ずっとこのまま
ずっとこのままでいたいと願う己がいた。
変わらぬ刻のまま何も知らずに。自分の終わりを
願いたいと。偽りでもそれが表なら
最後まで真実であればと、皆が知らないところで
思っていた。
ただし、歯車は必ず動く。動かない時間など
ない。必ずや終わるから、人は草は動物は
そして言葉も祈りも街も。
終わる最後までに何ができるのだろうか。
まだ、自分は死を見てない。それでも誰かの助けに
なればとまり木ぐらいにはと。
休むなら私のところにおいでなさい
すべての罪を着せられた『もの』たち。
寒さが身に沁みて
雪が積もる。自分の歩いた足跡をふと見て、あぁ帰路につかなくてはと。
見上げる月は今日はない。雪が降って街灯が照らした場所のほうがわかるから。
戻ろうかなと、思った。
寒さが身に沁みて身体が悴む。
あの人のところに
そして一緒に暖かいものを飲もうと。
すこしあたたかいと感じる。寒いはずなのに。
20歳
この年齢を聞いて心が踊る者 心が泣く者
二通り、いや、もっと色々な者がいるのだろう
あの頃にあの夏にと思う者
それは懐かしい記憶であり帰る場所があったから
と、だから見失ってしまった自分を
20という年齢が 数字が 観ているのかもしれない
あの頃にあの冬にと思う者
それは懐かしい記憶であり愛してる人がいた
恋をしている自分がいた しかし
叶わなかった?それとも?という自分を
20という年齢が 数字が 観ているのかもしれない
20という数字は分ければ1と1になる
さて、20歳という可能性から何を人は思うのだろうか
私はこの年齢を見て、数値を観て、研究をすることにした
三日月
西洋と東洋では月の意味が異なる。
西洋では月は畏怖の対象。満月は恐怖そのもの。
何故なら悪魔と密接に関係あるから
月は怖いのだ。
では、東洋ではどうか。
反対なのである。
月は愛するものであるのだ。だから東洋の者は
月を愛し、敬意を贈る。東洋は満月を
愛し、あこがれを抱くのである。
昔「 月が綺麗ですね」と書いて、I love you
貴女を愛していますと翻訳した有名な著名作家が
いた。
では、三日月を見つつ「月が綺麗ですね」
と言うとどうなるのだろうか。
欠けた月の時に
「貴女を愛してます」
とは、私は言えない。
暗い。深淵より深いところにいる私。
光届かぬ闇の淵。皮肉なことにそれを臨んだのは
他ならぬ私だった。
生まれたときから不思議な話が私にはあった。
両親が海に、離岸流の発生する場所で見ていなかった
と、常人では、幼子では確実に死亡している
状況で私は静かに浮いていた。つまり
全く幼児なのに暴れてはいけない。
そうすると死ぬからと、理解してたらしいのだ。
あとは、私は正直何度も書くが人間が嫌いである。
手を差し伸べるたびに、恩を仇で返されるのだ。
そして私の作品を模造する。
絵柄が奪われて喜ぶ人間がどこにいるのだろうか。
しかも必ず相手は女なのである。
野生馬である私は孤独を好む。ただし
主が本物なら、誰よりも尽くす、武神とも武人とも言われた瑞獣の虹の鱗を持った麒麟なのだ。戦うのは、殺生は大嫌い。
ただし
私の大切な人のためなら
深淵よりも、目が見えなくても、影すらない
人間じゃない畜生だ
と言われても
お前は鈍足で醜いから
と言われても
大切なパートナーが、本物なら
絶対に私は
負けない。そこにあるのはやわらかな光と灯火だから。
終わりの刻が明日来たとしても
ユメウツツの中でも見守ってる。
今日のお題 やわらかな光