人は単純なものであればあるほど愛着を抱きやすいらしい。使い慣れた筆記用具や鞄にぶら下げたキーホルダーを何気なく大切にしているのには、そういったワケがあるそうだ。いつもは無意識な事柄に気づくことができるのは、思いの外、嬉しかったりする。
「……で、僕の頬を毎日横からつつくことに何の意味があるのか、そろそろ教えてくれないかな」
「それは、無理な相談。まだ堪能したいから、静かに」
むにむに、むにむに。
僕は無抵抗で、なされるがままになっている。
僕の通う高校の近くにある、広々とした公園。入口付近には三台の自販機が設置されていて、その横に三人掛けの木製ベンチが二つ並んでいる。放課後、僕はクラスメイトの御影さんと横並びになって、そこに腰掛けていた。
なぜこのようなことが日課になっているのか、理由はよくわからない。
ある日の昼休み、弁当を食べていると、御影さんが僕にいきなり「授業終わったら、来て」と言い放った。告白されるのかと内心ドキドキしながら放課後を迎えたのだけれど、「公園、行こう。そこでなら、楽しめる」と頬を緩めていたので、何か良いことが起こるのだと期待して、ノコノコついて行った。そしたらどういうワケか、「ほっぺた、貸して。いい、よね? いいよね」とひとりで納得した後、御影さんは僕の頬をつつき始めたのだ。帰宅した後に気づいたのは、僕の処女青春イベントは意味不明な形で奪われた、ということだった。
それ以降、御影さんは僕の右頬に人差し指を刺すために毎日、僕をここへ連れてくるようになった。
――まだ、むにむにされている。
二人の間に、言葉はない。
僕は意外と、この時間が嫌いじゃなかった。女子と触れ合えて幸せだからだ。といっても、一方的に触られるだけであるため、御影さんから漂ってくるシトラスの芳醇な薫りを肺に一杯にして、帰宅後の楽しみにするしかないのだけれど。柔らかい感触が、二の腕から感じられたりするし、仕方ないことだと思う。
いつの間にか、御影さんのつんつんする指は止まっていた。
「どうしたんですか、急にやめちゃって。今日はもう満足したんですか?」
首を横に振って、御影さんは否定する。
どういうことなのだろう、と考えていると、彼女は口を開いた。
「……り、だから……」
「……え?」
声が小さすぎて、よく聞き取れなかった。
「……いり、だから……」
「すみません、もう一度お願いします」
僕がしつこかったらしく、御影さんは普段の何倍も声を張り上げて、言葉を口にした。
「あなたが、お気に入りだから!」
「…………」
咄嗟のことで、何も反応することができなかった。
御影さんの可愛い顔が、見る見る紅潮していく。
最初の質問への回答、だったのか。
何を言われたのかを遅れて理解した僕の顔も、次第に赤くなっていく感覚がした。
お気に入りということは、好きだと告白しているのと同じじゃないか。
けれどそれを言葉にするのも恥ずかしく、ありがとう、としか返せなかった。
「うん……」
御影さんも、簡単な返事しかできないらしい。
互いに沈黙していると、暖かい風が、二人の頬を緩かに撫でていった。
このとき、僕は確かに、青い春の訪れを感じた。
2/18/2024, 7:27:07 AM