ひらひら、ひらり。
薄紅色の花が舞う。
春の風が枝を揺らす。そのたびに舞う、小さな花びら。雪のように儚くて、でもあたたかい小さな欠片。
風流だねえ。
ひらひら、ひらり。
歩道橋のど真ん中。
男が一人、笑いながらボストンバッグをぶちまけている。舞っているのはいくつもの紙片。
お金だ。数え切れない程の紙幣が舞っている。
男に何があったんだろう。
風流とはほど遠いけど、昔は時々あった光景。
時代かなぁ。
END
「ひらり」
××××××? 誰かしら?
あぁ、あの醜いもの。
そうね。私の役には立ってくれたけれど·····やっぱり生理的に受け付けないものってあるでしょう?
これ以上お近づきにはなりたくないわね。
恩? あの醜いものに? 私が?
おかしなことを言うわ。
あの醜いものが私のそばにいることが出来た、それだけで奇跡みたいなことでしょう?
それ以上何を与えろというのかしら?
もうおしまい。
あの醜いものは、短くとも良い夢を見られた。それだけのことよ。
××××××·····そもそもこの名前だって本当の名前じゃないのだし。
アレは一体誰·····いえ、何だったのかしら?
あなた、何か知っていて?
◆◆◆
現実感が無い。
足元がふわふわする。いや、自分の足がもう足じゃないみたいだ。溶けて、沈んで、ぐらぐらして、何も考えられなくなる。
でも、ただ一つ分かるのは。
彼女の言葉が何一つ間違っていないこと。
そしてそれを、僕自身が分かっていたこと。
僕は誰。僕は何。
僕は。
僕は·····。
END
「誰かしら?」
芽が出る為には種が無くてはなりません。
種があっても気温や雨量といった、適切な環境が無くてはなりません。
休眠がそのまま永遠の眠りになってしまう種子も、けっして少なくはないでしょう。
それは人も同じこと。
種が無くては芽吹きも無く、芽吹きはあっても適切な環境と適切な時と、適切な言葉が無ければ枯れてしまうでしょう。
でも、〝枯木も山の賑わい〟という言葉もあります。
あまり深く考え過ぎるのも良くないですね。
人も植物も、何も為さずとも生きてるだけでいいんですから。
END
「芽吹きのとき」
「貴公があの方の供を勤めたのか」
「·····供をせよと命じられたからした。それだけだ」
「·····そうか。そうだな。貴公はそういう男だった」
「本来貴公の仕事だろう。私はああいう華やかな場は出来ればごめん蒙りたいんだ」
「分かった。肝に銘じておくよ」
「·····なんだ」
「なにって、握手を」
「何故だ」
「道中あの方を護ってくれたんだろう? 」
「·····」
「·····痛いよ」
「·····ふん」
◆◆◆
あの日掴んだ掌の温かさが、忘れられない。
痛いよ、と小さく笑った男の声も。
あの時、掌と胸に宿ったほのかな温もり。
あの時の男の言葉は、けっして世辞や媚びから出たものではなかった。
勤めを果たしたことを素直に称賛する声と掌は、私に初めての感覚をもたらした。
――あぁ、この男は·····。
END
「あの日の温もり」
可愛いらしさを感じる造形があるらしい。
赤ちゃんとか子猫とかの、丸い体とか大きな目とか、そういうのだそうだ。
でも、そうじゃないものも可愛いと感じる感性もある。多分他人が見たら可愛いとは思えないものも、ある人にとってはめちゃくちゃ可愛いものとして見えることもあるんだろう。
可愛いとは何か、なんて定義すること自体が意味の無いことなのかもしれない。
それはそれとして、「可愛い!」と「cute!」だと対象の印象がだいぶ変わる気がする。
END
「cute!」