不条理
社会の不条理さを知らずに生きてきた。だって、あかねかわいいもん。あ、かわいいだけじゃないけど。空気も読めるし。勉強はできないけど、何事も手を抜くことができるぐらいには賢いし。だけど、どうしてもうまくいかないことがあって。今が、未来が、怖くなって。深夜にそのダメモード入ったせいで眠るに眠れなくなって。フォロワー0の裏垢に病んだ投稿をつぶやいてみても当たり前に反応はない。どうにも抑えきれなくなって溢れた涙を拭ってくれる人もいない。きっと呼んだら来てくれる人たちはいる。大丈夫?ってあかねを心配してるふりをして、そしてなぜかそのままの流れでああしてこうしようとしてくるだろう。そんな人たちを呼んでも虚しくなるだけだ。ただ、こういう時に何も憚らずに連絡できるような血の繋がりのある家族や友達なんていないし。未読している気持ちの悪い文面ばかりのトーク画面を見つめては、またじんわりと涙が滲んだ。ふと、未読の中の唯一既読している人に手を留め、画面を開いて着信をかける。
深夜だからきっとすぐには出ないかも。どうせ携帯とにらめっこして間抜け面で寝落ちてる頃だろうし。落とした眼鏡を顔で踏んで歪めないかだけは心配だけど。
「…はい、もしもし?」
やっと繋がったと思ったら聞こえる眠そうな声。いつも通りを装っててもさっきまで寝てたのがバレバレですよ。
「…もしもーし?」
掠れた低い声聞いてたら少しは涙もマシになってきたかも。
「もしもし?あれ、聞こえる?」
はは、焦ってる。
「あかねちゃん?」
あなたの大好きなあかねちゃんが悲しんでるんだから相手してよ。
「あかねちゃん、どうしたの?なんかあった?大丈夫?あかねちゃん?」
うお、思ったりより心配してくれてる。ちゃんと生きてるよ。大丈夫。
「…あかねちゃん、泣いてるの?」
泣いて…はいるけど。泣いてるからかけるなんてかまってちゃんみたい。
「どうかした?」
別に、どうってわけじゃないけど。ね。完全無欠のあかねちゃんでもちょっとぐらい自信を無くす日だってあるんだよ。世の中の不条理さとかさ、今まで無縁だったけど、これからまたあるかもしれないし。そういう時はさ、弱みにつけ込んであかねを欲しがるような人じゃなくて、あかねが大好きだからこそ、あかねを心配してくれる人に慰めさせるチャンスをあげよう。だから、いつまでも好きでいてね。こっちからは好きだなんて言ってあげないけど!
泣かないよ
深夜3時、着信の音で目が覚める。けたたましい音に飛び起きて、眼鏡をどこかにやってしまったから、視力の悪い目に画面の表示を近づける。ベッドで携帯をいじりながら寝落ちたのは何時間前か分からず、目のピントはなかなか合わない。ただ、この時間にかけてくる知り合いなんてごく僅かで、いや、1人しかいなくて。瞬きを繰り返した目で予想通りのその見慣れた名前を確認してから通話ボタンを押した。
「はい、もしもし?」
深夜であろうと、朝であろうと、いつであろうと、電話の第一声にイライラや呆れを出すと不機嫌さを増して次会った時に詫びを迫られるのでなるべく穏やかな声を出す。自分から不機嫌さを引き出すような行動をしといて、こちらが不機嫌さを見せると怒って金品をせびるなんてもはや当たり屋ではないか?それが許されてしまうのが女王であり、お嬢様であり、お姫様であり、彼女なのである。ここでいう彼女はsheであり、girlfriendではない。そもそも友達ですらない。何と形容していいのか分からないが…少なくとも彼女の都合の良いように使われていることは自負している。
「…もしもーし?」
応答がないのでもう一度もしもしと伝え直す。いつもならここでマシンガントークのごとくひとりでに話し出すはずだけど。そう、深夜の着信の半分はバイトの愚痴。いや、バイトと言っていいのか…彼女のお小遣い稼ぎの話。新しい人はあの新作も買ってくれないぐらいケチで〜とか、あそこのコース料理なんて食べ飽きたし〜みたいなことをダラダラ僕に喋っては途中で「もう眠いしじゃあね」と適当なことを言って切るのだ……ってあれ?
「もしもし?あれ、聞こえる?」
普段はうるさいぐらいにおしゃべりな彼女の声があまりにも聞こえない。電波の不具合だろうか。落ちていた眼鏡をかけ、スピーカーのボタンを押すと先ほどまで聞こえていなかった雑音が耳に届いた。おそらく相手の音は届いていそうだ。
「あかねちゃん?」
急に怖くなって名前を呼んだ。何か緊急事態だろうか。一気に空気がピリつくような感覚があった。本来危ないはずの橋を自由気ままに独自のルートで渡っている彼女のことを心配していないわけではなかった。しかし、彼女の生まれ持った才能と、どんな我儘を言い出しても憎めないその愛らしさで、自分を含めて大抵の人は丸め込まれてしまうのだろうと納得していた。しかし、やはり彼女のすることに目を瞑れないほど怒る人だっているかもしれない。なんてわがままなんだ、期待させておいてふざけるな、って怒りたくなる気持ちも分からないことはないし。恨みを買われても仕方ないよなと思う。ただ、それで彼女に危害が及ぶとなると別の話で。とにかく安否を確認するために彼女の名前を呼び続ける。
「あかねちゃん、どうしたの?なんかあった?大丈夫?あかねちゃん?」
そんなふうに声かけを繰り返していると向こうから小さい返答が返ってきた。紛れもなくあかねちゃんの「うるさい」といういつもの調子の言葉。緊急事態では無さそうだと理解してほっとすると同時に、うるさいの後に鼻を啜るような声が聞こえて疑問を持つ。
「…あかねちゃん、泣いてるの?」
よく考えてみたら先ほどの「うるさい」は少し低く掠れた声だった気がするし、薄く聞こえる雑音に先ほどのような鼻を啜る音も聞こえる。少し間があった後に「…泣かないよ。」といういつもより落ちたトーンの声が聞こえた。泣いてるじゃん。いや、通話は音声だけだし、彼女の赤い鼻も涙で濡れた目も見ていないのだから、泣いていると断定することはできないけど。泣いてないと否定するのではなく、泣かないよと自分に言い聞かせているようにも思えた。
「どうかした?」
今までこんなにも彼女が話さない電話が無かったから若干戸惑っているものの、いつも通りを装って優しく声を出す。そして彼女の他愛もない話を聞いて。徐々にいつも通り話すようになって、笑うようになって、安心して眠りにつくまで、コーヒーをお供にしながら相槌を打つのだ。
太陽のような
彼は、まさに太陽のような人。明るくて、居心地が良くて、そこにいるだけで周りの人はみんな暖かくて幸せになってしまう。そんな彼はみんなを惹きつけて輪の中心で綺麗に微笑む。私はそんな彼を遠くから見つめているだけで良い。宇宙に漂う名もない惑星となって、下手に近づかず、彼の光をこっそりと盗み見ているだけで幸せなのだ。
あの子は、まさに月のような人。穏やかで、優しくて、毎日姿を変えているように見えながらもそこに確かに在る。光を浴びると、とても綺麗で。つい絡みに行ってしまうけど、なぜか怯えられていてすぐに引っ込んでしまう。嫌われてはないはずなんだけど。あぁ、俺はそんなあの子をずっと側に置いてその綺麗さを照らしていたい。自分がよく褒められるその光を、あの子だけに浴びせ続けて輝いているのを一番近くで見ていたい。それが一番の幸せなのだ。
0からの
「や、久しぶり……はは、なんか変な感じ。」
何やねん、それ。あの頃と変わらないその少し厚めの唇は気まずそうに言葉を紡いだ。ムッとした感情を全面に顔に出すと彼は困ったように眉をハの字にして笑った。そう、この笑顔が好きやったなぁと思った。自分の我儘に付き合ってくれる優しい笑顔。いや、別にこっちは今も好きなんやけど。だからこそ、他人行儀というか何とも気まずい空気に腹を立てているのを分かってほしいのだ。まるであの頃の関係値が無かったかのように、0に戻ってしまったかのように振る舞われたらそりゃ腹も立つだろう。
年月としてはおおよそ二年にも満たないぐらいの日数で、人が大きく変化するにしてはまだ足りないぐらいの短い時間。それでも会えない時間を嘆いてしまうぐらいに自分にとっては長い期間。憂さ晴らしに始めたジム通いで手に入れた過去最低体重も、わざわざレッスンにまで行って変えたメイクもやっと見せてあげることができた。少し歳は重ねたけど、あの時の自分よりもだいぶ見かけは良くなったやろう。ほら、早く褒めてぇや。
「会うとは思わなかったなぁ。」
何やねん、そっちは会いたくなかったん?
「何年振りだっけ、えーと三年とか?」
二年や、覚えとけ。そんな興味無いんか。
「あれから元気だった?」
おかげさまでしばらく体調崩したわ。そっちはだいぶ健康そうやなあ?
「へへ、良かった。その癖変わってなくて。」
はぁ?
「なんか文句あると眉間に皺寄せてこっち睨んでくる癖。」
そんなんしてへんし。
「ま、無意識なのかもしれないけど。最初は怖くてさ。近づけねーなんて思っててさ。」
何でそんなん言われなあかんのん?
「でも、付き合ってから…いや、それよりも前か。その癖もかわいくみえちゃってさ。好きだったんだよね。」
…ふーん。
「変わってたら寂しいなって、勝手に思っちゃった。」
別にええけど。
「だって、前も綺麗だったけどさ、もっと綺麗になってさ。」
おう、よう分かっとるやん。
「もう俺のことなんか覚えてないと思ってた。」
何を言うとるん?
こいつはそういうやつだった。超がつくほどの自己肯定感の低さと、不器用さ。あんなにも好きだと、こちらが好きなお前を否定するなと伝え続けてきたのに。少しずつ自信を持たせていたあの期間と少しだけ成長したと思っていたこいつの自尊心はどこへいった。それすらも0に戻ってんのか。
「ありがとうね。覚えててくれて。」
だから、そんなんは当たり前やろ。
「嬉しかったなあ。久々に会えて。」
なぁ、何なん。何、また、離れようとしてんの?
「じゃあ、元気でね…「なあ!!!!!!」
思いの外自分の声が大きく響いて驚いた。でも、この機を逃してしまってはこちらも生きていけないのだ。必死にだってならせてくれ。0からでいい。あの頃のことを忘れていたっていい。もう一度、伝えさせて欲しい。自分がいつだって、今だって、大好きな、目の前の不器用な人のことを。優しい人のことを。かっこいい人のことを。忘れさせてくれない人のことを。何よりも愛おしい人を。
きっと、適当に入ったコーヒーショップでは語り足りひんから、まだまだ時間作ってもらうからな。これから自分の一生をかけて、伝えさせて欲しい。これを最後の我儘にするから、いつもみたいに困った笑顔で頷いてくれへん?そしたら、また0からよろしく。
待ってて
なぁ。そっちが「待っててほしい」言うからこうやってお利口にして待ってんねんで?なぁ。これ、いつまでなん?ため息と共に吐いた煙は空気を苦く変えて消える。癖になってやめられなくなった煙草も電子に変わるぐらい年月が経った。きっと目には見えないけど肺も色が変わってるやろう。十年。いや、十…何年やろ。数えるのもめんどくさくなるぐらいには変わってんねん。なぁ。年号だって変わったわ。こんな滅多にないことでさえ起こるぐらいには時間経ってんねん。なぁ。携帯だって何回変わってん?こちとら全然更新されへんトーク画面引き継ぐために色々頑張ってんねんで?
なぁ、と声をかける前に今日も金色のアルコールを流し込む。催促したらまた困らせんのかな思て余裕ぶってニコニコしてるのあと何年続けたらいい?あんまり嬉しくない笑い皺も刻まれるぐらいには俺も老いてきたで?なぁ。俺が犬ならどうしててん?十何年なんて、犬にとっては時間軸が違うねんで?「待て」されすぎてだんだん弱ってくの放っとかれへんやろ?なぁ、じゃあ、なんでこんなに待たされてんの?犬には程遠いでかい人間やから?人間だってこんな待たされたら、さすがにくたびれるて。一度堰を切ってしまえば止まらない想いを、何年切らんように頑張ってると思う?
待っててなんて無責任やんな。あ、せめて番号札でも出してくれん?いや、こんなに待たされて一番ちゃうかったらさすがにへこむけど。何番目でもいいから、最後は自分のとこに来たらいい、なんてそんな謙虚な考えはできひんねん。ごめんな。好きやねんもん。絶対一番が良い。それか、あれか。最近はアプリとかサイトであなたは何番目で何分ほどお待ちくださいって出るよな。ほら、病院とかでも何番前にはもう着いといてくださいね〜言うやつ。いや、別に他のとこに行きたいわけちゃうで。あと何年って分かったら、それまで生きようって思えるやん?いや、こんなんであと五十年とか言われたらどうしよ。そんなに待たせて、どんな準備してくれてんのやろう。ハードル上がってんで?ほら、今ならまだ大丈夫やから。なぁ。ICOCA押し当ててちゃんと音鳴るか確認する前に出ようとして引っ掛かるぐらい、何回押したって変わらんって分かってるけど早なる気がして横断歩道のボタンを連打するぐらい、せっかちな自分がこんなに待ってるんやから。いい加減この関係変えさせてくれへん?