透明でいることに耐えられるのは、よほど強い自我や感情がある者だけだろう。
自分が確かにそこにいるのに、相手にも見えているはずなのに、まるでその場に存在していないかのように素通りされる。
私はここにいます。
私はここで生きています。
私の声を聞いてください。
私の顔を見てください。
私の感情を知ってください。
言葉にせずともそう訴えていた彼女を、誰も彼もが〝いないもの〟として素通りした。
その孤独を、誰も彼もが知らないふりをして見過ごした。今ではもう、彼女の顔も、声も、瞳の色も·····誰も思い出せないでいる。
透明であるということは、存在しないということに等しいのだ――。
END
「透明」
「何度も何度も、彼はこうして終わりと始まりを繰り返すんだろうね」
凪いだ湖面を見つめたまま、男は静かにそう呟いた。
鏡のように静まり返った湖はただそこにあるだけで何も答えない。男の隣に佇む女はそんな湖と、男を微笑みながら見つめている。
「生きとし生けるもの、みんなそうじゃない?」
白いドレスの裾がわずかに濡れている。
「何かを終わらせて、何かを始めて、またそれを終わらせて·····そうして営みを繋いでいくものでしょう?」
「それは確かにそうだけど、彼は少し事情が違うだろう? 〝君の愛し子〟は」
含みをもたせた男の言葉に、女は笑みを深くする。
静かな湖面にどこからか舞い落ちた花びらが一枚、音も無く漂っている。その微かな揺らめきが、鏡の
ような水の膜に確かに働く力の存在を知らせている。
「あの子は愛して、愛されるように〝つくった〟の」
女の答えもまた、含みを持たせたものだった。
「唯一無二の愛を見つけて、終わらせて、その美しさを私に伝えて。そうしてまた別の形の愛を始める。あの子は〝そういう存在〟なの」
女の声は歌うようで、だがどこか不吉な響きを持っている。男はそんな女の横顔を見つめて、深く長い息を吐く。
「·····彼はソレに気付いてないんだね」
「そうね。でも気付く必要なんて、無いでしょう?」
いつの間にか、女は湖に腰まで身を浸していた。
だがそれでも男と交わる視線の高さは変わらない。その歪さを、男はとっくに理解している。
白いドレスは鱗のように変質し、女の肌と一体になっている。
舞い落ちた薄紫の花びらが、女の指の先でくるくると回っている。
「次はどんな素敵な〝愛〟を見せてくれるのかしら?」
女の声に孕んでいたのは、慈愛などでは決してない――。
感情の無い男でも、それだけは分かった。
END
「終わり、また始まる」
夜空に輝く無数の星。
小さな小さなきらめきの一つ一つが、それぞれ何億光年も離れていて、それぞれがまったく違う性質を持っている。
私達は遥か天上で輝く星々に憧れの眼差しを向けながら、いつか星の海に到達する日を夢見ている。
「私達がこうして見上げているように、あの星のどこかから私達を見上げている誰かがいるのかもね」
「あぁ、地球によく似た星は必ずあるって、誰か言ってた気がする」
「いつか出会えたら面白いね」
◆◆◆
「·····だって」
「やめてくれ。あんな原始的な星の生き物なんて、こうやって遠くから観測するだけで充分だよ」
「観測するってことは興味あるんじゃない?」
「とんでもない。憧れを口にしながらゴミを撒き散らす彼等がこれ以上近づかないように、監視してるだけだよ」
「分かってはいるみたいだけどね、彼等」
「分かっているなら早く片付けろってんだ」
「片付けられるだけの技術が彼等の身についたら、それこそ私達の星にまで近付けるんじゃない?」
「それは無理だよ」
「そう?」
「そうなる前にこちらから介入するから」
「ああ、なるほど」
「少なくともあと千年は無理かな。彼等の星から戦争が無くなるまで、それくらいかかりそうだから」
「私は結構好きなんだけどな、彼等のこと」
〝ヒト〟には見えないその小さな宇宙船は、地球をぐるりと一周するとやがてゆっくりと離れていった。
END
「星」
往年の名作漫画にあった台詞。
「世界から戦争が無くなりますようにって·····祈ったわ」
流れ星を見ながらそう言った姉と、並んで星を見上げる幼い弟。あの姉弟の願いはいまだ叶えられていない。
あの名シーンが発表されて何十年経ったのか。
戦争も、暴力も、貧困も、差別も、何一つ地球から無くなっていない。
あの願い事を祈った人は、世代を超えて数え切れないほどいるだろうに。
··········ひょっとして、強い力を持つ〝誰か〟が、願っているのだろうか。
「戦争がずっとずっと続きますように」と·····。
END
「願いが1つ叶うならば」
なぜこの字を当てるのだろう?
どちらも「あ」とは読まないのに。
調べたら、成り立ちとしては烏の鳴き声と鳴子板の形で、音を鳴らして鳥や獣を追い払う時の音だと出ていた。
烏の鳴き声、鳴子板、鳥や獣を追い払う·····。
感情表現としてはあまり喜ばしいことでは無さそうな気がする。
END
「嗚呼」