君と見た虹
赤色の色付きリップ
オレンジ色のチーク
黄色がかったコンシーラー
緑色のアイシャドウ
青色のネイル
紫色のマスカラ
初めてコスメを買った十代の頃。
田舎のドラッグストアで、お小遣いとにらめっこしながら、ドキドキしながら買った。
今みたいに参考になる動画なんてない。
パーソナルカラー診断なんてものもない。
鏡の中に映る君と、1から試すしかなかった。
下手くそで上手く使えなかったり、
全然似合わない色で沢山失敗もした。
それでも小さくてごちゃごちゃしたコスメ達は存在自体が可愛らしく、私を勇気付けた。
君と見た虹、それは七色のコスメ。
夜空を駆ける
「さあ願いを言え」と神龍は言った。
ようやくこの時が来た。
7つの星の付いたボールを集めるのは本当に大変だったから。
これで願いを叶えられるわ。
空を翔びたいの
重力から解放されて
ふわりと宙を舞い
月明かりを頼りに
星明かりを道標にして
美しく自由に夜空を駆ける
そんなふうになりたいの
さあ、叶えてちょうだい!
気持ちが昂るままに叫ぶ。
そんな私に、神龍は訝しげに言った。
「お前はもう翔んでいるが……?」
「えっっっ」
なんてことなの。
言われて初めて気付いた。
7つのボールを集めるために、私は沢山の修行を積んだ。
その過程で舞空術を習得していたものだから。
今、私は神龍の目線と同じ高さに浮いている。私はもう翔んでいる。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れる。
数分後、私は次に思いついた願い事をなんとか叶えてもらったわけだが。
「まったく、こんなことは初めてだ」
そうぼやく神龍は、呆れた様子で面倒くさそうに、しかし神々しく去って行った。
ひそかな想いを
ずっと自分の中に囲ってきたの
誰にも見せなくてもいい
私だけが知っていればいい
そうしたら頭の中でどんどんと
何倍にもなって膨らんで
気付いたらpixivに二万字の二次創作を書き綴ってたの
あなたは誰
あなたの属する集団や組織の中に、身元のよくわからない人物が紛れていることはないだろうか。
いやいやそれはないでしょ、って?私もそう思う。普通に考えたら、ない。
しかし私の人生の中で、自分の属した集団によくわからない人物がいたことが少なくとも2回はある。
1回目は高校の部活動。
気付いたら、入部当初はいなかったよくわからない大人二人に指導されていた。
全体指揮を取るスズキさん(仮)と、個々の指導に付く竹ちゃん(仮)は明らかに教員ではなく、コーチとして雇われたわけでもない謎の存在ながらも私たちの日常に根を張っていった。
知り得た情報を繋ぎ合わせると、ただでさえ弱小の部活にド素人の教員が顧問になってしまい、それを見かねた出入り業者(スズキさん)が口を出すようになり、知り合いだったOB(竹ちゃん・当時フリーター)も呼び寄せた、というようなことだったらしい。
そんなことある??
しかし、とりあえず害はなさそうだったのと、若さゆえの適応力により、私たちは謎の大人に指導されることに特に反発はせずに日々を過ごした。
2回目は、大学時代のやはり部活動。
色々な学部から集まった沢山の仲間の中に「川さん(仮)」と呼ばれる人物がいた。
「川さんって何学部なんですか?」と先輩に聞くと、「ああ、あいつこの大学じゃないんだよ。というか大学生でもないらしい」と言う。
学外の人間がいる理由を尋ねても「さあ?山田が連れてきたんだったかな?もう5年くらいいるっぽい」と言った具合だ。
まあ都会の大学では大学を超えてサークル活動をするらしいし、地方大でもたまにはそういうことがあるのかな。
私はそれ以上の疑問を持つこともなく、川さんともすぐに馴染んだ。
結局彼らが何だったのか、はっきりはわからない。
今になってみれば、内部に入り込んで宗教や危ないバイトに勧誘する輩である可能性なども考えられるが、若さゆえのものか時代のせいか、あなたは誰?と聞くことは最後までしなかった。
おおらかだったとも言えるし、危機感がなかったとも言える。
アリの巣にはアリではない虫が結構な数紛れ込んでいる、そんな話を思い出す。
それと同じように、集団にはよくわからない個体を受け入れてしまう性質があることを実感した。
あなたの属する組織に身元のよくわからない人物が紛れていることはないだろうか。
いやいやそれはないでしょって?
その人物は、あなたのすぐ側にいるのかもしれませんよ────ねえ、あなたは誰?
(ここで世にも奇妙な物語のBGMが流れる)
手紙の行方
最近の方はきっと知らないでしょう。
その昔、学校の中では定期的に「不幸の手紙」なるものが蔓延したものでした。
「この手紙を受け取った人は、同じ内容の手紙を1週間以内に10人に送らないと不幸になります」
と言った文面のそれは、今見てみれば大層くだらないシロモノですが、子どもの恐怖心や虚栄心、ちょっとした悪戯心や自己愛精神、集団心理などを巧みに突いたもので、中々放置は出来ない仕組みになっておりました。
これを最初に思いついた人は、悔しいですが優れたアイデアマンだと認めざるを得ないでしょう。
私がこの類の手紙を受け取った後にどうしたかはよく覚えていません。しかしこの不幸の手紙は思わぬ形で再び私たちの手元へと飛び込んでくるのです。
こちらもお若い方はご存知ないでしょう。
チェーンメールというやつです。そう不幸の手紙のメール版です。
宛名を書かなければ誰から来たのかわからない手紙と違い、メールは送り主が丸わかりなのでそこまで拡散しないだろう、と思うでしょう?結構みんな拡散したのです。人はそういう生き物なのです。
さて時は流れて令和の現在。通信手段はメールからLINE、もしくはSNSへとめまぐるしく変化を遂げてきましたが、あの不幸の手紙はどうなったのでしょうか?
少なくとも私が見聞きすることはなくなりした。
私自身が随分と大人になったこともあり、さすがにその類の情報を嬉々として回す友人はおりませんから、一見消滅したかのように見えています。
しかし私が見えない場所にあるだけで、きっとあの文化は生き続けているのではないかと思うのです。文化……いえ、長い長い昭和から平成にかけて受け継がれてきた歴史がありますから、それはもはや呪いと呼ばれることもあるのかも。
現在においての不幸の手紙はどのような文面、どのような形になったのか、少し気になるような、わざわざ知るまでもないような。
その程度の、それでも確実に存在した、怪しげな手紙の行方。
もし見かけた方がいらっしゃったら、ご一報いただきたいものです。