郡司

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この世に、この宇宙に、変わらぬものの一つとてあろうか

と、かつて道行きを共にした友を思い出しながら「変わりゆく」ことを寂しがる者に言ったことがある。聞いて応じるに「…そうだね…」とまた寂しい顔をしていた。寂しがるおぬしも変わって来たろう、と言ってみたが応えはなかった。

私もぐんぐん変わって来た。それは子供の頃から絶えずそうだった。誰も彼も、皆変わりゆく。だが、それは「見知らぬ者になる」のではない。それぞれの核となる“存在のユニーク”は揺るがない。それに、成長すればいろいろ変わるものだ。それは「めでたき、よろしき変化」であり、「変わるな」とは「成長するな」と同義の場合もある。芽吹きの双葉がやがて苺を実らせるのを悲しむだろうか? 冬芽で冬を越した桜が咲くのは寂しいだろうか? 赤子が無事に育ち、自分の人生へ歩み出すのは喜ばしいことだ。

日々、ときには瞬々、自分なりに愛してきたところから、新しいありようが咲くことを指して「変わりゆくもの」と考えるほうが、過去から流れてくる思いも未来から吹いてくる風も、明るくあたたかく感じることができるし、それは「今」を生きゆく力になる。

変わりゆくものに祝福を、変わりゆく自分にエールを。

12/26/2023, 1:16:39 PM