僕の声が枯れたのは、中学1年の自然教室の最終日だった。
自然教室は尾瀬で行われた。前日まで尾瀬ヶ原のトレッキングをしたり、至仏山に登ったり、かなり活動的に行動していた。消灯時間を過ぎても枕投げをしたり、他の部屋に遊びに行ったり。友達と夜まで遊べる事が楽しくてずっと興奮していた。
ところが最終日の朝、ガラガラの変な声しか出ない。
「なんだその声?騒ぎすぎたか?」と友達や先生にからかわれた。健康優良児でお調子者の僕は体調不良を心配される事はなかった。朝ごはんもいっぱい食べたし、顔色も良かったのだろう。声以外におかしなところはまるでなかった。喉の痛みさえなかった。
僕はガラガラの声でいつものように話し続けた。中学校なんてスポーツか勉強ができるヤツか面白いヤツしか残らない。何もない僕はとにかく「面白いヤツ」でいる必要があった。
バスに乗る前の最後の集会の時、全く声が出なくなってしまった。声を出そうとしてカスカスの空気が出ていくだけだ。バスの中では3日間の疲れが一気に出たのか、みんなぐっすりと眠りこけていた。僕はそれどころじゃなかった。ガラガラでも声が出るのと全く声が出ないのでは天と地ほどの差があるのだ。何とか声を出そうと発声練習のように腹に力を入れたり、口を大きく開けたりしてみた。
家に帰ってからも僕の声は出ないままだった。
何日もそんな状態が続くと流石の母親も心配になったらしく、病院に連れて行かれた。レントゲンのようなものを使ったり、血液検査なんかもしたけれど身体的な異常は見られなかった。結局、「心因性のものでしょう。しばらく様子をみましょう」という何ともふんわりとした診断結果だった。
僕の口はノートに変わった。
友達同士の会話は自分が書いている間に話はどんどん先に進んでしまう。僕が書き終わる前に他のヤツがツッコミを入れる。僕の書いたツッコミは行き場を失ってノートの上でフラフラしている。自分の書いた文字を読み返してみる。ノートの上に漂う文字たち。『マジくだらねぇ』『ヤバくね?』『ほんとクズだな』
文字にしてみると何とも言えない不快感があった。自分のノートが醜いものに思えた。これまで軽々しく口にした言葉でどれだけ相手や他人を傷つけてきたのだろうと考えた。
そうするとノートに書くのが怖くなり、必要な事だけ書くようになった。そして書いた文字を読み返し、相手が傷つかないような言葉を選ぶようになった。
声が出ない事で生活に困る事はなかったし、むしろ快適になったと言っていい。
授業中、不意に当てられる事もなくなったし、私語がなくなったので先生からの印象もよくなった。これはそれまでの態度が悪過ぎたのかもしれないが。音楽の授業でも歌わなくていい。歌の上手な人には辛い事かもしれないが、僕は相当な音痴なので嬉しい。ピアノも弾けないので、合唱コンクールでへ必然的に指揮者になった。
一番変わったのは人間関係だ。
『ありがとう』や『ごめんなさい』も口に出す時には躊躇われたが、文字にすると素直に伝える事ができた。
友達は減った。僕が「面白いヤツ」でなくなったから。ただ、今の僕には僕の言葉をちゃんと待ってくれる友達がいる。
———————————-
お題:声が枯れるまで
10/22/2024, 12:14:41 AM