この季節になると母の趣味でお風呂場の浴槽が黄色に染まる。
バラ風呂とかみかん風呂とかいろいろ試した母だったけれど最終的にはゆず風呂に落ち着いたらしい。
「先生もつかってくれたりする、かな……」
先生のお家のお風呂と私の家のお風呂、同じものを湯船に浮かべているのはちょっぴりロマンチックだ。
まるで、離れている恋人どうしが同じ月をみて愛を語りあうような……。
ほら、貴方がみている月と私の視界に映る月はおなじなのね…、みたいなさ?
見た目に反して夢見がちな先生のことだからこの話をしたらちょっぴり笑って、でもいいねって言ってくれそうだ。
そう思ったら何の変哲もないゆず風呂も豪華なものに思えてきた。やっぱりいい匂い。
今日のゆず風呂はいつもより甘酸っぱい匂いがした。
『ゆずの香り』
午後の授業が何となく面倒になって不良のように授業をサボってた午後14時。
いつもは真面目に受けるしサボったりはしないけど、今日は電池が切れたようにぷつんとやる気がなくなった。
とうとう座ることも億劫になってゴロンと硬いコンクリートに寝転がる。
「…かたっ、」
もちろんふかふかなはずもなく。
ごちん、と鈍い音がした後に頭部に鋭い痛みがはしった。
今日は何だかツイてない。
もういっその事帰ってしまおうか。
あ、でも放課後に先生に会いに行くルーティンが崩れるのはちょっといやだ。
「どーしようかなぁ〜」
「なにが?」
「へぇっ!?!?」
独り言で呟いた言葉にまさか返事が来るとは。
慌ててドアの方を見れば、珍しく白衣を着た先生。
国語系の先生なのに白衣を着てるのは未だに謎。
「貴方こんなところで何してるのよ、」
全て見透かしたような笑みを零した先生は手から何かをこちらに投げた。
慌てて両手でそれを受け取る。
それは紙パックの苺ミルクだった。可愛いチョイス。
「…まぁ、サボりたい日もあるよね。今日は特別、俺もサボっちゃおうかしら」
「……先生は働かなくちゃダメですよ」
「えぇ、横暴!ほら、生徒を見守るのも教師の仕事ってことでさ!」
よく分からない理論を展開した先生は私の隣に座ってそのまま横にころがった。
上から見下ろす先生もめちゃめちゃにかっこいい。
気の抜けたような表情をする先生が好きだ。
私にトクベツに優しい先生が好き、だ。
「先生、月が綺麗ですね」
「………雨がやみませんね、」
ぽつりと零した先生の声は少し震えていた。
その日の大空は嫌になるほど眩しい快晴だった。
2023.12.21『大空』
街を歩けばどこもかしこもうかれたハッピーな雰囲気。
リンリン、と可愛いベルの音に聞きなれたクリスマスソング。
この時期になると格別幸せな雰囲気に包まれるこの商店街が好きだ。
全てが私を祝福してくれているようで嬉しい。
この上なく幸せだ。
「ふんふんふーん、」
先生との約束が嬉しくて鼻歌だけでなくスキップまでしてしまいそうだ。
だって、クリスマスの日学校の当直を任されたのが先生だったから。
それに舞い上がってつい、「先生に会いに行ってもいいですか」なんて図々しいお願いをしてしまった私に先生は優しくもちろん、と返してくれた。
それだけでも嬉しいのに先生は途中で抜けてケーキを買いに行こうねと約束してくれて、今日は私が泣いてしまいそうだった。
「…先生ちょっとは私の事……、なんてね。」
十分幸せだから自惚れるのはやめよう。
だってこの幸せが逃げてしまったら困るから。
先生へのクリスマスプレゼント何にしようかな。
手袋、お花、手紙、キーホルダー、色々考えてみたけれどどれもピンと来ない。
先生とのデート(勘違いしたもん勝ちだ)までにプレゼントを決めなければ、と緩んだ頬もそのままに浮かれた気分で街を歩いた。
2023.12.20『ベルの音』
生きるということは大変なことだ。
あちこちに鎖が絡まっていて、少しでも動くと血が噴き出す。とかの有名な作家も言っていたでは無いか。
そうだ、生きていくというのは大変なんだ。そう開き直るのは教師としてどうなのかと問われればぐうの音も出ないが。
「…っ、」
突然瞳の奥が熱くなって涙がこぼれそうになる。
ぐっと力を入れて堪えたつもりだったのにぽろぽろと零れる涙が俺の手を濡らす。
仕事場で泣いてしまうなんて生娘のようで恥ずかしい。
必死に涙を拭っている最中に同期に言われたお前って泣き顔ブスだよな、なんて揶揄った言葉を思い出してまた泣いた。(軽口で本気にした訳では無いが。)
「しっかり、しなくちゃ…」
「先生…?泣いてるんですか…え、ぁ…大丈夫、?」
独り言で処理されると思っていた言葉に返事が帰ってきたことに驚いて背がぴん、と伸びる。
目を赤くして涙をこぼす先生と、びっくりした様な表情で様子を伺う生徒。
実に滑稽だ。1つ上のあの人が聞いたらなら大笑い間違いなし、だ。
「先生、泣いていいですよ。誰も見てません」
そんな彼女は瞬時に状況を理解したのか一瞬苦しそうな顔をした後俺に目線を合わせてしゃがんだ。
幼稚園児が保育士をみて安心して泣くのと同じで、目線を合わせて頭を撫でられると泣いていいよ、と本当に行動で示されているようでまた涙が止まらなくなった。
「…絶対慰めるって言いましたよね。私で良ければですけど、」
「…、俺もう、むり…全部不安で辛くて…、」
髪を手櫛でとかされて、ワントーン落とした優しい声色に甘やかされると温かい気分になって自然と涙が止まった。
教師だとか彼女より年上のおじさん、なんて事は頭から抜け落ちて心地の良い彼女の手に全てを委ねた。
だんだんと冴えてきた頭で考えるのは、彼女に情けない姿を見られてしまったという後悔だった。
生徒にこんなダサい姿見せて幻滅されるに決まっている。
おいおい男泣きに泣いてしまってかっこ悪い。
「ご、ごめん…。俺先生なのにキモイよね」
「え、?なんでですか…不謹慎ですけど泣いてる先生も可愛いです。それに…なんだか信用されてるみたいで私嬉しくて、」
「あ、え…そ、そう。」
「…不安な時は寂しい時なのかもしれませんね。先生が寂しい時、私が一緒に居たいです、ダメですか?」
「…ううん、ダメじゃないよ。」
考えるまでもなくそう返事をしていた。
気づかないうちに俺もだいぶ絆されているなぁと恥も外聞も捨ててただ甘やかされる中そう思った。
2023.12.19『寂しさ』
雪が降ってほしい、という私の願いが届いたかはさておいて本当に今日雪が降った。
空の上から降ってくる冷たい雪はじんわりと体温を奪ってゆく。
静かな白銀の世界を一人で歩いたり、誰も踏んでいない新雪を荒らすように足跡を付けるのは冬の醍醐味だ。
「先生を誘う前に雪だるま、先に作っちゃおうかな。」
さらさらの雪を手に取って強めにギュッと握る。
手がありえないほど冷たいが、可愛い雪だるまを作る為なので少し我慢。
今日雪が降るなんて天気予報のお兄さんも言っていなかったから手袋とかマフラーの準備もしていない。
制服にコートだけの身体に冷たい風が染み込む。
「さ、さむ…っ、マフラー巻いてくれば良かったなぁ…」
ずっ、と鼻を鳴らした瞬間後ろから肩を叩かれた。
わっ!という可愛い効果音付きで。
「せ、先生…っ!?」
「酷いじゃない。一緒にやるって貴方が言ったのに先に始めちゃうなんてさ?」
そういった先生は完全防備。
どこからどう見ても暖かそう。そしてモコモコに埋もれる先生は可愛い。
「雪を見たらテンションがあがっちゃって…」
「ふふ、面白い。…って貴方手真っ赤じゃないの。」
くすくすと笑っていた先生は私の手を見て青ざめたような顔をする。
そんなに…?と思い私も手元に視線を落とすと真っ赤に染まっていた。見ているだけで寒そう。
「風邪ひいちゃったらどうするの。…もう、貴方ってば世話がやけるんだから…」
そういった先生は首に巻いていた淡い色のマフラーを私の首に巻いてくれる。
ふわっと先生の柔軟剤の匂いがしてドキドキする。
真っ赤の手を包むように先生の指が絡まる。
先生の物に囲まれて失神してしまいそう。
「あ、ありがとうございます…。で、でも先生が…」
「貴方女の子なんだから体冷やしちゃダメでしょ。この雪だるま作ったら中にはいるよ。」
「え、えぇ〜!やだ、まだ作り始めたばっかりなんですよっ!」
「だめ、貴方が風邪ひいたら俺が悲しいの。だからダメ」
きゅっと口を結んでそんなことをいう。
ねぇ、先生。誰にでもそんなこと言ってるの?勘違いされちゃいますよ。
都合よく解釈しちゃうんだから。先生の思わせぶり。
「…わかりました。私も先生が風邪ひいちゃったら悲しいので中に入りましょう!」
「もう、…それでいいよ。さぁ、ココアでも入れようか」
大きさの違う足跡がふたつ並ぶ。
そんな2人の背中を雪だるまは見守るように見つめていた。
2023.12.18『冬は一緒に』