藍間

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5/7/2023, 11:13:25 AM

 初恋の人? 変なこと聞くのね。いいけど。
 そうね、初恋の相手は、アップルパイみたいな人だった。
 あったかくて、さくっと崩れてしまいそうで、それでいてシナモンの効いた、特別な日のアップルパイ。
 見た目はふんわりしているのに時々意地悪なことを言う、私の大好きなお姉さんは、うちの隣に住んでいた。
 帰りの遅い両親の代わりに、私をかまってくれたお姉さん。お姉さんにだったら、なんでも打ち明けられるような、そんな気がしていた。お姉さんと一緒に焼いたアップルパイは、いつも特別な味だった。
 この思いが初恋だって気づいたのは、お姉さんが彼氏を紹介してくれた時。
 振られて初めて気づくなんて、小説や漫画の中だけのことだと思ってたのに。さっと血の気が引いたのを、今でもよく思い出すなあ。
 ——素敵なお姉さんが私だけのものじゃないことくらい、考えればわかるのに。なのに私はいつまでもこんな関係が続くと思ってた。いつまでも二人でいられるような、そんな気がしていた。
 全部全部、私が子どもだったからだ。お姉さんは、子守をしていただけだったんだ。
 その次の日、私はこっそり一人で、アップルパイを作ってみた。でもお姉さんと一緒に焼いた時のようにはいかなくて。焦げてしまったそれは、とっても苦くて。私は一人、部屋で泣いた。
 ん? どうしてそんな顔するの?
 いいの、初恋ってそんなものだから。だからあなたもそう、私のことなんて忘れて、早くいい人を探して? こんな意地悪なお姉さんじゃなくて、ね?

5/6/2023, 11:19:02 AM

 明日世界がなくなるとしたら。
 ドーム内でそんな噂が流れ出したのは、きっと不安があったからだろう。
 定期的なドーム外からの連絡が途絶えて十日。五日くらいならよくあることだけれど、今回のは少し長かった。
 外で何か起こっているのではないか。
 そんな不安はこれまでだってあった。でもそれを口にする人はいなかった。だけども今回は違った。
「外から人が押し寄せたならどうする?」
 誰かの言葉を皮切りに、懸念は一気に膨れ上がる。
 この清浄な世界が終わりを迎えるのではないか。ここも塵に覆われるのではないか。これまでドームに守られてきたこの命が、ついえるのではないか。
「無様だよな」
 そんな人々を俺は笑う。
 いつだって明日の保証なんてないのに、今が続くような気がしていたのがおかしかったのだ。このドームを命懸けで守る俺らのことなんて気にせず、生きてきたつけを払う時が来たのだ。
 明日世界がなくなるとしたら。
 俺はきっとそれを願ってる。
 終わってしまえばいい、と。あの塵にまみれた世界を、見てみるといいと。

5/5/2023, 11:03:47 AM

 僕なんてどう思われてもいい。そう思ってずっと生きてきたのに、何かが僕の中で変わってしまった。
 全て君のせいだ。
 罵られても平気だったのに。馬鹿にされても、侮られても平気だったのに。僕の代わりに君が泣くから、怒るから、それでいいと思えなくなってしまった。
 僕を傷つけようとする者たちを、なんだか許せなくなってしまった。
 だって君が傷つくのがわかってしまったから。
 ——どうして君は僕をかまうの?
 そう尋ねられない僕は小心者だ。君の答えを予想して怖気付く僕は、以前と変わらぬどうしようもない人間だ。
 それでも君は、僕の代わりに僕を守ってくれようとする。僕の代わりに、僕を慈しんでくれる。
 そんな君に何か返したいと思う僕は浅はかなんだろうか。こんな自分にもそれが可能なのか、そう考えてしまう僕は、やっぱり以前の僕ではない。
 ああ、全て君のせいだ。
 君と出会って何かが、決定的に変わってしまった。

5/4/2023, 11:55:52 AM

 会いたいと願ってしまったら負け。そんなことはわかっているのに、つい彼女のことが思い浮かんだ。
 たとえば朝焼けが綺麗だった時。たとえば風が強かった時。そんな些細なことでも思い出すのだから、もう症状は末期だった。
 ふと見上げた雲が彼女に似ていると思った時、ついに俺は諦めた。
 彼女を忘れることなんて無理だ、と。
 もう二度と会えないあの笑顔を恋しく思ったところで意味はないのに、この体も心もそれを欲しているらしい。
 だから俺は墓参りをすることにした。
 彼女はもういないのだ。そのことをこの愚かな自分に突きつけるために。どうにか明日へと、足を踏み出すために。

5/3/2023, 12:01:38 PM

 ありがとう。あなたがいたからどんな時でも乗り越えて来れた。あなたがいればどんな退屈な場所でも、楽しい遊び場になった。
 ありがとう。私の代わりに親孝行してくれて。あんな風に喜ぶ両親を、私はこれまで見たことがなかった。大事な家族が増えました。
 本当にありがとう。だからこれからも、どうか健康でいてください。そしてどうか、これからもよろしく。

弟へ

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