悩む人

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2/19/2024, 8:02:01 AM

今日に別れを告げたかった

だけど私たちは、まだ今日にとどまっている

昨日は、昨日の時点で今日だった

明日は、明日の時点で今日になる

今日は、些細な変化を見つけるための今日だ

いつまでも、どこまでも続く今日

今日は、いつも私たちの側に横たわっている

特別じゃなくていい

小さな幸せのために、私たちは今日も生きている

2/18/2024, 7:27:07 AM

人は単純なものであればあるほど愛着を抱きやすいらしい。使い慣れた筆記用具や鞄にぶら下げたキーホルダーを何気なく大切にしているのには、そういったワケがあるそうだ。いつもは無意識な事柄に気づくことができるのは、思いの外、嬉しかったりする。

「……で、僕の頬を毎日横からつつくことに何の意味があるのか、そろそろ教えてくれないかな」

「それは、無理な相談。まだ堪能したいから、静かに」

むにむに、むにむに。

僕は無抵抗で、なされるがままになっている。

僕の通う高校の近くにある、広々とした公園。入口付近には三台の自販機が設置されていて、その横に三人掛けの木製ベンチが二つ並んでいる。放課後、僕はクラスメイトの御影さんと横並びになって、そこに腰掛けていた。

なぜこのようなことが日課になっているのか、理由はよくわからない。

ある日の昼休み、弁当を食べていると、御影さんが僕にいきなり「授業終わったら、来て」と言い放った。告白されるのかと内心ドキドキしながら放課後を迎えたのだけれど、「公園、行こう。そこでなら、楽しめる」と頬を緩めていたので、何か良いことが起こるのだと期待して、ノコノコついて行った。そしたらどういうワケか、「ほっぺた、貸して。いい、よね? いいよね」とひとりで納得した後、御影さんは僕の頬をつつき始めたのだ。帰宅した後に気づいたのは、僕の処女青春イベントは意味不明な形で奪われた、ということだった。

それ以降、御影さんは僕の右頬に人差し指を刺すために毎日、僕をここへ連れてくるようになった。

――まだ、むにむにされている。

二人の間に、言葉はない。

僕は意外と、この時間が嫌いじゃなかった。女子と触れ合えて幸せだからだ。といっても、一方的に触られるだけであるため、御影さんから漂ってくるシトラスの芳醇な薫りを肺に一杯にして、帰宅後の楽しみにするしかないのだけれど。柔らかい感触が、二の腕から感じられたりするし、仕方ないことだと思う。

いつの間にか、御影さんのつんつんする指は止まっていた。

「どうしたんですか、急にやめちゃって。今日はもう満足したんですか?」

首を横に振って、御影さんは否定する。

どういうことなのだろう、と考えていると、彼女は口を開いた。

「……り、だから……」

「……え?」

声が小さすぎて、よく聞き取れなかった。

「……いり、だから……」

「すみません、もう一度お願いします」

僕がしつこかったらしく、御影さんは普段の何倍も声を張り上げて、言葉を口にした。

「あなたが、お気に入りだから!」

「…………」

咄嗟のことで、何も反応することができなかった。

御影さんの可愛い顔が、見る見る紅潮していく。

最初の質問への回答、だったのか。

何を言われたのかを遅れて理解した僕の顔も、次第に赤くなっていく感覚がした。

お気に入りということは、好きだと告白しているのと同じじゃないか。

けれどそれを言葉にするのも恥ずかしく、ありがとう、としか返せなかった。

「うん……」

御影さんも、簡単な返事しかできないらしい。

互いに沈黙していると、暖かい風が、二人の頬を緩かに撫でていった。

このとき、僕は確かに、青い春の訪れを感じた。

2/17/2024, 12:06:28 AM

「誰よりも〇〇」という言葉を見聞して真っ先に思い浮かべるのは、それが誰にとっての一等賞なのか、ということだった。
〇〇の中には、ある事柄に対して優劣をつける言葉を当てはめることができる。普通とか平凡とかでも可。自分で選んだものに自分で評価を下すことができる。
僕は一等賞だと言った。しかし、マイナス評価をつける場合は最下位になるのではないか、と疑問を抱くかもしれない。その通りだと思う。しかしあえて一等賞という言葉を使っているのにはワケがある。ありきたりなフレーズになってしまうけれど、自分という存在がオンリーワンだからだ。
唯一無二の自分に、たったひとつの言葉を与える。そこには個人以外の要素は一切、介入していない。「誰よりも」という前置きがあるとはいえ、その「誰」というのは、言ってしまえば「不特定の何者か」でしかない。そのようなものと比較したところで、一番輝くのは、名乗ることのできる自分に決まっている。名乗りとは、個人の存在を明確にする魔法のワザだ。
例えば、他者が僕や君に、何かしらの評価を与えるとしよう。そのとき彼ら彼女らは、「誰よりも〇〇だね」と告げるだろうか。恐らく、そのようなことは起こり得ない。「Aさんは〇〇だね」と評する可能性のほうが高い。「誰よりも」という表現は強い比較級であり、他者が他者にそれを用いるのは、不適切な場合が多いからだ。
テレビに映るアスリートに対して、視聴者は「この選手は誰よりも〇〇」と口にするかもしれない。しかしそのとき、記録を更新する者が現れる可能性を考慮しなくても良いのだろうか。絶対という保証はどこにもないのだから、断定で締めくくるのは正しくない、と言えそうだ。「かもしれない」や「だろう」といった推量の表現のほうが、より適切なように思える。
長くなったけれど、「誰よりも〇〇」というのは「個人にとっての一等賞」と仮定して、僕は筆を置かせていただく。

2/15/2024, 4:03:54 PM

死を願った、十年前の私へ。
その絶望は、まだ絶望じゃない。
この先に、唖然とする暇すら与えられない絶望が待っている。
生きた心地なんかしない。
不条理が、荒波として常に襲ってくる。
いつの間にか足をさらわれて、状況も飲み込めないまま、海の中。
呼吸なんてできやしない。
現在の辛さは、未来の辛さと比べると優しかったりする。
だから、絶望するなら、宇宙を想え。
過去にも未来にも現在にも目を向けず、ただただ、宇宙の広さを想像しろ。
人間の悩みがちっぽけだって、よくわかるから。
……なんとか、十年後までは生きているけど。
自殺しようとしなければ、もっと華々しい青春を送れたんだよ、あなたは。
〝いま〟という瞬間を、もっと大切に。
惨めでも、醜くても良い。
足掻いて、藻掻いて、苦しんで。
未来の「私」の為に、精一杯生きて。
「私」を救えるのは、「私」だけなのだから。
必死に生きている、十年後の私より。

2/14/2024, 3:35:25 PM

夢に聖ウァレンティヌスが出てきてこう言いやがった。
「君の元に幾人かの女性たちがチョコレイトを渡しにくる。しかしそのうちのひとりからしか受け取ってはならない。この忠告を聞かぬ者には、必ずや天罰が下るであろう」
俺にチョコを寄越す物好きなんて母親くらいだ。他のやつらがそういったものを贈ってきたことなんて一度もない。だから、目覚めた時に抱いた感想は、くだらねー夢だな、くらいだった。
いつも通り学校に行きゃあ、男どもは猿みたいにソワソワしてやがる。小学生の頃から変わってないと思われる、何個貰えるかなのノリ。たまーに、本命くれるコなら一発ヤれるんじゃね、とかほざいてるような全身股間人間もいた。汚物だ環境汚染だ地球破壊だ。アースデブリはデリートデリート。ノートがあったら書き込むこと間違いなし。
そうやってどうでもいいことを考え、痛々しい自分がいることに気づきながら、午前は過ぎていく。数学の授業でチョコを扱った二次関数の文章題を解かされた時は、このハゲ教師も期待してんのかよ、と思った。
昼食を摂り終えると呼び出しを食らった。いままで会話したことのない女子からだ。名前すら知らない。何度か顔を見たことはある。よくわからないやつにほいほいついて行く俺はどうかしているんじゃないだろうか。
「で、用ってなんだよ。わざわざ物理実験室にまで呼び出して。実験やレポートの手伝いなら御免だぜ」
「そんなこと頼まないわ。誰もいないからここを選んだのよ。それより、今日が何の日か知っているでしょう?」
「ヴァレンタインだろ。それがどうした? まさかお前、俺にくれるとか言うんじゃないだろうな? 関わったこともねーのに」
額に手を当て、ため息を吐く女。そーいう話じゃないのか。だったらなんだよ。
「あなたは忘れてるでしょうけど……私は憶えてるわよ、あの日のこと。今日は日が日だし、そのお礼も兼ねて、これを渡そうと思ったの」
そう言って女は、実験台の下から小包を取り出す。透明な袋に白いリボンのついた、シンプルで可愛いラッピング。中身はクッキーらしかった。
「慣れないことだったけれど、昨日、頑張って作ったのよ。あなたさえよければ、受け取ってちょうだい。それと……あの時はありがとう」
「待て待て。俺の記憶は確かだ。本当に何のこと言ってんのか、さっぱりわかんねーぞ。もしかしなくてもお前、やべーやつか?」
「この期に及んで往生際の悪い人ね……いいから受け取りなさい」
ダッと距離を詰めて俺に菓子を押し付け、女はそのまま出ていく。去り際、バカ、と呟いていた。
「んだよ、わけわかんねーな……」
混乱状態が解けず、俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
教室に戻れば、寄ってくる数人の男。「あの美人とはどーいう関係だ」「お前チョコ貰ったのか」「死ね」など、返事のめんどくせーことばかり言ってきやがる。いまの俺に重要なのは、そんなことじゃない。あいつは何者なのか。それだけだ。
野次馬をテキトーにあしらって、記憶を辿る。
こーいう展開ってのは、小中のどこかで接点があったとか、高校生になってから手助けをする機会があったとか、そーいう感じのやつだ。そうだと相場が決まっている。
行事をすべて思い返してみるが、やはりそれらしきものは記憶にない。黒の超長髪をしたあの女は気が狂っていたんだろう。
机の上に置いていた袋は一応、ありがたくカバンに仕舞っておく。花の形を模していたが、俺にはそれが何の花であるのか、見当もつかなかった。
睡魔と格闘していた午後の授業もあっという間に終わり、放課後。
待ってましたと言わんばかりに、チョコの受け渡し会が開催される。女子からブツを貰った男連中は鼻の下を伸ばしていた。デレデレしやがって、気色ワリィ。
さっさと身支度を済ませ、帰ろうとすると、学級委員長に呼び止められた。
「珍しいな、委員長が声かけてくるなんて。どうした?」
「これ、渡そうと思って」
差し出されたのは、どこぞの高級チョコの小さな箱。六個か八個入りで、樋口一葉は確実に飛んでいくやつだ。
「本当は作りたかったんだけどね。塾で時間取られちゃって。少しでも良いものをと思って、奮発しちゃった」
ボーイッシュな見た目をしているのに、もじもじしている姿が可愛いな。……違う、そうじゃない。
「待ってくれよ。委員長まで急にどうしたんだ? こんなことするキャラじゃないだろ。ドッキリか? ドッキリなのか?」
「何言ってるのかわからないけど……本命だよ。ありがたく受け取りなさい」
言葉を返す隙もなく、箱を突きつけられる。手渡されるのは良いが、周囲のやつらにガン見されてるよ……
「じゃ、そういうことだから。返事は一ヶ月後でいいよ」
「あ、ああ……」
俺、またしても放心。って、とんでもない課題を投げてきやがった。どうすんだよ、これ。
今日という日は間違いなく特異点だ。普段話すことのないやつが次々にチョコを渡してくる。俺モテ期? なんて調子に乗れるような状況ではない。むしろ背筋がゾッとする。
当然の如く、昼の男たちは揶揄いにくる。こいつら、友達でもなんでもねーんだよな。ただのモブABC。トリオになると雑魚そうに見えるのは、漫画の読みすぎか。
三下を雑に片づけ、教室を後にする。
下駄箱には、チョコブラウニーとともに手紙が添えられていた。差出人を確認する。
「……図書委員のやつか」
眼鏡をかけた、大人しそうな女だ。貸出の時に何度か顔を合わせたことはあるが、それ以外で関わったことはない。
手紙の内容は至って簡潔だった。ずっと前から好きだったから、手作りチョコを食べてほしい。それだけで、特筆すべきことは何も書いていない。
どいつもこいつも、理解に苦しむ。俺がイカレちまったのか? それとも、俺以外がイカレちまったのか? もうわかんねぇよ……
結局、バイト先のお姉さん、近所の若奥さん、よく面倒を見ている小学生、妹、この四人からもチョコを貰った。母親は言うまでもない。
例年の八倍になる贈り物を賜ったわけだが、俺はもうヘトヘト。心労がひでぇったらありゃしない。
自室のベッドに沈んで寝ようとしたら、今度は思い出す思い出す。最初の女のこと、蘇ってきた。
些細なことだ。街中でガラの悪い輩に絡まれているところを助けただけ。暴力沙汰にはなっていない。俺の見た目が幸いした。本当にこれだけだってのに、あの女はなぜそこまで……
クッキーにはどうやら、ミモザが使用されているらしい。ご丁寧に成分表示してあるから判った。
「花言葉は……秘めた愛? 重たすぎるっつーの」
どうしてそんなことまで成分表に記載しているのかは、考えるまでもない。
けど、このクッキーはいったいなんの花を象ってんだ? サクラっぽいが……
「まあ、いっか。とりあえず食おう」
眠気はどこへいったのやら。自分の頬が緩くなっているのは、気のせいってことで。
ゆっくり味わって食べる。慣れねぇって言ってたが、うめぇじゃねぇか。
一度食べ始めると止まらず、他のやつも順調に消化した。
ぜんぶ胃に収めると、眠くなる眠くなる。
「もう、むり……」
電池が切れたみたいに、パタリと眠りについた。
気づいたら、また聖ウァレンティヌスが夢に出てきてやがる。
「またお前かよ……」
「私の警告を無視したようであるな。残念だが、君、睡眠薬や毒の入ったチョコレイトを口にしたから、もう死んでいるよ」
「……は?」
「だから、死。謀られたのだよ」
「冗談、だよな……? 本気で言ってるのか?」
「正真正銘の事実だ。言っただろう? ひとりからしか受け取ってはいけない、と。母親以外のものは、すべて事前に計画が立てられていた。主犯は、最初の娘。彼女が他の者に話を持ちかけ、全員のチョコレイトを食べることによって君が気づかないまま死に到るように仕向けた。その罠に嵌ったのだよ」
「……信じられねぇ」
「私が嘘を吐いてどうするというのか。受け入れたまえ、君の人生は終わったのだ」
「はいそうですか、ってなるわけねぇだろ! これも夢だ、さっさと醒めやがれ!」
「ならばずっとここにいるが良い。何も無い、永遠の退屈を与えよう」
そう言って、聖ウァレンティヌスは俺の前から消えた。
真っ白な空間が、どこまでも広がっている。
怒鳴る、叫ぶ、喚く。
何をしても、音が虚しく響き渡るだけ。
眠りにもつけないらしく、俺は思考することを放棄した。
……二月十四日は、めでたい日なんかじゃない。
聖ウァレンティヌスが斬首された日だ。
そして、俺の命日となった、クソみたいな日だ。

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