せつか

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1/20/2025, 3:58:07 PM

選び取った道を後悔しているわけではない。
共に歩くと誓った相手の言葉を信じていないわけでもない。

ただ、ふとした瞬間に振り返ると。
幾度も幾度も繰り返してきた、血に塗れた過去がぽっかりと口を開けて待ち構えている。
私の罪業を知っている過去達は、ぽっかり開いた奈落の底から赤く染まった両手を伸ばして、私の足に、腕に絡みつく。
「幸せになれるとでも――?」
「私達を振り切って生きられるとでも――?」
その声に私は応える術を持たず、ただ立ち尽くすことしか出来ない。
歩き始めた足は結局こうして、枷をつけられたかのように引きずることしか出来なくなるのだ。

「××××××」
名を呼ばれた。
差し伸べられた手。向けられた視線。
私のすぐ後ろで口を開けていた過去は、その声と視線の力強さに瞬く間に消えてしまう。
「行こう」
たった一言。
この短い言葉で私は再び歩き出そうと思い直す。

幸せにはなれないだろう。
過去を振り切ることなど出来ないだろう。
それはきっと、相手も同じで。
けれど、だからこそ。
共に歩く意味があるのだと、差し伸べられた手を取りながら考える。
私はきっと、これからも。
明日に向かって歩く、でも。
何度も歩みを止めるだろう。
追いついて来た過去に捉えられ、身動き出来なくなるだろう。
それでも共に歩くと誓ったものがいる限り。

この選択は、きっと間違っていない。


END


「明日に向かって歩く、でも」

1/19/2025, 3:14:35 PM

貴方はかけがえのないただひとりの貴方だから。
世界にただひとり、誰も代わりになんてなれない貴方だから。

この言葉はある意味正しくて、ある意味間違っている。この言葉が正しいのなら、なぜ世界中であんなに簡単に生命が失われるのだろう。かけがえのない筈の生命がこんなに簡単に失われるなんて、それが世界の正しい在り方なら、言葉の方が間違っている事になる。

ただひとりの君へ。なんて。
夢のような絵空事と捉えるか、手を伸ばせば叶う現実と捉えるか。
それを現実にしたくてきっとみんな、足掻いてる。


END



「ただひとりの君へ」

1/18/2025, 11:44:28 PM

明日のメニュー、遠い国のお祭り、深海に棲む巨大生物、最新のヒット曲、300年前の画家のスケッチ、高山植物、絶滅した鳥の映像、戦車の歴史、災害の記録、パリコレの舞台裏、美味しいコーヒーの淹れ方、心霊写真、宗教儀式、地中の鉱物、宇宙の果て、見えない光線、人間には聞こえない音。

薄い板一枚なのに、小さな窓に検索する言葉を入れたらたちまち答えが返ってくる。
表示されたものが正しいとは限らないけれど、0だった知識の層に0.1でも情報が積まれれば、それは確かに私をつくる何かになる。
この薄い板はまるで宇宙だ。
こちらが言葉を知れば知るだけ、検索出来る幅が広がる。手のひらに乗る宇宙から、自分の内に広がる宇宙へ。そうして巡って生まれたものが、生きていく為の技術や、心を満たす芸術や、折り合いをつける為の知識として表出されていくのだろう。

宇宙には沢山の電波が行き交っている。
手のひらの宇宙も同じ。それをどう発信し、受信するかは私次第だ。


END


「手のひらの宇宙」

1/17/2025, 11:49:26 PM

微かに聞こえたその音が、誰かの声だと気付くのに少し時間がかかった。
最初は一瞬で、彼はそれを空耳かと思ったほどだ。

再びそれが聞こえてきた時、彼は歩みを止めて空を仰いだ。梢を揺らすか揺らさないかの、穏やかで静かな風が渡っている。自分の銀髪が一筋、目の端で流れているのに気付いて彼はその風を知った。
空は薄い水色で、小さな飴細工のような雲が一つ、群れからはぐれた生き物のように漂っている。
何とはなしにその雲を眺めていた彼の耳に、またあの音が聞こえてきた。
自然と足が早まる。

やがて見えてきた古城から、音は次第に連なりとなって耳に届く。それは歌だった。
最初にその音を耳にした場所は、もう遥か遠くになっている。風が運んでくれたのだろうか。そんな馬鹿な、と思いながらも彼は微かに高揚する胸を抑えて更に足を進めた。

「·····」
せり出した窓に寄りかかるようにして、一人の男が歌を歌っていた。穏やかで低い男の声は、風に乗って舞いながら旋律となって彼の耳に心地よく響く。
その絵のような美しさに、彼はしばらく無言で男の姿を見つめ続けた。

不意に歌が途切れた。
彼に気付いた男が歌をやめ、窓辺から僅かに身を乗り出して見下ろしていた。
「久しぶり」
柔らかな声。
「あなたの城だったのですね」
答えると、男はふふ、と小さく微笑んだ。
「うん。ここは、私の故郷によく似ていて、気に入ってるんだ」
「お邪魔しても?」
「もちろん。歓迎するよ。そちらから回ってくれ。すぐに行くから」
長い指が右手を指差したかと思うと、すぐに姿が見えなくなった。

――歌の続きが聴けるだろうか?
そんな事を思いながら、彼は城の門を開けた。


END


「風のいたずら」

1/16/2025, 3:06:33 PM

推しが死んだその日、私達は授業も何も手につかなくて、この世の終わりかというくらい憔悴していた。
同じ学校の見知らぬ誰かが事故だかなんだか死んだと全校集会で聞かされた時より遥かに大きいその衝撃は、いつもくだらない事でバカ笑いする私達を無口にさせた。
授業中もスマホで推しの死に関する情報を集めることがやめられず、先生に見つかってしこたま怒られた。
生徒指導室を同時に出て、顔を見合わせる。

「·····」
二人ともマスカラが溶け落ちて、涙が黒くなっていた。
先生に説明(という名の言い訳)をしていて自然と流れたものだろう。抑えられない気持ちの証拠に、流れた黒い筋がほとんど漫画みたいになっていた。
「·····ぷっ」
二人同時に噴き出して、そこから堰を切ったように笑い始めた。ひとしきり笑ったら教室に戻るのが何だかバカらしくなって、二人してサボった。

カラオケに飛び込んだ私達はそれから六時間、ぶっ通しで推しの歌を歌いまくった。
片手で数えられるほどしかない推しの楽曲は、どれも私達にとっては神曲だった。
部屋に据え付けられた鏡に、泣きながら歌う私達二人の顔が映っている。

学校を抜け出す直前、せっかく直した化粧がまた崩れて、二人して黒い涙を流している。
それは今まで流してきた透明な涙と同じか、それ以上に美しいものとして私の目に映った。


END


「透明な涙」

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