わたあめ

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10/23/2024, 9:56:30 PM

雲ひとつない青空の下、志保はベビーカーに娘のゆめを乗せて散歩に出かけた。
人々は仕事や学校に行っている時間なのだろう。すれ違う人はほとんどいない。夏は暑過ぎて太陽が西に傾いてからでないと外出できなかった。その時間になると行き来する人の数がどっと増える。産休に入るまで会社で働いていた志保も人の多い時間のこの街並みしか知らなかった。
「人がいないとこんなに静かなんだ」周りを見ながらゆっくり歩いていると意外にも自然豊かな事に気がつく。ポツポツと小さな公園があり、家々の生垣には様々な植物が植えられている。
小さな白い蝶がベビーカーの前をひらひらと舞っている。「おばあちゃん」志保はそっと声を掛けてみた。

母方の祖母が亡くなったのはまだ梅雨入り前だった。
長らく入院していたから遠くない未来にこの日が来ることはわかっていた。覚悟というか諦めというか、母も叔母も心の準備ができていたんだと思う。動揺することも嘆き悲しむ事もなく、時折思い出したかのように涙を拭っていた。
滞りなく葬儀が終わり、火葬が終わるのを待っていた。志保は親族待合室を抜け出して火葬場の中庭にやってきた。
ベンチに座り空を見上げる。この日も雲ひとつない青空が広がっていた。
「ひいおばあちゃんに会えなかったね」志保はお腹を撫でながら呟いた。目の前の花壇には小さな白い蝶が舞っている。滑らかな蝶の動きを見るとはなしに見ていると、蝶がベンチの近くまでやってきた。蝶の羽は陽光に透かされ柔らかい輝きを放っている。
「おばあちゃん」と志保は小さく呼んでみた。
しばらくすると蝶は満足したかの様に志保から離れ、青い空へ溶け込んでいった。

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お題:どこまでも続く青い空
726文字

10/22/2024, 7:16:17 PM


「気持ちいい天気ね」
「今年の梅雨は雨が多かったから、洗濯物が溜まっちゃって」
「子ども達も大きくなったから、着物も作り直さないとね」
そう賑やかにおしゃべりをしながら洗濯を干しているのは寧々のお母さんとお母さんのお姉さん、寧音のおばさんだ。
真っ青な空の下に干された家族の衣類たち。
お父さんやおじいさんの大きな着物の下に潜り込んでかくれんぼ。
赤ちゃんの小さい着物を干すお手伝い。
お姉さんたちの着物はもうじき私が着ることになるのかな。

「洗濯完了」とお母さん。
香具山の新緑を背に真っ白な着物たちが風に吹かれて揺れている。
寧音は間も無くやってくる本格的な夏が待ちきれず、洗濯物の周りをぴょんぴょんと飛び跳ねている。

『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山』

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お題:衣替え

百人一首の中で大好きな持統天皇の句です。
「衣替え」というとなぜかこの句を思い出します。
この時代に「衣替え」という文化があったかは知りませんが、夏を迎える前のわくわくを昔の人も感じていたんじゃないかと思います。

10/22/2024, 12:14:41 AM

僕の声が枯れたのは、中学1年の自然教室の最終日だった。
自然教室は尾瀬で行われた。前日まで尾瀬ヶ原のトレッキングをしたり、至仏山に登ったり、かなり活動的に行動していた。消灯時間を過ぎても枕投げをしたり、他の部屋に遊びに行ったり。友達と夜まで遊べる事が楽しくてずっと興奮していた。
ところが最終日の朝、ガラガラの変な声しか出ない。
「なんだその声?騒ぎすぎたか?」と友達や先生にからかわれた。健康優良児でお調子者の僕は体調不良を心配される事はなかった。朝ごはんもいっぱい食べたし、顔色も良かったのだろう。声以外におかしなところはまるでなかった。喉の痛みさえなかった。
僕はガラガラの声でいつものように話し続けた。中学校なんてスポーツか勉強ができるヤツか面白いヤツしか残らない。何もない僕はとにかく「面白いヤツ」でいる必要があった。
バスに乗る前の最後の集会の時、全く声が出なくなってしまった。声を出そうとしてカスカスの空気が出ていくだけだ。バスの中では3日間の疲れが一気に出たのか、みんなぐっすりと眠りこけていた。僕はそれどころじゃなかった。ガラガラでも声が出るのと全く声が出ないのでは天と地ほどの差があるのだ。何とか声を出そうと発声練習のように腹に力を入れたり、口を大きく開けたりしてみた。

家に帰ってからも僕の声は出ないままだった。
何日もそんな状態が続くと流石の母親も心配になったらしく、病院に連れて行かれた。レントゲンのようなものを使ったり、血液検査なんかもしたけれど身体的な異常は見られなかった。結局、「心因性のものでしょう。しばらく様子をみましょう」という何ともふんわりとした診断結果だった。

僕の口はノートに変わった。
友達同士の会話は自分が書いている間に話はどんどん先に進んでしまう。僕が書き終わる前に他のヤツがツッコミを入れる。僕の書いたツッコミは行き場を失ってノートの上でフラフラしている。自分の書いた文字を読み返してみる。ノートの上に漂う文字たち。『マジくだらねぇ』『ヤバくね?』『ほんとクズだな』
文字にしてみると何とも言えない不快感があった。自分のノートが醜いものに思えた。これまで軽々しく口にした言葉でどれだけ相手や他人を傷つけてきたのだろうと考えた。
そうするとノートに書くのが怖くなり、必要な事だけ書くようになった。そして書いた文字を読み返し、相手が傷つかないような言葉を選ぶようになった。

声が出ない事で生活に困る事はなかったし、むしろ快適になったと言っていい。
授業中、不意に当てられる事もなくなったし、私語がなくなったので先生からの印象もよくなった。これはそれまでの態度が悪過ぎたのかもしれないが。音楽の授業でも歌わなくていい。歌の上手な人には辛い事かもしれないが、僕は相当な音痴なので嬉しい。ピアノも弾けないので、合唱コンクールでへ必然的に指揮者になった。

一番変わったのは人間関係だ。
『ありがとう』や『ごめんなさい』も口に出す時には躊躇われたが、文字にすると素直に伝える事ができた。
友達は減った。僕が「面白いヤツ」でなくなったから。ただ、今の僕には僕の言葉をちゃんと待ってくれる友達がいる。

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お題:声が枯れるまで

10/21/2024, 9:46:49 AM

私の名前は宇野真帆。松実小学校5年3組の担任だ。
私がまほうの先生である事は前回説明した通りです。知らないと言う方は10月13日の投稿を是非読んでほしい。

さて、松実小学校には大きなのっぽの古時計がある。(あら、有名な童謡の歌詞のようだわ)歌詞に出てくるおじいさんの時計と同じく振り子時計で、この時計もやはり止まっている。
振り子時計を知らない現代っ子のために少し説明しましょう。(うん、実に先生らしくて良い)
振り子時計と言うのは、箱の中に大きな振り子があり、その振り子が左右に揺れる事で時計を動かす仕組みになっている。
松実小学校にある時計は高さが2メートルくらいある。文字盤は遠くからも見えるように1番上にある。その下に大きな振り子がついていて、縦長の箱にに収まってる。振り子の部分は前面がガラスで振り子の動きがよく見える。
この古時計、どれくらい古いかという明治時代にイギリスから渡ってきたものだそうだ。実際に作られたのは18世紀。
文字盤には真鍮と金で繊細な細工が施されている。振り子も金で作られている。
歴史的にも芸術的にも大変価値のあるものである。(と、私は思っている」ただ残念な事に、今の松実小学校の生徒にとっては完全に壁の一部でしかない。

最初に止まっていると話したが、実は壊れているわけではない。夜8時ぴったりになると「かちこちかちこち」と規則正しい音を響かせる。
この音を聴くと楽しくなる。魔法学校が始まる時間だからだ。

この時計をどのように動かすかと言うと時計を起こすのだ。
時計とは時間である。時間というのはひとつだけの流れではない。いくつもの時間軸があり、動いているものも止まっているものもある。魔術はその時間軸の間を自由に行き来する事ができる。
時計を起こす魔法は魔術学校の3年生の課題のひとつだ。
松実小学校でいうと逆上がりくらいの難しさだと思ってもらえるとちょうどいい。できるまでは難しいけれど、コツさえ掴めば簡単。いつでもできるようになる。
時計を目覚めさせる魔法は時間を操るための基本中の基本。だから、できるまではきっちりと教え込む。逆上がりと違って出来なくてもなんとかなるというものではない。ここが魔術学校の厳しいところではある。

「では3年生の皆さん、時間の授業を始めます。ひとりずつ時計を取りに来てください」
もちろん、最初からこの古い時計を使う訳ではない。授業で使うのは練習用の懐中時計だ。


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お題:始まりはいつも

10/19/2024, 8:50:54 PM

「サプライズ」

僕の両親はサプライズが好きだ。最初に断っておくが良い話ではない。

母が外出している日に突然雨が降った事があった。
「傘を持って駅まで迎えに行こう」と父が提案してきた。
「何時の電車で帰るか知っているの?」と僕が問うと
「知らない」と父は答える。
「携帯で連絡してみなよ」と言っても
「驚かせてやりたいんだよ」と言って聞かない。
結局連絡せずに迎えに行くが、いくら待っても母が改札から出てくる事はなかった。案の定、途中で傘を買って帰ってきたらしい。

他にもそれぞれがクリスマスの準備して、当日ホールケーキが2つ、チキンはなしなんて事もあった。
コロナ禍で僕の学校行事にひとりしか参加できないことがあった。その時は互いに譲りあって結局どちらも来なかった。
誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも何が良いか聞いてもらった事はない。いつも少しズレたプレゼントが届く。

『賢者の贈り物』という物語を知っているだろうか。夫と妻がそれぞれ相手にプレゼントを買うために自分の大切な物を売る。しかしプレゼントはその大切な物に使うための物だったみたいな話で美談として語られる。
だけど、僕はそれが『美談』とは思えない。ちゃんと伝えていればもっと良いものが贈れただろうと思うからだ。

ただ、うちの両親はすれ違いばかりだがとても仲がいい。相手のことを考えているからだろうか。たまにぴたりと要求に合致するサプライズがあるからだろうか。
確かに誕生日プレゼントでずっと欲しかったゲーム機を手にした時は飛びあがるほど嬉しかったし、両親も同じ位喜んでいた。

僕はどうだろう。サプライズをする大人になるんだろうか。

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お題:すれ違い

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