花の香りと共に
思えば、私たちは花の香りと共に行きている。
朝に飲むアールグレイの紅茶は、ベルガモットの香り。
トイレにはラベンダーの香りの消臭剤。
洗濯洗剤にはフローラルの香りと書いてあったから、やはり何かの花の香りなのだろう。
化粧道具の端に置いてある香水は滅多に使わないけれど、ローズ系の香りだったはず。
他にも整髪料に入浴剤、ハンドソープまで、
こうして挙げてみると、特に好んで選ばなくとも、花の香りは其処此処に溢れているものだ。
さて先日、この春に退職される方に贈るための花束を買った。
手にすると花束からはマスク越しにもふわりと香りが漂い、ああ花とは見目麗しいだけでなく香りまでなんと魅力的なのかと改めて気付く。
そして、先に挙げた生活に満ちた花の香りとは全然違うことにも。
実物の花には植物独特の湿り気を帯びたような生きている香り──においと言う方がしっくり来るかもしれない。花を腐らせたことのある人ならわかるだろうか?状態によっては「匂い」にも「臭い」にもなる「におい」。
とても甘美でありながらどこか危なっかしくもある。そこが良い。
今度我が家にも花を買って飾ろうか。
そしてたまにはマスクを外して、思い切り吸い込んでみよう。花の香りと共にやってくる春を。
──花の香りより先にやってくるスギ花粉を吸いこんで終了するのはまた別のお話──
こころのざわめき
を逆から読むと
きめわざのろここ
になりました。
プロレスかバトル漫画にあってほしい、決め技のロココ。
【歌詞 君を】で検索すると
君を探してる
君を忘れない
君を愛してる
君を壊したい
君を抱きしめたい
君をもっと
君を守りたい
などなど、たくさんのアーティストが愛しい誰かのことを思い浮かべながら、君を君をと歌詞を書き歌っていることがわかるのに。
現実世界で愛しい人を「君」と呼んでいるのを見たことがない日本語の妙について、君はどう思う?
透明になりたかった
周りが私をいないみたいにして扱うから
いっそ透明になりたかった
透明になれば、休み時間も帰り道も、1人でいても恥ずかしくないと思ってた
今となっては全然1人で過ごしても良かったと思うのにね
そう思えない空気が学校にはあるよね
ツイッター(Xって呼ばない)を開き、ひとしきり読みふけり、アプリを閉じる。
よし、と別のアプリを開こうとした3秒後には、また指が勝手にツイッターを開いている。
終わり、また初まる、