郡司

Open App
5/20/2024, 6:44:28 AM

突然の別れ、と考えると「晴天の霹靂のような」思いがけないケースでの別れが「突然」になりやすいか。

私の周辺の場合、事故的な理由によるものしか、「突然の別れ」という状況を見かけない。

しかし、所謂「永の別れ」が、突然なのはいただけない。心の準備もへったくれもない急な別れは、心に「いきなりむしり取られた痛み」が暫く残る。…あまり考えたくないお題だな…

どこかで元気に生きてる人なら「別れ感」は感じない。すわ、これっきりか!?…と思っても、消息が聞こえてきたりする。「おう、元気そうだな」と思えば胸の内は明るくなるし、なにより、縁あるならば、コミュニケーションが可能な場合が多い。

「死別」のいちばんの壁は、“直接的・間接的いずれもコミュニケーションが難しい、或いはできない”ことだと思う。

しかし何よりも、悲しい誤解と未完了を抱えた「別れ」は、生きていようが死んでいようが、胸の痛いものとして居座り続ける。それこそ先日のお題「後悔」が、鎮座してるか隣り合わせだ。

別れに引きずる痛みの無いように、オープンな自分で居たいな、と思う。努力目標だが…

5/19/2024, 5:39:34 AM

恋物語

昔、漫画雑誌の中に「きになるあの人の愛は」などというページがあって、「きになるあの人」も居なかった私は、自分自身のデータが出す結果を見てみた。

曰く、「この人から本当の愛を得ることは非常に難しいでしょう」と。…おい、なんだって…? 続けて「この人はよほどのことがなければ人を愛しません。貴女が泣くだけの結果になりがちなので、やめておいたほうが良いでしょう」…ちょっと、これ自分の生年月日データで見てるんだけど。私がそんな奴だと言ってるのだよね…? 解せぬ。しかも、ほかの結果文はどれもみな「お花畑でキャッキャウフフ」な内容なのだ。解せぬ。ほとんどディスりではないか。このコーナーを書いた人はどこか虫の居所が悪かったのだろうか? だいたいそこに書かれている「本当の愛」って、どんな定義で書かれているんだろう? うむ、解せぬ。

そんなものを見たのも今は昔の35年ほど前だ。

で、実際どうだったんだ、というと、恋はした。そのとき自分の近くにその人が居なくて本当によかったと考えている。まるで満水のダムが一気に決壊するように、津波じみたエネルギーの心だったから。何もかもを圧倒的に押し流して、誰かを巻き込んではひどく傷つけることまで容易に想像がつく。少なくとも、勢いが時間のなかに落ち着いて、穏やかで絶えない流れになるまでは、近付くわけにはいかない…制御も不可能な自分自身の心のエネルギーを心底恐れた。執着心が植物の蔓のようにものすごい勢いでその人に向かって行くのを、全て焼き払った。何度でも、何十回でも、何百出たって全部焼き払う決意を通した。自分から出た執着の蔓がその人を縛るとかぞっとするし、自分自身を殺したくなることウケアイの想念だなんて冗談じゃない。愛するひとよ自由に飛べ。…しかしそのせいか、心が伝わってない気もするのだ…人は、静かだけど力強い心の響きでは「ちがう、コレじゃない。自分は失恋したんだ」と思い込んでしまうのだろうか……まあ、それでも私の心は変わらぬのだけどね。これはもう恋じゃない。愛だ、愛。釜爺(映画『千と千尋の神隠し』より)に加勢してもらいたいくらいだ。「わからんのか、愛だ、愛ッ!」

恋は大波、津波のよう。
愛は静かな流れのよう。

5/18/2024, 11:21:41 AM

真夜中…、記憶に新しい気がするお題。

真夜中に真夜中のことを考え書くのもアレだな、と思っていたけど日が暮れてしまった…
真夜中、何かあったかな…と頭の中を漁る。無難なやつを。そう、無難なやつ。どう表そうか、はて。

心が弱りがちなとき…
真夜中には、やみのなかでながくたちどまってはいけない。真夜中には、確かな現実について焦点を当てるのがいい。真夜中のうちに、帰宅すべし。丑三つ時を過ぎないように。暗闇のなかから魅了を投げてくるものに近寄らないのがいい。これは一応大人に向けての文言だ。子どもが真夜中に家に居ないで外に居るのは論外だ。大抵の自治体で条例に引っかかる。

心を覇気で満たせるならば、何時でもまあ大丈夫だ。

5/17/2024, 3:00:12 AM

愛があれば何でもできる?

失った手や脚を再び生やすことはできない。
苦しみの旅路(人生)を歩く人の道を、代わりに歩くことはできない。

…だいたいね、このお題って「引っ掛け問題」みたいな感じがするよ。「愛があれば何でもできる」わけないでしょ。「愛があればこそ叡智を以て動かず」ってこともたくさんあるんだから。雑なうえに乱暴な括りの言い回しでだいじなことを撹乱するばかりか、安直な思考停止へ誘導する危険のあるお題なんて、おかあさんゆるしませんよッ! 一歩間違ったら悪魔のささやきでしょうがッ! 愛の夢は良いものだと思うけど、屁理屈の妄想は論外です! 顔洗って出直してらっしゃい!!

5/16/2024, 9:53:48 AM

後悔

「後で悔やむ」。実際、後悔していたときは、この「後悔」という文言があまりにもそのまんまである事実にすら、塩擦り込まれる想いがした。後で悔やむから「後悔」、わかってるよそんなこと。絶対的な「今さら」に木っ端微塵になってんだから、そこへさらに「後悔」の漢字でフリカケモリモリとか埒もない。

後悔は確かに「過ぎたものごと」にかかる。現在進行形なら後悔などは姿もない。過ぎてきたものだからこそ、「取り戻せない」「戻れない」→「なかったことにできない」→「自分を責めることを手放せない」、となる。

じゃあ、後悔は無駄なものだろうか。

端的に言ってしまえば、「重大な後悔」の中身は“命に関係する出来事”と、“愛にまつわる自分のあり方”へのものだと思う。ここでは、「しまった、あのときにああしとけば…」とか思っても暫く経てば薄れる質の後悔、つまり「やろうと思えばこの現実での事態の収拾が可能な程度の後悔」は勘案しない。

後悔の厄介なところは「自分を責め続ける」ことだ。
さて、自分を責めて、誰かが幸せになったり救われたりするかというと、絶望的なまでにそんなことにはならない。はっきり言って、「後悔あるが故に自分を責める」ことが「よろしき力になる」展開は永遠に無い。

でも「取り返しがつかないものごとへの後悔」の、「後悔をほどきたい、できるならば」という想いには、行き場がない。悲しいかな、亡くなった人が戻って来ることはないし、縁の遠く離れた人には再会の可能性はなさそうだ。←これがコアだ。これを超える鍵は何だろう。

「罪悪感と親友でいる後悔なのに、それを“超える”なんて申し訳なさの上塗りだろ。だいたい忘れるなんて人間としてクズじゃないのか」などと言うバイアスがしゃしゃり出て来そうだ。その後悔の対象である人は、いつまでも自分自身を責め苛み痛む心を見て喜ぶ人なのだろうか……? むしろ悲しむのでは……?

後悔は傷だ。心は血を流している。癒し始めるまでは、生傷の痛みがある。適当な何かを絆創膏にしても、血は止まらない。

どうにもならない、取り返しがつかない、できるわけがない、という感覚もバイアスだ。心と心の間にあるものに、物理的な形が必須だろうか。心は届く。

後悔の自責に沈むより、後悔あればこその愛の発現を目指すことが、後悔を感謝に変容できる。その想いは届く。私は気休めなど言ってない。そんなヒマは無い。古い思い込みは捨てるのがいい。いのちは、存在は、がっっっつり在り続けるからだ。(手遅れなんて無いんですよ。ちゃんと生きて、ちゃんと死んで、確認しましょう)

Next