郡司

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1/2/2024, 4:19:12 AM

新年早々、元旦の夕方には正月感覚が吹っ飛んだ方も多かったかもしれない。私もそうだ。2011年のいろいろが脳裏をよぎり、手が止まりがちになった。

避難所への移動や車中泊を余儀なくされている方もたくさんおられるようだし、今後に不安を感じたり、とにかく疲労感で心身共に重い辛さの中にある方々に、いち早いサポートが届くよう願うばかりだ。

できれば、不安や失望をとりあえずはわきに置き、今必要なものごとを得るためのことに意識を振り向けて、行動・発信してください。身体を休める必要があるときは迷わず休んでください。少しずつでも、安心へ脱出して行くあしたのために。

12/30/2023, 10:58:32 AM

光陰矢の如し。駆け抜けてきた人も、ゆっくりめできた人も、ひとまずはお疲れさまでした。
よいお年をお迎えください。
来たる新年がより良きものになることを、雪の中からお祈り申し上げます。

12/29/2023, 9:30:15 PM

みかんと言えばこたつ。
冬休みのメインおやつはみかん。

子供の頃、みかんは箱で現れた。ごろごろと入ったみかんを菓子鉢に補充するのも定番の「お手伝い」だったのだけど、日にちが経ってくると苔みたいな緑のものも出現する。←昭和に子供だった方ならお解りだろう、「緑」は「あいつ」だ。

日がな一日みかんばかりぱくついていた冬は風邪を引かなかった。冬休み明け、「みかんをすごい量食べた」という友達は両手指先が黄色くなっていた。大人になった現在、みかんを手に取ってちょっと一息つくこともほとんど無い…そういえばぜんぜん無い。いつからだろうと振り返ってみたら、多分8年か9年は無い。

最近は時々、「何でもひとりでやりすぎる」と小学生の子どもに怒られる。「このみかんを食べろ」とぐいぐい勧められて、食べてみたら甘くて美味しかった。状況に追われていることが多くて、子ども達に寂しい思いをさせているかもしれない、と、みかんを一つ食べるうちに思った。時間というやつは、敢えて作らないと「無い」のだろう。落ち着いてみかんを一つ食べることにすら、そうであるらしい。むぅん…

みかんに思うことはいくらでもある。それだけ生活に浸透しているのだろう。昔、「みかん箱」は木箱だった。だから暮らしのいろいろな話にみかん箱が登場した。今のみかん箱は段ボール箱。うちの子ども達は「あれを被ってこっそり移動する」などと言い出す。状況を報告しろスネーク…

みかんとこたつと褞袍(どてら)とストーブ、雪の深さとみかん箱。そしてほうじ茶。
一日の終わりにでも、子ども達とゆっくり座る時間をつくらなくちゃ…

12/28/2023, 12:58:02 AM

真横に吹きすさぶ湿った雪の中へ買い物に出た。手袋無しで出たことを少し悔やんだが戻るのも疲れる。ちょっとのがまんだ多分。防寒着の袖を伸ばして手をしまい込む。

手袋に関して流浪の民をやってしまうのはきっと私だけじゃないと思うのだが、手袋もいろいろある。単に道行きで冷やさないようにするための手袋や、除雪作業など屋外でのワーキング用とか、お洒落にウェイトを置いてる手袋、スキーグローブなどなど。使用目的によって違う。だが、最も寒い厳冬期はどの手袋も指先は冷えて痛くなる。そして流浪が始まるのだ…

昔、祖母が私の手袋を毛糸で編んでくれた。親指だけが独立している「ぼっこ手袋」だった。当時は「おばあちゃんが編んでくれた手袋」を使っている友達も少なくなかった。互いに見せて地味な自慢大会をやっていた。全員、「編み物であるが故に風通しが良い、むしろ良すぎるので手袋にわざと雪を分厚くくっつけて風通しの良さをつぶす」ことをやっていた。現在よりも昔のほうが寒かったのに、子供だったからか平気だった。

ごくたまに、鍋つかみが手袋みたいな状況になる。小鍋に分けたものや炊いた鍋ごと運んだりするからなんだが、大抵みんな手袋か鍋つかみか区別しない。「手袋あるじゃないか」と言われる度に、鍋つかみをはめた両手を思いっきり広げて突き出し「鍋つかみじゃ!」と事実を伝達する。鍋つかみのあたたかさ自体は、かなり良いセンいってると思う。そういえば耐熱性・断熱性の高いことが当たり前のアイテムだね…手袋より強い?

12/26/2023, 1:16:39 PM

この世に、この宇宙に、変わらぬものの一つとてあろうか

と、かつて道行きを共にした友を思い出しながら「変わりゆく」ことを寂しがる者に言ったことがある。聞いて応じるに「…そうだね…」とまた寂しい顔をしていた。寂しがるおぬしも変わって来たろう、と言ってみたが応えはなかった。

私もぐんぐん変わって来た。それは子供の頃から絶えずそうだった。誰も彼も、皆変わりゆく。だが、それは「見知らぬ者になる」のではない。それぞれの核となる“存在のユニーク”は揺るがない。それに、成長すればいろいろ変わるものだ。それは「めでたき、よろしき変化」であり、「変わるな」とは「成長するな」と同義の場合もある。芽吹きの双葉がやがて苺を実らせるのを悲しむだろうか? 冬芽で冬を越した桜が咲くのは寂しいだろうか? 赤子が無事に育ち、自分の人生へ歩み出すのは喜ばしいことだ。

日々、ときには瞬々、自分なりに愛してきたところから、新しいありようが咲くことを指して「変わりゆくもの」と考えるほうが、過去から流れてくる思いも未来から吹いてくる風も、明るくあたたかく感じることができるし、それは「今」を生きゆく力になる。

変わりゆくものに祝福を、変わりゆく自分にエールを。

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