クリスマスの過ごし方。引っ張るねぇ、このテーマ。まあ、今日がクリスマス当日だもんね。
さて、家計をやりくりする者である私の今日の買い物は、日本ではありがちなクリスマス用値引き食材のハントである。オーブン料理はしないし(ブレーカーが落ちるから)、手の込んだものも割り切りのもとに却下。何よりケーキまだ残ってたのだよね…
クリスマス期間は年明けまで続くものだが、日本はお正月が来るのだ。26日以降は怒涛の年末年始になだれ込む。わたしが一息つけるのは、三が日明け。今どきのお正月を皆様がどう過ごされるのかは、それぞれだと思う。うちはクルクル舞いなのです…
祖母は超高齢、母は鬼籍。私が一人ですべての料理を作る…ので、必要最低限ラインナップ。
海の向こうの遠い国ではクリスマス中、大祓を越えて新年を目指す日本。でも有名なクリスマスの歌のラストは「and happy new year」だ。祝福の数日間の後に新年を迎える。大祓も祝福も、本質は同じものだ。「新たにはじめる」とき、みんな似た必要を持つのだろう。
クリスマス・イブの夜、私のミッションはまだ終わらない。子どもが寝付いて眠りが安定するまでは。
わが家はママがパパでサンタさんなのだ。
忙しさの隙間を縫ってでも、サンタさんのプレゼントは明日の朝に気づくようにしなければならない。何故なら明日はまだ学校があるからだ。私としては、子どもの喜ぶのが今日でもぜんぜんかまわないのだが、嬉しくて眠れないような状態になると明日に差し支える。子どもが欲しがり始めてから数ヶ月も待たせたから、寝なくなってしまうのがありありと想像できてしまう。
ミッションコンプリートのために、私は決して寝落ちできない。決して。「ママも一緒に寝る」ふりが、ふりじゃなくなるとまずい。今もう眠気を感じるのだが、私にはいつものルーティンミッションもあるのだ。年寄りと子ども。なだめすかすぺーぺーの夜は、まだ終わらぬ。
めりーくりすます…
プレゼント。やっぱりクリスマスお題なのかな。日本で言う「贈りもの」だ。
日本の時節のご挨拶として、「年賀挨拶の状」「季節見舞の御便り」の他に、夏に「お中元」、冬に「お歳暮」などなどがある。現在のように連絡が容易くできることもなく、健在を知らせ感謝を示すには最低限のコストとして「時間と手間」が必要だった時代、贈りものとともにそれらが為されていたことが多かった。主役は「もの」ではなくて、「知らせ・感謝・思いやり」を届ける「便り」であり、「ものは添え物」だったのだ。もちろん、親しみや感謝を込めて、送り先様の喜んでくれそうなものが選ばれるのだが。
「贈りもの」は、形のあるものもあれば無いものもある。形の無いものは受け取る人が心に留めたり、これより先を歩む力に変換したり、いろいろな受け取り方があって、人の数だけ違いがあるものだと思う。形があって残るものならば、贈りものを受け取った事実を思うよすがになるかもしれない。
人生はギフトに満ちているという。良い物事の中に輝くものはそのまま素直に受け取りやすい。その一方で、一見ありがたくない物事や、できれば避けて通りたいけどそうもいかないものごとの奥深くにも、ギフトはある。きっとある。「これは贈りものだ」と思って受け止めるには力量が要るのだろうが、それに出くわすこと自体が、「リボンを解くとき」なのだろう。ならば、力量に不足するところは無い。
「プレゼント」は、よろしき明るさとまっすぐな祝福の姿で現れる。嬉しく喜び、温かい笑顔を咲かせて受け取るのが最良だ。受け取る側の「嬉しい」気持ちに贈る側の「嬉しい」が響く。何度見ても新しく嬉しい光景だ。
柚子の香り、今日は冬至だからこのお題なのね。
柚子湯で温まり季節変わりの疲れを取る、厄払いよろしく冬を乗り切る準備。私の暮らす場所では、南瓜を炊く。
しかしお題は柚子の香りだ。私にとって印象強い柚子の香りと言うと、「鯛の握り、柚子塩かけ」である…。非常に美味。それを出してくれる寿司屋さんはもう店を畳んでしまって、寂しい。思い出すと食べたい気もしてくるが、今日は南瓜でほくほくしよう…
ベルの音。ジングルベルかな?じんぐっべー、じんぐっべー、鈴がーなるー、と。
子ども達はクリスマスをとても楽しみにする。ケーキやプレゼント、いつもよりちょっとだけ派手なごはん。うちはキリスト者ではないので、一般的な年中行事のひとつとしてのクリスマスである。
クリスマスが本来はどういう行事なのか、一応なりと知っておいて欲しいな、と思って毎年話してはみてるんだけど、なかなか関心を向けてくれない。んもうプレゼントとケーキで頭がいっぱいのようだ…
各地での細かな違いはさておき、まっすぐにクリスマスの本質を見ると、それは「心」にある。昔あった映画にも出てきているが、「クリスマスの心」だ。その昔、我らが友(こう表現しても差し支えなかろう)イエスが隣人に良きを与え、愛の心を分かち合ったことがとても素晴らしかったので、年に一度はそれを思って同じようにしたいというねがいを記念してのクリスマスなのだ。クリスマスの核心は、神聖を振り向くことと、それに伴った愛の心を与え受け取ることにある、と私は考える。ディケンズの『クリスマス・キャロル』でも、主人公スクルージさんはクリスマス当日になると、自分の中の愛を表現できることと、それを受け取ってもらえることに、大いに幸福と安らぎを感じる。
今のところ、クリスマスという時期に、それに近い心の恩恵を受けているのは、我が家では私だけのように見える。子ども達の喜びはプレゼントとケーキ…
クリスマスが記念の時期である良いところは、互いに「分かち合うこと」を了解している期間ということだ。クリスマスの間、心が柔らかくなる人は多い。
ベルの音が、その記念期間の到来を知らせてくれる。
さて、だかしかし。私は当面、子ども達の物欲的な期待に応えなければいけない。むぅん、クルシミマス…