海の底
水底から見る景色
かつての日出る国の本来の 輝いていた真の時代か
しかしてそれは本当に素晴らしいものだったのだろうか
ひと粒でも残してはいけない
残すのは許されない
私はこの言葉が呪いと化していると常々思っている
西洋ならドワーフ 妖精の類はあまったものを
分けることによって家の手伝いなどをしてくれる
東洋なら捧げ物 おすそ分けで助けてくれる妖怪
そういう目には見えないが力を揃えてくれるというのは
古今東西今昔必ず有るからだ
信仰力すら必要なし ただ思い 分ける
それだけでいいのである
海の底
よくも悪くも水ほど恐ろしいものはなし
五行思想でも軽視しにくくも当たり前だと
というお話
火がある生活に慣れすぎると己見失い森(木)迷い
悪鬼もしくは帰らずの海のモノ か
音さえわかれば終わるときですら生きていたいなら
わかるはず おそらく きっと
閉ざされた日記
日々文を綴るのに日記というものは使う
良いことも悪いことも悲しいことも怒ることも
頭の容量を超えて消えても残るようにと
写真や模写などもつけられるとなおよい
偽りの記憶ではなかったと
確信をもって日々を振り返ることが
できるからだ
あとで思い出したくないことであれば
閉ざしてしまえばよいのも優れている
嫌な、苦い、痛い、辛い、苦しいと限界が
来たときに封印することができる
楽しい、幸せ、嬉しい、起こった奇跡
があれば開けば良い
人は日記というものの可能性に
まだあまり気がついていないのかもしれない
木枯らし
とても痛すぎた悲しすぎた裏切り
一つだけでいいと それは最高の自分の心の
宝物だからと叫んでいた
それなのに不条理なこの世界
三つも出して自分には多い多いからと
やめてほしいととにかく狂う
そして真実を知った時
あまりに痛すぎた 辛すぎた そして
たくさんの涙が 怒りが
それ以上に
優しさが辛すぎて泣きじゃくるしか
できなかった まるで木枯らしが吹く
そんな気持ちだった
この世界は
偽りでも美しく
そして偽りが故に醜くもある
岩から滴る癸
石の上にも三年 雨垂れ石を穿つ
その信念 信仰 本心なら
それは偽り、狂気、でもなく真の己の心なり
しかし、少しの嫉妬否四罪四凶そして七罪の自覚
なければ生まれた場所すら帰れなくなる
顔もない渾沌と化す
果たして人は物はなにを思うのだろうか
分けるということだけは忘れていけなかった
と、私は思う
どうして
消せない記憶。どうして?と黄昏へ。
朝は赤子、昼は大人、夜は老人。これは昔の謎解
だっただろうか。
日々積み重ねるも、最愛の人がいるも何故か
たまに泣きたくなる記憶。多分、ただ単に心が
不安定で揺れるのであろう。臆病なものには
壊れないものたちが最も恐ろしく感じるからだ。
ものと書いて、者、物、喪のと書きつづれる。
裏を返せば必ず終りが来るはずなのに
永遠を求めすぎた結果の
『壊れなかったもの』たちが私には恐ろしすぎた。
最後まで守られて支えて見るのが精一杯。
それこそ神は不条理なのかもしれない。
どうして、と。