平穏な日常
小学生や中学生時代には、勉強が大嫌いだった。
理由は簡単だ、受験の為の勉強に、意味や価値を見出せ無かったからだ。
同時に、漠然と、研究者になりたいと夢想して居た。
私の両親は、2人共に先の大戦時には、子供であったそうだ。
父親は、中国(旧満州は吉林省)からの引揚げ者で、筆舌に尽くし難い苦労の末に、国立大学を卒業し、仕事人間だった。
母親は、父親(私の祖父)が戦死し、母親(私の祖母)は職業婦人で、子供時代は大層、寂しい思いをした様だ。
更に、長年、待ち侘びて授かったのが私らしく、大変、甘やかされて育てられた。
両親とは異なり、私は、苦労とは全く無縁の生活を送り、戦死した母方の祖父の恩給のお陰で、高校・大学は私学に行かせて貰った。
薬剤師そしてケアマネージャーとして働き、恵まれた人生を送って来た。
心の病を得て、多様な考えを受け入れる事が出来る様になった。
覆水盆に返らず、起きた事は変えられない。
然し、私の人生は、続く。
お金より大切なもの
それは、生命だろう。
仮に、未曾有の大災害や、戦争が在ったとしよう。
中国の古典では無いが、国破れて山河あり、平和で在った時には普通で在ったモノが無くなるのだ、その時、死んでしまえば、ソレ迄だ。
故に、最も大切なのは、生命だと考える。
生命の次に大切なのは、五体満足な身体だ。
大災害や、戦争で無くても、事故で身体の一部を失う事は在る。
或いは、病気が原因で手足の自由が利かなくなったり、精神に異常を来す事も在る。
その場合、人生は大きく変わる。
従って、次に大切なのは、健全な精神という事では無いかと、ワタシは思う。
絆
確かに、何度と、◯◯◯が在れば良いよな!
そう思った事は、幾度も経験して来た。
ワタシ的な結論は、単なる幻想に過ぎ無いだ。
1000年に1人の逸材なら、地の底を這いずり回る様な辛酸を舐めても、変わらず、支えたり、励ましたりが有り得るが、大多数の凡人にとっては、
出会い、共に歩んで行けるかな?!そう思った時が出発点であり、右肩上がりに状態が更に今より格段に良くなる前提で、思考も勝手に組み上がって居る。
従って、預貯金が無かったり、病を抱えていたりと、新たな不安材料が出たら、即、ゲームオーバーだ。
結局、唯一信じられるのは、己自身しか居ないのだ。
大好きな君に
日本語程、事細かな、微妙な心理描写を使い分けるのに適した言語は無い。
似たような言葉が、実に多岐・多彩だ。
例えば、好き・愛が在る。
勝手な推論だが、好きは、所有欲の発露、愛は、守る対象といった感じだ。
そして、君は、奥さんや、旦那さん、或いは、部下や教え子、後輩等や、過去の自分が考えられる。
一般に、ナルシストと云うと、変わり者と思われるが、同時に、自分を愛せない或いは、大切に出来無いと、奥行きの無い人に思われそうだ。
ひなまつり
古くは、桃の節句と呼ばれた。
昨今、伝家の宝刀の様に、叫ばれる多様性。
簡単に云えば、異なる価値観を尊重しましょうであって、何でもかんでも好き勝手にやって構わないと
云う事では無い。
その場合は、単なる、我儘。
が、今の若者は、威張って居る様に、観える。
ワタシが子供時代は、高齢者や身障者に席や道を
譲るのは、至極、当然で、子供はバスでも、電車でも立って居るのが、当たり前。
それが、今や、子供が1番威張って座って居る。
何も、年寄が無条件に偉いとは思わないし、云わないが、敬意は払うべきだろう。
そうで無いなら、長生き税でも課したら如何だろう?!