たった一つの希望
この言葉から連想するのは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」だ。
天上界から地獄の様子を観て居た御釈迦様が、カンダタが一度だけ、蜘蛛を踏み潰さずに助けた事を思い出し、蜘蛛の糸を垂らす。
カンダタは、蜘蛛の糸をよじ登るのだが、ふと、下を観ると、無数の地獄の住人が、我も我もと登って来るでは無いか!
カンダタが、折角の「蜘蛛の糸」が切れてしまうと、皆、その手を離せ!と叫ぶと、「蜘蛛の糸」が
プチンッと切れ、元の木阿弥に。
御釈迦様は、哀しい表情を浮かべ、池の辺りから離れる。
マーズローの欲求段階説の、最上位の欲求の更に上、利他とは真逆の自己中の極みだ!
小説や映画で、繰り返し取り上げられる普遍的テーマだが、現実世界では、その様な、極限状態では
緊急避難と云い、限られた人しか助からないと思われる時には、助かる為に、無慈悲な行いであっても
罪に問われ無いとされる。
思考実験や、トロッコ問題、囚人のジレンマ、ゲーム理論等でも、取り上げられる永遠のテーマで、
オックスフォードの法科の口頭試問でも出題された事が在る。
「駐車違反があまりに多いので、駐車違反をしたら死刑という法を施行したら駐車違反は無くなった。この法は、法源等に照らし合わせて適法か否か論述せよ。」他にも、東工大で、「ドラえもんの道具の中から一つ選び、実現可能か否かを記述しなさい。」これらは、実は、模範解答即ち正解が無い。
理路整然と、第三者を得心させる論理展開が出来るか?を問うて居るのだ。
日本では、今でも考える力では無く、記憶力を問う教育や指導が、当然とされる。
或る一定の水準を満たす規格品の大量生産には最適だが、独創性やマルチタスクとは無縁になる。
さて、若者よ!どうする?!
欲望
欲望・・・それは、生きる事そのものと断言して差し支え無い。
基本、欲望=悪・犯罪というイメージが強いが、
マーズローの欲求段階説では、① 食欲の充足
② 衣服の充足 ③ 住居の充足 ④ 社会的成功や金銭更には名声等の充足 ⑤ 自己実現の充足
という具合に現されるが、本当の最上位の願望は、
自己実現より更に上位の利他の実現と云われて居る。
日本と欧米とでは若干の差異が在るが、それは、
コロナ禍の時に現れた。
日本には、既に言葉自体としては死語だが、概念としては色濃く残って居るのが、村八分=同調圧力だ。
然しながら、一方では、自己責任論が必ず付いて回るのだ。
逆に、欧米では、原則、個々人を大切に扱う。
確かに、欧米では、私は◯◯思うと、ハッキリ云えないと、マトモに扱われない。
では、やはり、自己責任論が跋扈して居るのかと云えば、キリスト教的発想なのだろうか?!裕福な人が貧しい人を当然の様にシエンして居るのだ。
それは、生活保護にも現れて居る。
全く一緒では無いが、イギリスにも日本の生活保護に相当する制度が存在する。
但し、運用方法が大きく異なるのだ。
日本では、丸裸にならないと支援して貰え無い。
何を意味するのか?!一旦、階段を転がり落ちたら、2度と這い上がれ無い。
イギリスは、全く異なる。
国民が階段から転落しては困るから、転落しない様な施策を実施して居る。
日本が、所持金ゼロ円にならないと申請出来無いのに対して、イギリスでは、早く立ち直って貰う為に、預金が200万円在っても支援が受けられる。
等しく全国民が考えるべき課題だと考える。
遠くの街へ
古来、我々人類は、異世界に対して畏怖の念と同時に、強い憧れを持って来た。
作者・執筆年不詳だが、我が国最古とされる竹取物語では、富士山と月が物語中に登場する。
当時は、高層建造物は無く、かなりの遠隔地からも富士山は見えた事だろう。
地名は、何も、当時の権力者が思い付きで命名したモノばかりでは無い、有名何処ろでは、大阪なら
USJの辺り迄は地盤がしっかりして居る。
つまり、USJより海に近い土地は全て埋め立てであり、液状化等の危険性が高い。
東京は、今の23区内は全て埋め立て地と云っても過言では無いが、例えば、道玄坂は今でも治安上不安が有るが、来歴を観れば、昔は盗人の巣窟だったそうだから納得だ。
一時期、平成の大合併と、キラキラネームが自治体名にも流行ったが、あれは頂け無い。
君は今・・・
この場合、君を、どう捉えるか?!で、大きく異なって来る。
1 君=過去付き合った誰かの場合
彼女が、元気にしているのか?幸せなのか?
2 君=過去の自分の場合
今、成功して居れば、過去の◯◯、頑張ったぞ!
然し、今、低迷して居たら、ひょっとしたら、俯
いて居るかも知れ無い。
恐らく、このキーワードは、その人の人間としての厚みに由来すると思われる。
小さな生命と云えば、真っ先に思い浮かぶのは、生後間も無い、赤ちゃんだろう。
確かに、赤ちゃんの時は、無限の可能性が在るのかも知れ無いが、実は、既に、無限の可能性では無い。
例えば、我々は、自らの自由意志で、生まれて来る時代や、階級、家庭を選ぶ事は、出来無い。
仮に、王族に生まれたとしても、必ずしも王になれるとは限ら無い。
貧困層に生まれたら、哀しいかな、殆どが、やはり、貧困層になると云われて居る。
確かに、子供は鎹(かすがい)=宝だが、成長するに従って、可能性は極めて限定的だと、思い知らされて行く。
何時の世も啓発本は、一定の人気が在るが、先ず、再現性は無いと断言して差し支え無い。
我々は、機械では無い、仮に、人工知能を組み込んだロボットなら、Command=逆上がりをやれ!と
命令されたら、出来る様になる迄、何回でも、何十回でも、やり続ける。
然しながら、人では、そうは行かない。
直ぐに出来る子も居れば、何回挑戦しても出来無い子も居る。
それだけでは無い、何回かやっても出来無ければ、もう嫌だとなる子も居る。
学校教育は、極めて平等だ、それでも、一組に30人居れば、1番〜30番迄の順位が付いてしまう。
ふと、徒然に、打ち込んでみた。