはファミコンもあったし人生ゲームもあったしけん玉もリカちゃん人形もあった。
遊び道具ならいくらでもあったのに、影絵があんなに楽しかったのはなぜなんだろう?
作ってくれた親や先生の、私を楽しませようという気持ちが伝わってきたからだろうか?
手で作る影絵を全部当てた次の日には、紙で人形や動物を作ってくれた。壁に映る影だけのウサギやお姫様がやけにミステリアスで綺麗なものに見えた。
今はもう、それに感嘆の声を上げることもない。
自分の子供に影絵を見せてあげることの無い私は、大人になるにつれて何かを無くしていったのだろうか。
END
「影絵」
彼があの剣を岩から引き抜かなかったら。
0点を取ったあの男の子が机の引き出しを開けなかったら。
心優しいあの子の父親が二人の娘を持つ女性を後妻に迎えなかったら。
あのおじいちゃんが騎士道物語に夢を見なかったら。
小さなあの女の子が白いウサギを追いかけなかったら。
あのお猿さんが驕って仏様に挑んだりしなかったら。
だらだらと続く長い坂をあの人が登っていかなければ。
世界の面白さの何パーセントかを私は確実に知らないままでいたのだろう。
物語の始まりは思いがけないものだったり、些細なことだったり、ドラマチックだったり様々で、読み進める度に私の想像の何倍も広い世界や価値観を教えてくれる。
私はあとどれくらい、新しい物語を見つけることが出来るだろう。そしてその主人公達は、最初に何をしているだろう。
私のようにだらだらとSNSを見ている主人公はいるだろうか。
毎日コツコツ病室の掃除をしている主人公はいるだろうか。
そんなシーンから始まる物語がいつか見つかるかもしれない。
あぁ、それにしても。
時間が惜しい。
END
「物語の始まり」
伝記になるような立派なものでなくていい。
誰かに賞賛されなくてもいい。
自分が人生の最期を迎える時に「楽しかったな」と振り返って笑うことが出来たらいいな、と思う。
楽しいという言葉の意味は多分色々あって、満たされているなと感じたり、時間を忘れて没頭出来たり、周りの人のサポートを感じることが出来たり、苦労や不安を払拭する何かが見つかったり、そういう瞬間の蓄積が楽しい、楽しかった、に繋がるんだと思う。
そしてそれは、自分の熱の度合いが多分に影響するものなんだろうとも思う。
毎日続けているこのアプリも、いつまで続けられるか分からないけどまだまだ「続けたいな」とぼんやり思うこのぼんやり、こそが「静かな情熱」なのかもしれない。
END
「静かな情熱」
一人一台どころか一人で複数のスマホやタブレットを持つ時代。
世界は広くなったのだろうか。それとも狭くなったのだろうか。
誰もが発信者になり、また受信者にもなる世界で、自分と自分以外の存在の隔たりは大きくなったような気がする。
自分と互いにフォローしあっている〝仲間〟以外は、まるで違う世界の人間でもあるかのようだ。
だから、分からない。分かり合えない。
自分とフォロー外の人が、同じ時代に、同じ世界に生きているということに気付けない。
社会問題に対する切実な訴えも、平和を希求する子供の叫びも、犯罪や差別を許さない毅然とした声も、画面の中のフィクションが発する音声のように感じてしまう時がある。
タブレットの薄い画面の中の言葉が、遠い遠い、違う次元に存在する世界からの発信のように映ってしまう。
世界は広くなったのだろうか。それとも狭くなったのだろうか。
物理的な距離は越えられるようになったのに、精神的な距離はどんどん遠ざかっていっている気がする。
そうして誰の姿も見えなくなって、声はどんどん遠くになって、世界は自分とフォローしあっている〝仲間〟以外はみんな同じ、ただの〝フィールド〟、ただの〝モブキャラ〟になってしまう。
現実が遠くなっていく感覚は、人に幸せをもたらすのだろうか?
そんな事を考えながら、私は今日もタブレットに文字を打ち込む。
あぁ、その矛盾。
END
「遠くの声」