絆
確かに、何度と、◯◯◯が在れば良いよな!
そう思った事は、幾度も経験して来た。
ワタシ的な結論は、単なる幻想に過ぎ無いだ。
1000年に1人の逸材なら、地の底を這いずり回る様な辛酸を舐めても、変わらず、支えたり、励ましたりが有り得るが、大多数の凡人にとっては、
出会い、共に歩んで行けるかな?!そう思った時が出発点であり、右肩上がりに状態が更に今より格段に良くなる前提で、思考も勝手に組み上がって居る。
従って、預貯金が無かったり、病を抱えていたりと、新たな不安材料が出たら、即、ゲームオーバーだ。
結局、唯一信じられるのは、己自身しか居ないのだ。
大好きな君に
日本語程、事細かな、微妙な心理描写を使い分けるのに適した言語は無い。
似たような言葉が、実に多岐・多彩だ。
例えば、好き・愛が在る。
勝手な推論だが、好きは、所有欲の発露、愛は、守る対象といった感じだ。
そして、君は、奥さんや、旦那さん、或いは、部下や教え子、後輩等や、過去の自分が考えられる。
一般に、ナルシストと云うと、変わり者と思われるが、同時に、自分を愛せない或いは、大切に出来無いと、奥行きの無い人に思われそうだ。
ひなまつり
古くは、桃の節句と呼ばれた。
昨今、伝家の宝刀の様に、叫ばれる多様性。
簡単に云えば、異なる価値観を尊重しましょうであって、何でもかんでも好き勝手にやって構わないと
云う事では無い。
その場合は、単なる、我儘。
が、今の若者は、威張って居る様に、観える。
ワタシが子供時代は、高齢者や身障者に席や道を
譲るのは、至極、当然で、子供はバスでも、電車でも立って居るのが、当たり前。
それが、今や、子供が1番威張って座って居る。
何も、年寄が無条件に偉いとは思わないし、云わないが、敬意は払うべきだろう。
そうで無いなら、長生き税でも課したら如何だろう?!
たった一つの希望
この言葉から連想するのは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だ。
天上界から地獄の様子を観て居た御釈迦様が、カンダタが一度だけ、蜘蛛を踏み潰さずに助けた事を思い出し、蜘蛛の糸を垂らす。
カンダタは、蜘蛛の糸をよじ登るのだが、ふと、下を観ると、無数の地獄の住人が、我も我もと登って来るでは無いか!
カンダタが、折角の「蜘蛛の糸」が切れてしまうと、皆、その手を離せ!と叫ぶと、「蜘蛛の糸」が
プチンッと切れ、元の木阿弥に。
御釈迦様は、哀しい表情を浮かべ、池の辺りから離れる。
マーズローの欲求段階説の、最上位の欲求の更に上、利他とは真逆の自己中の極みだ!
小説や映画で、繰り返し取り上げられる普遍的テーマだが、現実世界では、その様な、極限状態では
緊急避難と云い、限られた人しか助からないと思われる時には、助かる為に、無慈悲な行いであっても
罪に問われ無いとされる。
思考実験や、トロッコ問題、囚人のジレンマ、ゲーム理論等でも、取り上げられる永遠のテーマで、
オックスフォードの法科の口頭試問でも出題された事が在る。
「駐車違反があまりに多いので、駐車違反をしたら死刑という法を施行したら駐車違反は無くなった。この法は、法源等に照らし合わせて適法か否か論述せよ。」他にも、東工大で、「ドラえもんの道具の中から一つ選び、実現可能か否かを記述しなさい。」これらは、実は、模範解答即ち正解が無い。
理路整然と、第三者を得心させる論理展開が出来るか?を問うて居るのだ。
日本では、今でも考える力では無く、記憶力を問う教育や指導が、当然とされる。
或る一定の水準を満たす規格品の大量生産には最適だが、独創性やマルチタスクとは無縁になる。
さて、若者よ!どうする?!
欲望
欲望・・・それは、生きる事そのものと断言して差し支え無い。
基本、欲望=悪・犯罪というイメージが強いが、
マーズローの欲求段階説では、① 食欲の充足
② 衣服の充足 ③ 住居の充足 ④ 社会的成功や金銭更には名声等の充足 ⑤ 自己実現の充足
という具合に現されるが、本当の最上位の願望は、
自己実現より更に上位の利他の実現と云われて居る。
日本と欧米とでは若干の差異が在るが、それは、
コロナ禍の時に現れた。
日本には、既に言葉自体としては死語だが、概念としては色濃く残って居るのが、村八分=同調圧力だ。
然しながら、一方では、自己責任論が必ず付いて回るのだ。
逆に、欧米では、原則、個々人を大切に扱う。
確かに、欧米では、私は◯◯思うと、ハッキリ云えないと、マトモに扱われない。
では、やはり、自己責任論が跋扈して居るのかと云えば、キリスト教的発想なのだろうか?!裕福な人が貧しい人を当然の様にシエンして居るのだ。
それは、生活保護にも現れて居る。
全く一緒では無いが、イギリスにも日本の生活保護に相当する制度が存在する。
但し、運用方法が大きく異なるのだ。
日本では、丸裸にならないと支援して貰え無い。
何を意味するのか?!一旦、階段を転がり落ちたら、2度と這い上がれ無い。
イギリスは、全く異なる。
国民が階段から転落しては困るから、転落しない様な施策を実施して居る。
日本が、所持金ゼロ円にならないと申請出来無いのに対して、イギリスでは、早く立ち直って貰う為に、預金が200万円在っても支援が受けられる。
等しく全国民が考えるべき課題だと考える。