郡司

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1/30/2024, 1:03:51 PM

 お届けものです。私は魔女…じゃなくて魔法使い。
 私のお届けものは、わかりやすく目に見えるものの姿はしていません。あ、でもちゃんと「受取拒否」もできますから、どうか御心配無く。

 魔法使い達は各々得意分野の手法でお届けものを運びます。魔法道具を創るのが上手な者、象徴を丁寧に組み込んだ護りを創るのが上手な者、自然界の他の種族と一緒に技を為す者、なりわたる謳いでいのちの力を助ける者、料理に生命力を付与する者などなど、それはもう十人十色と言えるほどで、でもすべての魔法使い達に共通なのは、皆楽しく力を発揮することですね。自分自身やたくさんの生命に「幸せになるための何か」を届けようというのですもの。楽しくないわけがありません。

 えっ、悪い魔法使いも居るだろ、って?
 よろしくない技を放つ自覚があるなら、その時点でそれは「魔法使い」とは定義できませんね。「よろしくない技を放つ必要」を持つのは、魔法使いが識っているべき真実を未だ識らないからです。
 …あら、ちょうど良く「いにしえの魔法使い」が来たようです。彼はいにしえもいにしえ、ちょっと想像しづらいくらい大昔から魔法使いだったらしいです。彼が若かりし時代の世界では、魔法使いは聖職者で科学者だったのですって。でも、その世界は「ついえた」そうです。どうしてかは存じませんけどね。
 彼に話を委ねてみましょう…
 あらあら、「手短に収めるのは適切ではない」なんて言って行ってしまったわ。またいつかつかまえて、そのときにはいろいろ聞きましょう。

 ともあれ、魔法使い達は「届けたがり」なのです。嬉しそうな、楽しそうな、笑顔や様子が大好きなのですよ。どうか遠慮なく、「お届けもの」を受け取ってくださいね。


1/29/2024, 4:09:36 PM

fly me to the moon という歌ばかり聴いていた時期がある。たくさんの人がいろいろなアレンジで歌っている名曲。

いろいろなところで登場する歌だが、最も印象強いのは「BAYONETTA」というゲーム中で使われたアレンジだ。残念なことに、現在入手できるサントラには収録されていない。YouTube では聴けるんだけどね。

“in another word” と前置きして、I love you と歌われる。さいごにはっきり言っちゃうのだ。
言葉を媒介にするしかないなら、直截的な表現が必要になってしまう。

何の媒介も要せずこころが伝わることってあるんだろうか。大前提として、こころのどこか深いところがつながっている必要がある、よね…?
…と、ここまで考えたら「鳥が先か卵が先か」になりそうな気がした。大切なのはそこじゃない多分。

ところで、love という言葉は国や文脈、立場によっていろいろに使われる。I love の続きが慣用句的に「you」に連想されやすいのも日本ならではかもしれない。「これは愛だー!」とか、「love なのよッ、love!」という表現が、日本では独特のニュアンスを広く包含しているのは確かだと思う。「あいらぶわんこ」「あいらぶにゃんこ」「あいらぶメシ!」などなどの言い方が、フツーに通じる。依存的な意味だろうが、暑苦しいニュアンスだろうが、おバカっぽかろうが、意外なくらい誤解少なく通じる。稀有なところよね…

1/28/2024, 1:33:01 PM

街へ…出てない。もうずいぶん出てない。所用で久しぶりに出たとき、市の中心部があまりにも様変わりしていて、自分がどこに居るのか考え考え、覚束なくうろうろした。ここ私の暮らす街だよね…?

デパートは皆撤退してしばらく経つ。地元の日銀支店は「この市は2035年には市を維持出来てない可能性が高い」という評価を翻してない。アレだ、幼児や介護に縫い付けられているうちに、「あまずん」とか「なんちゃら書店」とかのりっぱなユーザーになってしまって、地元でお商売していた各位にあまりコミットメントしなくなったんだが、たぶんそのような買い物をする住民も少なくないのだろう。中心部のショッピングモールは、ともすれば外国の方を多く見かけたりする。

ど田舎の街と言っていい場所だ。地勢的に医療と食料品はまったく不足ないが、やはり「専門店」が消えると、昔ながらの質の生活用品が遠くなる。大型量販店では「間に合うもの」は扱っているけれども、「これだよコレ!」と思うものは無い。

茶房が消え、金物店が消え、食器の店が消え、文房具屋が消え、古書店が消え、画材店が消え、印章店も消え、オモチャ屋も消え、模型店も消え、近所の酒屋も店を閉めた。米穀店・八百屋もだ。精肉店は繁盛してるようだけど。専門店にとって存続が難しくなる時代と言ってしまえばそうなのだが、時々思う。「量販店が撤退したら通販頼みか?」とか。
…怖い想像しか出来ないな。生活を支える品物を依存している場所のことを考えると…

「出てみる街」には、「必需品」が極端に少ないのだ。

1/27/2024, 1:30:23 PM

「ハトにエサを与えるのは優しさではありません」という、小さな看板書きを、15年ほど前に札幌の大通公園の緑地帯で見た。その直後に屋台で焼きトウキビを買ってベンチで食べたんだが、一羽のハトがずっと近くに居た。クレクレ光線出しまくりのガン見で、ずーっと居た。
「お前にトウキビ粒をわけてやるのは優しさじゃないとか看板に書かれてるからダメだよ」と言いながら焼きトウキビを食べる間、僅かかもしれない可能性にハトはブレなかった。すべてのトウキビ粒が無くなると、ハトは静かに去って行った。

誰かがハトに迷惑を被っているのか、それとも人間から食べ物を得ることにハトが慣れて本来の捕食能力を鈍らせることを危惧しているのか、看板文言だけでは判らない。

これが知床の熊相手なら、食べ物なんて絶対ダメだ。最近の観光客は熊に食べ物を投げてやる人も居ると聞く。ホント、ダメ絶対。はっきり言えば、野生の熊に食べ物を与えるという行為は、その熊が殺されるリスクを与えているのと同義だ。人間から食べ物を得た熊は、人間と食べ物を結びつけて覚える。繰り返し人間に接触を試みてしまえば、猟友会のおじさんおじいちゃん達が出動せざるを得なくなり、その熊は撃たれる。そういう可能性を考えることなく、通りすがりに無責任の極みを楽しくやるなんて鬼畜も同然だ。絶対に優しさなんかじゃない。ひとつ言い添えておくが、熊撃ちを喜んでやる人はいない。大抵、命を奪うことに複雑な想いを持ちながら「出動の義務」で実行している。「人間の業というやつだろうか」と言っていた熊撃ちのおじいちゃんもいた。

生態や習性をよく知らないまま、口だけけたたましく動かす「声だけでかい」人も居るが、本当に生きものへの思いやりや優しさを発揮するなら「どちらかが死ぬ」結果につながる行動はしないはずだ。「優しさ」はまんべんなく渡るものなのだから。

1/26/2024, 1:30:31 PM

ミッドナイトという時間には大抵眠ってない。諸事情あって眠れない日が多い。今ではすっかり「ショートスリーパー」だ。“もののけ”が活発だと昔から言い伝えられる時間あたりもビミョーである。

実際、夜闇は最近、私の味方をしてくれない。眠り休むはずの時間にいろいろと面倒くさいことの対処に追われがちだ…だいたい夜中に覇気全開で退魔作業とか、真っ当に昼間の生活してるのにいったい何の因果だろう?

一日が終わって、あとは眠って休むばかり、なんて思っていたらトラブルの訴え。身が持たんぞ…
あまりの面倒くささに、丁寧な処理を捨てて一気に消し飛ばしたモノもある。一応は人の身なんだから私を矢鱈に使い倒すな、と思うがトラブルの持ち込み主は「覚えてない」。…神様、どうか私にご褒美を下さい。そんなものモノを一切気にしなくて良い、眠り安らぐ夜を。

「たすけて、追いかけてくるよ」
散らす、消し祓う、引っこ抜く、修復する、喰われたエネルギーを補填する、結界する、空間浄化する、経過観察、やっと寝る。やることはだいたい同様。「しっかりしなさい!」とドスを効かせて叱りたいが子ども同然では奏功も望めない。

こういう愚痴は初めてこぼすが、こぼしてみたら仕方ないことも実感する。疲れが取れるわけでもない。力量向上するのも馬力が要る。
ミッドナイトなんて、ろくなものじゃない。トホホ。

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