kissねえ…
バレンタインが近いからお題がこれなのかな
それ系ろまんちっくは得意な人にお任せする。正直わからないから苦手なもののひとつ。えっ、結婚してただろって? 結婚とkissは関係ない。残念なほど関係ないのだ。個人差と家庭差があるだろうから、みんな違うと思うけど、私には関係なかった。
だから、「いろいろあるんだな」というやつについて書いてみる。日本と海外では文化的基盤が違うから、「えっ」と思うものも聞いたことがあるな…
割とポピュラーなのは「祝福」としてのkissだ。宗教的背景を持っている向きもある。帆船時代のイギリス人ホレーショ・ネルソンは自分が死ぬ時「kissしてくれ」と言ったとか、「祝福してくれ」と言ったとか伝わっている。部下は彼にkissした。そういえば、ジブリの映画「ハウルの動く城」の中で、ヒロインのソフィーがするkissはすべて祝福のkissだった。ただラストシーンだけ、「ろまんちっくな」ものが描かれ…でも描ききらないで終わる。確定の印象だけ持たせて完了。そりゃそうよね、誰かに見せるものじゃないし。周りなんかどうでもいい。だってkissなんだから。
「えっ」と思ったのは「いやがらせ」のkiss。黒川伊保子さんの昔の著作の中に書かれていた(もう絶版かもしれない)。御主人とケンカしたか何かで朝からイラッとしていた、とか記憶している。朝、出勤の支度をしている御主人に、口紅を塗ってからおもむろに、思いっきり濃厚なkissをしたそうだ。御主人が「いったい何だ」という反応をしたので、「いやがらせよ」と言ったと。その著作は脳で感じる情緒と論理性についての本だった。黒川さんは日本の原発の、データベース検索AIの開発者のひとりだ。そのkissが「いやがらせ」たりうる論理も説明されている本だった。このエピソードは、「脳のモード」の話であって、夫婦仲の話ではない。
kissに「自分なり」はあるんだろうとは思う。けどそれを発揮したことはない…。無いんですよ。それが何か?
1000年先か。
こういうことを考えてみるとき、まず現況を考えてしまう。この惑星の1000年先…
いろいろなレベルで「非常事態」だけど「やりようが無いわけじゃない」。地球にはまだ「創造の暴力」とでも言うべきものがある。「宇宙的諸事情」に鑑みて、「のんびり構えているわけにもいかなくなった」きわめて現実な領域に対して、あらゆる方面・手法を用いてでも「引き上げをブースト」する必要に対処しようと、関係各所・各位にはっきりとしたムーブメントを見て取れる。今は「最初の100年」とも言える。何世にも渡るものだから、現在の人達がその結実を見ることはないだろう。
さて、1000年先。人類は自らの定義を変容させているかもしれない。現実創造のシステムと取りかかり方が、「当たり前に常識の範疇」のものとして扱われているかもしれない。「物質レベルの物事」と「エネルギーレベルの作用」とが、同列セットで考えられているかもしれない。
そして、現在よりもっと、地球自体や他の生命形態種族に対してオープンでフレンドリーになっていてほしい。何より、人類が人類自身に、愛深くなっていてほしい。闇に灯りを、黒から白へ白から黒へ応現自在に、チャレンジをクリアできるようになっていてほしい。
今気づいた。私は強欲かもしれない。そして、この文章は1000年先の人には「過去の凡庸の呟き」として感じられるかもしれない。
それでいいと思う。それがいい。
勿忘草。
私の暮らす地方にはヨーロッパ帰化種や在来種の花が多く見られる。山中へ行かなくても、けっこうそこらに咲くのだが、ここ10年ほどは休耕田(つまりもう稲作を出来ない地面)が勿忘草で青くなる。後継ぎが居ないのでそうなるのだが、花言葉を思うと、渡る風に寂しさを感じないこともない。各家の事情だから、私如きが言えることなど何も無いのだが…
地中の水気を好んで生える花だから、もと水田の地質がちょうど良いのかもしれない。以前は稲穂が風に波うっていたところ。大きな木も無く陽当たり良く、青くて小さな花が大きな面積で咲いているせいか、勿忘草の居る休耕田はもの悲しく荒れる様子も無い。
農家さんは毎年「博打」のように気候に対応する。全力を、ときには全力以上をかけてやるので、腹の据わったところが無いともたない。休耕田の辺りの家屋も、既に住んでいないところが増えた。勿忘草の花言葉が、過ぎた時の頑張りへの手向けのように思われる。
やっぱり、ご飯は大事に食べなくちゃね。
ブランコ。下の子が幼児だった頃、近くの公園に連れて行けばまずはブランコ。
何故、ブランコは大人気なのかな…?
私にも子どもの頃があったから、「ブランコ大好き」な子ども達の気持ちはわかる。ハイジのブランコは、ちょっとあこがれ。
ある日、「ママも乗れ」と子どもに押し押しされて、公園のブランコに座った。何十年ぶりだろう…?
ブランコってこんなに小さかったか。揺らしてみた。地面に足がぶつからないようにする必要があった。うーん、小さな子ども達が安全に遊べるような造りだから仕方ないけど、これけっこうキツいぞ。
大きく揺らしてみて、自分の感覚に驚いた。酔いそうだった。疲れでジャイロ(三半規管)が対応できないのか? それとも体格に対する移動半径のせいなのか? その日はそれまでにして、また次の機会に試してみたが、まったく同じ感覚になった。
ブランコなのに揺れて遊べない。自分の身体から「子ども時代」が、いつのまにか去っていたことに、寂しいような気持ちになった。高く高く漕いで空を真っ正面に見ることは、思い出の中のものになってしまった。
まあ、子ども達のためのブランコだ。大人は譲るのが分別というやつなのだろう。
果て
最果て
旅路の果て
こころの果て
いのちの果て
世界の果て
宇宙の果て
はて、「果て」と並べてみると、「果てとはなんじゃろな?」などと考えてしまう。自分でも気軽に使っている言葉なのに。丸い地球の民としては、「たとえばきれいな夕焼け空をひたすら追いかけるとずっと夕焼けの下。速度限界は勘案しないものとする。“果て”を設定するなら、立脚点の条件を定義せよ…実質的に果てってどこよ?」と、アタマがはしる。
人間の脳は、「時間と空間」を、“物理的に、かつ絶対的に、ある”と見なして(つまりは“無い”のだ)知覚しているうんぬんという話が量子物理学研究で論じられている。「物理的な知覚」に概念も対応して発せられるから、「果て」という表現・認識も発生するのだ…と。
しかし、生きゆく人生は量子以上のものだと言って良いと思う。物理的事象の組み上がるプロセスがどうであれ、生きる主体は「存在」であって量子ではない。
人間に限らないが、必ず肉体を伴った生を終えるときが来る。その時点を表現するに、「旅路の果て」と言いあらわすのは間違いではないと思う…少なくとも、大きな、そして大切な、区切り点だ。その後も「存在の旅路」はあるが、でもやっぱり、ひとつの人生の完了は大事なものだと思う。精いっぱい生きたのならなおさら、その人生は愛されてあるべきだ。
私はトシだから、ある程度「次の旅路への移行」をする人達を見送ってきた。二十歳になる前の親友から、時々話した隣人や、長く歩んだ人生を後にした親戚・家族まで、けっこうな人数になる。
「よくある話」だろうと思うが、私にとって大切な、いくつかの「姿」を書いてみる。
祖父が逝去する4日前、私は自宅の台所に居たのだが、突然に澄んだ大きな川のほとりの風景に引き込まれた。空は青く晴れて、川岸に青年よろしくなスタイルで祖父が座り、これ以上ないほどの晴々しい表情で川の向こうを見ていた。私は「ああ、もう出発を決めたんだ」と思い、涙が止まらなくなった。
母が逝去する5日前、母が私の住むアパートのすぐ近くに立ってにっこり笑っていた。元気だった頃にいつも着込んでいた綿入り半纏をはおり、何故か建物の外。勿論、そのときの実際の母はもう入院病棟のベッドから起き上がれないほど弱っていたから、身体を持たずに来たのだ。私は急いで、病室に詰めている父に電話をかけた。
少し前のお題のときに書いた「かっこいいTさん」は、年が明ける前の12月はじめに、例の黒のコートと黒の山高帽、スーツといういでたちでお見えになった。もちろん、身体を持たずの「挨拶回り」でいらしたので、すぐに次へ向かわれた。祖父とも交流のあった方なので、私は仏間に行き、祖父にTさんの来訪を報告した。
何年も前に、私のするべき仕事の時間ぴったりに、必ず「さあ、時間ですよ」と声をかけて下さる方がいらっしゃった。このときは既に鬼籍に入られていた方だった。当時の私はあまりに疲れてしまっていて、時間感覚すらぼやけがちだったのだ…。朗らかであたたかいその方の「響き」そのものが、どれほど私を励まして下さったか、とても一言で表現できない。
誰の旅路も、唯一無二の深さと豊かさが響いている。やっぱり私には、ひとつの人生を終えるときが「旅路の果て」とはどうしても思えない。