気がつけば、向かい合わせの個室車両に乗っていた。
車窓から見えるのは背の高い草が茂る緑の海。
向かいの席では男が片肘をついて本を読んでいる。
状況が分からず男をじっと睨んでいると、視線を感じたのか本に落としていた視線を不意に上げてきた。
「·····」
朝の光に薄紫の瞳が輝いている。
男は読みかけの本を閉じると口元に淡い笑みを浮かべて言った。
「私もいつの間にか乗っていたんだ」
こちらの心を読み取ったかのようだ。
「どこに行くのか分からない。現実か夢かも分からない。ただ、途中下車は出来ないみたいだ」
男は言って、視線を窓へと転じる。
「――」
さっきまで草原だった景色が、砂漠になっていた。
砂の海の向こうに微かに遺跡のようなものが見える。
現実には有り得ない景色の変化。
だが夢とは思えなかった。
リズミカルな振動も、車輪が鉄路を踏む音も、窓から入り込む風も、確かに感じられる。目の前で微笑む男の、忌々しいまでの存在も。
「あぁ、〝湖〟だ」
懐かしむように男の眼差しが一層やわらぐ。
「·····君と私で、何かを見つけろという事なのかな」
男の言葉につられて視線を追うと、曇り空の下に白亜の城が見えてきた。
「·····」
草原、砂漠。湖に、白亜の城。
現実ではない。だが夢とも思えない。
互いの記憶の中にある景色の中を、列車はひた走る。
「長い旅になりそうだね」
男の声には、微かな喜びが滲んでいた。
END
「列車に乗って」
たまに無性に遠出をしたくなる時がある。
海の無い街で育ったからか、海の見える景色に妙に惹かれるのだと思う。
でも泳ぎたいとか遊びたいとか、そういう欲求は無い。ただ海のある景色を見て、そのただ中に自分を置きたい。そういう感覚だけがある。
港でも、浜辺でも、断崖絶壁でもいい。
海のある景色がいい。
遠くの街へ。
遠くの海へ。
今年は海が見られるだろうか。
END
「遠くの街へ」
一時間の昼休憩。
職場が職場だから黙食は現在も継続中。
正直私はこれが嬉しい。
コンビニのパンを食べながら読みかけの本を読む。
この時間が何よりの気分転換。
本とスマホがあればそれだけで仕事中のモヤモヤも、後半に残った業務のうんざり感も気にならない。
いや、気にならないというか、まぁいっか、で済ませられる。
これでもし会話解禁だったら、私は多分ストレスで嫌になっていただろう。
どうでもいい噂話、興味の無いテレビの話、誰々が結婚した、離婚した、仕事休んだ·····どうでもいい。
どうでもいい悪口や噂話を聞かされるくらいなら黙って本読んでる方がよっぽどいい。
昼休憩くらい現実逃避させてくれ。
END
「現実逃避」
「いってらっしゃい、気を付けて」
「ミッションをクリアして無事に帰って来られるよう、祈っています」
そう言って、宙へと飛び立つ貴方を見送ったのはほんの数ヶ月前。当然のように続くと思っていた日々はあっけなく失われ、この星は何度目かの戦火に包まれた。貴方が迷わず帰って来られるようにとつけた灯火も、いまや閃光に紛れてしまって分からない。
たった一つ手元に残ったのは小さな端末。
貴方と私を繋ぐたった一つの手段で、私は今日も貴方に偽りのメッセージを送る。
貴方が愛したこの星に、安全な場所などどこにも無くなってしまった。いつか戦争が終わるまで貴方が帰ってこないよう、私はメッセージを送る。
――たとえ暗い星の海のただ中でも、貴方が生きてさえいてくれれば、私はそれでいいのです。いつか必ず、迎えに行きますから。だから今は·····、
◆◆◆
『こちらは穏やかな日々が続いています』
『追加のミッションです。引き続き調査をお願いします』
『承認が下りました。更なる調査と成果を期待します』
彼から届くメッセージは、いつしか事務的な文章ばかりになっていた。
母星とこの小さな船を繋ぐ唯一の手段。その端末から届く僅か数行のメッセージ。
彼からのメッセージがこの船に届くまで、数週間のタイムラグがある。
――君は今、何をしているのだろう?
もう眠っている時間だろうか?
――君は今、何を見ているのだろう?
この星は過酷だが生命の痕跡を見つけたよ。
――君は今、どんな音を聞いてるのだろう?
私は船に乗る前に録音した君の声を毎日聞いてるよ。
·····あぁ、早く帰りたい。
END
「君は今」
空が低い。
灰色の雲がうねうねと抜け落ちた動物の毛みたいに丸まって、低く重く垂れ込めている。多分一時間もしない内に雨になるのだろう。動けないのがもどかしく、窓辺にもたれてぼんやりと外を見つめる。
·····気まずい。
名前は知ってる。うちで一番強いって事も。あと、めちゃくちゃモテるって事も。でも、僕自身喋った事も無いし、そもそもあっちはあっちでお仲間がいる。
だから、今日はたまたま。たまたま組んで仕事に出たら、雨だわもう一人がはぐれたわで、ここで待機を命じられた。仕方なく二人でこうしているけれど、あちらさん、なーんにも喋らない。
この空と同じどんよりと重苦しい顔のまま、テーブルに片肘ついて黙り込んでいる。
「·····」
――絵になるな、と思った。
眉間に刻まれた縦皺も、僅かに伏せられた長い睫毛も、珍しい目の色も、確かに目を奪われる。めちゃくちゃモテる、ってのも納得だった。
多分、だけど。
僕はこの人に、あんまりよく思われていないのだろう。なんとなくそう思う。まぁ生きた世界が違うのだから当然なんだけど。でもそれだけじゃないんだろうな。
「コーヒーでも淹れよう」
ぼんやり外を眺めてたら、思いがけない言葉を掛けられた。
「·····オタク、出来るの?」
「君より上手いよ」
ぽかんと口を開けたまま、僕はキッチンに向かう後ろ姿を見つめる。
ぽつぽつと、雨が窓を打つ音が聞こえてきた。
気まずかった待機時間が、ほんの少し楽しくなってきた。
END
「物憂げな空」