郡司

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「ハトにエサを与えるのは優しさではありません」という、小さな看板書きを、15年ほど前に札幌の大通公園の緑地帯で見た。その直後に屋台で焼きトウキビを買ってベンチで食べたんだが、一羽のハトがずっと近くに居た。クレクレ光線出しまくりのガン見で、ずーっと居た。
「お前にトウキビ粒をわけてやるのは優しさじゃないとか看板に書かれてるからダメだよ」と言いながら焼きトウキビを食べる間、僅かかもしれない可能性にハトはブレなかった。すべてのトウキビ粒が無くなると、ハトは静かに去って行った。

誰かがハトに迷惑を被っているのか、それとも人間から食べ物を得ることにハトが慣れて本来の捕食能力を鈍らせることを危惧しているのか、看板文言だけでは判らない。

これが知床の熊相手なら、食べ物なんて絶対ダメだ。最近の観光客は熊に食べ物を投げてやる人も居ると聞く。ホント、ダメ絶対。はっきり言えば、野生の熊に食べ物を与えるという行為は、その熊が殺されるリスクを与えているのと同義だ。人間から食べ物を得た熊は、人間と食べ物を結びつけて覚える。繰り返し人間に接触を試みてしまえば、猟友会のおじさんおじいちゃん達が出動せざるを得なくなり、その熊は撃たれる。そういう可能性を考えることなく、通りすがりに無責任の極みを楽しくやるなんて鬼畜も同然だ。絶対に優しさなんかじゃない。ひとつ言い添えておくが、熊撃ちを喜んでやる人はいない。大抵、命を奪うことに複雑な想いを持ちながら「出動の義務」で実行している。「人間の業というやつだろうか」と言っていた熊撃ちのおじいちゃんもいた。

生態や習性をよく知らないまま、口だけけたたましく動かす「声だけでかい」人も居るが、本当に生きものへの思いやりや優しさを発揮するなら「どちらかが死ぬ」結果につながる行動はしないはずだ。「優しさ」はまんべんなく渡るものなのだから。

1/27/2024, 1:30:23 PM