スリル
戦闘において、スリルは常に傍にあるものだった。それが普通でないと知った時には、既に手放すには惜しい代物になっていたのだから笑えない。血を求め肉を裂き、それこそ本能のままに生きる獣のように。忘れられないあの匂いが、感触と音の全てが掴んで離さなかった。まるでそのために生きているこのように、衝動のまま戦闘に身を投げ出して、気づいた時にはやたら仰々しい肩書きまで背負ってる。
心配そうな顔をする友人がいる。仕方がないと零して、呆れた顔をして頬にこべり着いた赤黒いそれを拭って。はいできた、なんて微笑む姿が心底可愛らしいものだから、その度に頭を少し乱雑に撫で回しては怒られる。スリルとはまた違った安心感と居心地の良さに、これが幸せってやつなのかな、なんてらしくないことを思いながら。
少し湿った、消して歩き心地がいいとは言えないそこに一歩踏み出した。見上げた空は相変わらずの曇天で、それがなんだか、逆に自分らしい気がして。中途半端同士お似合いだね。誰に言うわけでもなく、変えるでもなく。
ちゃんと幸せだった。けれど、まだスリルを忘れられない。
飛べない翼
当然のように使っているこの翼は、ただ滑空するだけの偽物だ。再び飛び上がることも、複雑な動きをすることもできない、飛べない翼。まるで俺みたいだ、なんて笑った日があった。昔は飛べたのだ。ここに来る前、揃いの蜂蜜色と2人で肩を並べていた頃。もう結構経っちゃったな、なんて、見上げた空は変わらずの澄んだ群青色で、それすらどこか白々しい。この話題になると、誰かしらが悲しそうな顔をする。相棒なんかその筆頭だ、その顔も可愛いのだけれど。
ぐっ、と。思いっきり伸びをした。いつからかの、気分転換のルーティン。気分が上がるかと言われれば否だが、多少暗い思考を外側に沈めておける。
いつだったか、とある神様が言っていた。兄弟というのは、血縁でも何でもなく、それ以外の何か不可思議なもので繋がっているものだと。双子であるのなら尚のこと、と優しく笑って付け足して、何事も無かったように世間話に戻っていった。
そうなのだろうか。信じていいのだろうか。もう会えないかもしれない、なんて、月の下でひとり涙に濡れた日も、諦めようと無理やりに笑った日も。そういう努力全部が、水の泡になってくれやしないだろうか。
今日も変わらず朝日は昇って、心地いい風に背を押されるまま歩き続ける。ひとりでなくてよかった、なんて隣を見れば、何も知らない非常食はわけも分からず笑うのだ。それにつられて笑うまでが、いつもの僕ら。
穏やかで平和な、無為の時を愛してしまった、薄弱な自身へ。止めない足が一種の諦めだとしても、それはきっと、あるべき虚無だと信じている。
哀愁を誘う
秋の青空は澄んでいて、寝そべってそれを視界いっぱいに埋めつくしてしまえば、まるで空に落ちているよう、だなんて。
屋上でひとり、腕も足も投げ出して大胆に寝転がる。そうして初めて、青空は彼を飲み込んだ。別に、何を期待したわけではない。ただ彼の言葉を思い出して、だから実際にやってみた。それだけだ。少し冷たい風が頬を撫でる。ほんの1週間ほど前までは残暑だなんだと騒いでいたのに、今やアウター無しで外に出るのは些かリスキーとまで来た。なんて気まぐれな天気だろう。この心地よい空気だって、恐らく片手で数えられる程しか訪れないのだろう。そのうち、それを教授で着るのはどれくらいあるだろう。もしかしたらこれが最後かも、なんて思って、なぜだか寂しくなって目を閉じた。
目が覚める前に
目が覚める前。夢のような微睡みと、現実の静けさの狭間が好きだった。うとうと、もうひと眠りしようかと思い立った頃に、君の声が聞こえてくるのも好きだ。思い返せばこの声こそが好きだったのかもしれない。この声を待って、じゃあ起きるかぁ、なんて、しぶしぶ体を起こすのが日常だった。
朝から明るい日が差し込んで、君の声が聞こえて、ふたりで用意する朝食の香りが鮮やかだった。それが今や、どうだろう。朝なんて憂鬱の代名詞だ。日は淀んでむしろ冷たく、声なんて機械から流れる無機質なものばかり。朝食だって、食べたり食べなかったり。
君の声が好きだった。匂いも、雰囲気も、その存在そのもの全てが大切だった。そんな太陽が消えたって言うのに、世界は変わらず、憎いまでの晴天だ。
君がいなきゃ生きていけない。こんなにも僕は、君が全てだった。それを嫌味なくらい実感して、何もかも失って初めて気づく自分にだって腹が立つ。
次に目が覚める前に、君に会いたい。いっそ、そのまま目が覚めなかったらいいな、なんて。
怒らないでよ。大好きだ。
1年前
この璃月には、何人もの仙人が人間に混ざって当然のように息をしている。神代から生きる彼らは、見るからにその存在が偉大であったり、逆にひっそりと人を守っていたり、政務の根幹を担っていたりと、その在り方は実に様々だ。それもそのはず、一概に仙人と言っても、その存在自体が様々なのである。戦に生きる夜叉、からくりや細工にに長けた獣、音楽に生きる者、麒麟と人のハーフ、人に捨てられ人世を見失った者、などなど。これだけ多種多様であれば、その在り方も多様であればこそ。そんな自由な都は、今日も彼らに支えられている。
ー、とまぁ、そんな感じの報告書を認めて、刻晴は一息ついていた。約1年前、璃月の生みの親、繁栄の礎であった岩王帝君が亡くなった。それからというもの、政務はほとんどの人人の手に委ねられ、正に人の世が始まろうとしている。そんな黎明期真っ只中、その政務の中核の一端を担う刻晴が、暇であるはずがないのである。元より様々な業務に追われていたにも関わらず、その場にただの人間という存在が求められるようになったこの頃。刻晴はほとんど毎時毎秒、幾つもの部署から求められるようにさえなっていた。休む間もなく働き詰め。最早人がこなす物量を超えている、なんて愚痴を零しながら、一向に減る気配の無い資料の山と睨めっこを続ける日々である。
…とまぁ、この辺まで。