せつか

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微かに聞こえたその音が、誰かの声だと気付くのに少し時間がかかった。
最初は一瞬で、彼はそれを空耳かと思ったほどだ。

再びそれが聞こえてきた時、彼は歩みを止めて空を仰いだ。梢を揺らすか揺らさないかの、穏やかで静かな風が渡っている。自分の銀髪が一筋、目の端で流れているのに気付いて彼はその風を知った。
空は薄い水色で、小さな飴細工のような雲が一つ、群れからはぐれた生き物のように漂っている。
何とはなしにその雲を眺めていた彼の耳に、またあの音が聞こえてきた。
自然と足が早まる。

やがて見えてきた古城から、音は次第に連なりとなって耳に届く。それは歌だった。
最初にその音を耳にした場所は、もう遥か遠くになっている。風が運んでくれたのだろうか。そんな馬鹿な、と思いながらも彼は微かに高揚する胸を抑えて更に足を進めた。

「·····」
せり出した窓に寄りかかるようにして、一人の男が歌を歌っていた。穏やかで低い男の声は、風に乗って舞いながら旋律となって彼の耳に心地よく響く。
その絵のような美しさに、彼はしばらく無言で男の姿を見つめ続けた。

不意に歌が途切れた。
彼に気付いた男が歌をやめ、窓辺から僅かに身を乗り出して見下ろしていた。
「久しぶり」
柔らかな声。
「あなたの城だったのですね」
答えると、男はふふ、と小さく微笑んだ。
「うん。ここは、私の故郷によく似ていて、気に入ってるんだ」
「お邪魔しても?」
「もちろん。歓迎するよ。そちらから回ってくれ。すぐに行くから」
長い指が右手を指差したかと思うと、すぐに姿が見えなくなった。

――歌の続きが聴けるだろうか?
そんな事を思いながら、彼は城の門を開けた。


END


「風のいたずら」

1/17/2025, 11:49:26 PM