カンカンと鳴るアパートの古い階段を昇る。仕事に疲れ、帰ってからはぼんやりテレビを見ながらコンビニで買った夕飯を一人食べる。
遅いシャワーを浴びて、その後は夕飯と一緒に買った缶チューハイを飲みながら、窓に寄りかかって外を見る。天気が良ければ狭いベランダに出るのだけれど、今日は雨だから無理だった。
滲む窓ガラスの向こうに建設が始まったタワーマンションが見える。
販売価格が何億で、即完売とかニュースでやってた。
点滅する光は一番高い部分の鉄骨を時々浮かび上がらせる。ビルはまだまだ高くなるそうだ。多分、この街で一番高い建物になるのだろう。
「·····」
あのマンションに住むのはどんな人なのだろう。
私なんかよりずっと頭が良くて、ずっと仕事が出来て、ずっと要領がいいのだ、多分。そんな考えが浮かぶ。そして多分、ずっと綺麗で、ずっと若くて、ずっと明るくて、ずっと前向きで、人生が急に暗転する事なんて、想像すらしていない人達だ。
窓に打ち付ける雨が激しくなってきた。
このまま嵐になるのだろうか。
缶チューハイはあっという間に無くなった。
空になった缶を床に転がして、私もそのままひっくり返る。
「·····あはっ」
シミだらけの汚れた天井に、なんだか酷く安心した。
END
「窓越しに見えるのは」
小指から伸びる赤い糸。
運命の人に繋がっているらしい。
その糸がどれだけ長いのか、どれだけ手繰ればいいのかは誰にも分からない。
もしかしたら、その糸の先に誰もいないかもしれない。でも·····誰もいないのは、多分平気だ。
一人でいるのをあまり寂しいと思った事は無い。
〝おひとりさま〟ってやつを楽しめる性質なんだろう。
それより何より怖いのは、期待して、信じて、浮かれて、必死で手繰り寄せた〝運命〟に、裏切られた時。
そうなった時、どうなってしまうんだろう?
運命なんて、そうそう信じるもんじゃない。
END
「赤い糸」
「ソフトクリーム!」
小さな指が空を指す。
「ん~、あれは綿菓子に見えるなぁ」
「外の植木に積もった雪」
「ソフトクリームだもん!」
二人の間で飛び跳ねる小さな体。
「ソフトクリームにも見えてきた」
「ほんとだ」
二人の手が同時に上がり、小さな体がふわりと浮く。
「ソフトクリーム食べたい!」
「じゃあ買って帰ろっか」
「僕はアイスコーヒーにする」
浜辺を歩く三人の声が、雑踏の中に消えていく。
後に残った入道雲が、帰路につく彼等を見守るようにむくむくとまた大きくなった。
END
「入道雲」
夏は嫌い。
半袖にならなければいけない夏が、みんなと一緒に水着に着替えなければならないプールの授業のある夏が、大嫌いだった。
半袖になることに抵抗が無くなったのは、自分で子供の残酷さに対処する術を得てからだ。
それでも子供の頃の夏の記憶のせいで、極度に「人からどう見られるか」が気になる大人になった。
うっかり服にジュースでも零そうものなら、その日一日憂鬱になった。そこばかり気にして、通りすがりの人がそれを目にして笑うのでは、とか、そんなことばかり気になった。
夏は嫌い。
でもそんな昔のことをいつまでも引きずってる自分 は、もっと嫌い。
END
「夏」
ここではないどこかへ行っても、いつか帰ってくるでしょう。
慣れ親しんだ部屋のベッド。あるべきところにあるべきものがある安心感。いつでも好きなように取捨選択出来る万能感。それらは決して手放せないものだから。
どんなに煌びやかな街よりも、どれだけ広々とした部屋よりも、雑然として少し使い古した、自分のものがある空間の方がどれだけ尊いか、あなたは知っているはずだから。
だからいくらでも旅をして、遊んで、そしてかえっていらっしゃい。
END
「ここではないどこか」