怒鳴り超えが今でも耳にこびりついている。どうしてあんなこと言ったんだろ。怒りに身を任せてたらとんでもないことになってしまった。
本当はわかっていた。でも、それを認めたくなかった。
事が起こったあとじゃ、もうどう足掻いてもどうにもならない。
過去を変えることはできないのだ。
「私は大丈夫だから、もう自分を責めないで」
彼女はそう言った。その言葉が私を余計に苦しめた。
彼女は笑顔を作っていたが、傷ついた心を隠せていなかった。その目は怯えている。
今日も前と変わらない日常を送った。友達とバカやって、楽しい時間を過ごす。その中に変わらず彼女もいて、一緒に笑っていた。
このまま、何もなかったことになるのだろうか。
そうなって欲しいと望む自分とそれでは駄目だと言い聞かせる自分が頭の中で戦っていた。
いっそ、傷ついて私を指させばいいのに。
隠そうとする彼女の優しさが私を苦しめ続ける。
どうしたらいいの、苦しい、嫌、いつ終わるの?
もし、これが彼女の狙いだったら?
そう考えるときには私は、もう彼女の前にいなかった。
「ねーちゃん」
「んー?」
「ねーちゃんてさ、嫌われてんの?」
煩い雨音に鉛筆のカリカリと言う音が混じって聞こえる。インクや筆、紙など絵を描く道具と机にベッド、タンスといった生活に必要なものが最小限置かれた部屋ではいかにも絵描きらしい独特な匂いが部屋に詰まっている。
自分の部屋から持ってきた漫画を閉じ、姉のベッドから起き上がると、姉はこちらを見向きもせずに鉛筆を動かしていた。
「無口で無愛そうなつまらん奴は皆からよく思われないんでしょ」
顔色一つ変えず、さらりと言ってしまったねーちゃん。
「寂しくないの、ひとりって」
「お前がいるからなぁ」
「でも僕が彼女とか作ったり何か熱中できるもんできたら、ねーちゃんから離れるよ」
「そん時はそん時。てか、ひとりって悪いもんじゃないから」
ずっと動き続けていた手がやっと止まる。天井に手を伸ばし、固まった体をほぐして、姉の目が僕を捉える。
「お姉ちゃんのこと心配してくれたの?」
「僕は心配してないけど、母ちゃんと父ちゃんがさ」
「なんでだろうね。学校休んでないし、成績もいいのに心配することないよね」
机を片付け、勉強するからと僕を追い出そうとする。
「ねーちゃんの絵欲しい」
「急にどうしたの?いいよ」
自分の部屋に戻り、タンスの中に隠していたケースを取り出した。中には幼い子が描いた絵が数枚入っている。
どれもクレヨンで色鮮やかに彩られていて、眩しいくらいだ。
これは昔の、僕が生まれる前にねーちゃんが描いた絵らしい。ねーちゃんが中学生の頃に捨てようとしていたが、母ちゃんが取っといて、僕が欲しいと言ったので今、僕の部屋に絵が置かれている。
ねーちゃんの部屋にあった絵を思い返す。どれもモノクロの絵だった。
今僕が見ているのは、見ていてワクワクする自然と笑顔になるとっても好きな絵だ。
辛い時はこれを見て元気になれる。
子供の絵だから上手いとは言えないけど上手いよりも大切なことがこの絵にある。
ねーちゃんが今書く絵は、凄い上手いんだけど、大切な何かが足りない。
僕は小学校の頃に使って以来しまっておいた絵の具セットを取り出した。
数日後、ねーちゃんの部屋に行った。
ノックをすると返事が聞こえたので、ドアを開けると相変わらず、絵を書いている。
「はい、これ」
「これって」
ねーちゃんがこの前くれた絵に色を付けた。
これでねーちゃん気づいてほしいけど、それは簡単じゃないから僕はこれからもねーちゃんの絵に色を続けようと思う。
いつかカラフルな世界に戻るため。
「誰かー!いないのー!?」
声が出ているはずなのに、聞こえない。
ずっとずっと歩いている。
あたりは真っ暗闇で何も見えない。だいぶ歩いたが、突き当りにもたどり着かない。何もないこの場所はブラックホールの中みたいだ。
ずっと歩いているのに疲労を感じない。足が地につく感触もなくて、フワフワと漂っているみたいだ。
暗い暗い。ずっと恐怖が付き纏ってくる。だけど、叫んだり、泣いたり、パニックにならず、どこか冷静でいられる自分がいた。
何十分何時間何日何ヶ月何年…
悪夢が終わらない。明けない夜はないというけれど、それは嘘ではないのか。明けない夜は本当にあるのではないか。
いつしか希望を何処かにおいてきてしまったようだ。
ただ歩く。意味なく歩く。
すると、遠くから光が見えてきた。それはだんだん近づいてくる。
アタタカイ、ハヤク、アソコニイキタイ
「駄目よ戻ってきて」
イカナキャ
「向こうに行くのはまだ早いわ、還ってきなさい」
ヤダ、イクノ、ワタシノ、イバショハ、ムコウ
「約束したじゃない、ねぇ」
アァ、ヤット、ヤット、コレタ
.......
ピーーッ
機械の耳に残るような不快な高音が鳴り響く。
力がスーッと抜けていき、その場に立っていられず、床に崩れ落ちる。
仕事を抜け出してきて急いでやって来た彼女の母が声をあげて泣き、彼女の父が妻を抱き寄せる。
急のことだったからまだ事実が受け止められない。
それからはあっという間だった。
葬式の時に見た彼女は幸せそうな顔を浮かべていた。
機械のように同じ行動をして、同じ一日を過ごして、それに対して何も思わなくて、私はそれでいいのだろうか。
教室の窓から見える一本の木を見てそう思った。分からない。なんであの木を見てそう思ったのか。
何の変哲もない木にハッとさせられてしまった。
他の木から離れ一本で佇む孤独な木。葉も落ち、数えられるぐらいしか葉が残っていない見窄らしい木。
哀れな木が陽の光に当てられ、輝いて見えた。
まるで私が主役なんだと、疑っていない。見せたくないはずの部分を隠さずともアレは輝いて、生き生きしている。
私とアレは似ているはずなのに、アレは私に持っていない光を持っている。似ているようでぜんぜん違う。
私もアノ木のようになりたい。どうしたら貴方みたいになれるの?尋ねようにも私の声は届かない。
私はこれからどう生きればいいの?私はなぜ生きているの?私の生きる意味は?
一つ疑問が出てくると、次から次へと湧き出てくる。
疑問はモヤモヤするはずなのになぜだかワクワクする。
どうして!なぜ!
じっとしてはいられない。帰りのホームルームが終わった途端に教室から弾けだされ、走り出す。この気持ちの高ぶりをどうにかしたくて目的地もないまま、やみくもに走って、息が切れても、足がもつれても、走り続ける。
たどり着いた先には多くの観客が待っていた。
スタートを合図するブザーが鳴り響き、幕が上がる。
今夜、新たな物語が始まる。
どん底から頂点へ這い上がる一人の女優の物語が!