雨音につつまれて
傘が弾き返す雨音につつまれて、ヘッドホンの中の音が負けていることに軽く舌打ち。雨が降るというだけで外に出るのは億劫だし、それがバイトとなれば尚更。雨だといつも暇なバイトの時間がより長く感じる。ため息をつきながら花を愛でては掃除でもして時間を潰す。「今日はもう閉めようか。」なんていう個人店すぎる自由な言葉に頷き、叔父さんと一緒に片付けを始めた頃、店の前に人影。不安そうな顔つきをした常連さんが中を伺うようにしていたから慌てて出ていく。
「川崎さん。いらっしゃいませ。」
「あ、お取り込み中ですか…?」
「いや、今日は雨だし人が来なくて、叔父さ…店長が、早めに閉めちゃおうかって。でも川崎さんがいらっしゃってくれるのは嬉しいですしありがたいので。ごゆっくりご覧ください。」
そう。来てくれるのが嬉しいなんて限りなく建前のように聞こえるけどこれは本心だ。川崎さん。自分が唯一バイト先で楽しみにしている人。普通こんなタイミングの来店、ほとんどの人が嫌に決まってるけど川崎さんなら良い。むしろ顔を見れただけでも満足なのだ。この感情を好きだとか恋だとか簡単な言葉にまとめる気はないし、その先にあるような欲に直結させたくない。今はただ、もっと話したいとか時間を共有したいとか、ちょっと仲良くなりたいだけ。
「あ!そんなそんな、急に時間が空いて暇だったのでちょっと覗こうと思っただけで、今日は特に目当てのものとかもなくて…だから大丈夫です。」
「いやいや、どうぞ見ていってください!」
「や、本当に申し訳ないので。」
いや普通に考えたらそりゃ遠慮するか。もう閉めようと思ってるのに自分のために開けてもらうのは申し訳ないと思っちゃう人だ。自分はこの人の前で何を全部正直に話してしまったんだ。連絡先を交換したという事実でちょっとだけ距離が近づいたなんて浮かれてたから、店員としての対応として最悪な対応取っちゃった。
「いや!本当に今日は帰ります。どっかカフェとか行くんで。また来週来るので。」
なんて遠慮しながら店を出ようとする川崎さん。申し訳なさそうにずっと首を横に振っている。ここまで言っているのに無理して引き留めるのもなと思い出した時、ふと一つの考えが浮かんだ。都合よく叔父さんは裏で作業をしていたので店頭には今二人きり。
「…わかりました。じゃあ、あの…川崎さんが行かれるカフェ、自分も行っていいですか。」
「…え?!?!?!」
雨音をも突き出るほど大きな声で驚いた川崎さんは顔を真っ赤にした。叔父さんが驚いて出てきたらどうしようと思ったけど、気づかずに裏で作業しているようだったのでほっと胸を撫で下ろした。言葉の意味を理解した川崎さんはみるみるうちに顔も耳も赤く染めたようにしながら言葉にならない言葉を言おうと口をぱくぱくさせている。悪くない反応だし同じような気持ちでいてくれているんだろうけど、ちょっとだけからかってみようと思った。
「あの…嫌なら全然。すみません、こんな変なこと言い出してしまって。」
「や、違います!あの、びっくりしただけで、その…ほんと、あの…嬉しいです…」
小さくなってきた雨音にも負けそうなくらいの声量で、絞り出すように言葉を紡ぐこの人を見て、ああ、本当にかわいいなと思った。
どうしてこの世界は
どうしてこの世界は、こうもあなたにとって生きづらいのか。綺麗な顔に似合わない渋くて冷たい煙を吸い込む君は、いつも喫煙所が無いと嘆いている。せめて、私の家でだけは思う存分吸って欲しい。
君と歩いた道
君と歩いた道はもう草が生い茂っていて通ることはできないし、道のない道を進んでいけるほどまっすぐな心の持ち主ではなくなってしまった。ヒールの汚れを気にするような女になってごめんね。それでも、まだ君はその白だったとは思えない色のスニーカーで好きな道を歩いていてほしいと思うよ。
夢見る少女のように
私がまだ現実を見るよりも夢を見る少女だった頃、白馬に乗った王子様のエスコートを本気で待っていた。いつしかそんな理想が打ち砕かれて、初恋がけちょんけちょんに終わった時、もう何にも希望を抱かずに恋愛を諦めた。男性不信が高じて決めた女子校で、圧の強い女子たちにあれよあれよというまに王子ポジを割り振られていつのまにか自分がエスコートしなければならない側に立たされていた。いやだ、ドレスを着たい。王子になんてなりたくない。そうして、王子にも姫にもなれずに働いていた。良いことばかりではないし、常に気を張っているのは疲れるが、多くの人にそのままで良いと認められるのが嬉しかった。ああ、幸せだなと思っていた時に出会ってしまった。その人は「そもそも馬乗れないし、王子になんてなれないけどいいの?」と不思議そうにしていた。だけど良いのだ。白馬に乗っていなくたって、サーベルを持っていなくたって、この人の横にいる私は姫のように幸せな顔をしているだろうから。
さあ行こう
時間が進むのが怖かった。今が、過去が、好きなだけにこの好きな時間がどんどん終わりゆくのが怖かった。大好きな人と当たり前のように笑っていても、ふとこの時間もあと少しだという現実が顔を出す。そのことをみんなもわかっているのに、わかっていないふりをしてまた笑う。自分にはどうしてもそれができなかった。どれほど泣き虫だとからかわれようが涙が出るのは自分で止められないから仕方がない。でもそのせいでみんなを悲しい顔にはさせたくない。みんなで楽しんでいたカラオケを1人ふとメイクを直すふりをして抜け出してトイレの鏡の前で涙でいっぱいの自分の姿を見る。みんながいないところで全ての感情を出しきって、何事もなかったように戻ろうとしていた。なのに、なんで来るんだ。
「…わかるで。うちも卒業嫌やもん。」
泣いている姿を見て驚くこともせずに、涙と色んなメイクが混ざった私を白のカッターシャツで抱きとめようとするものだから、必死で抵抗した。彼女はそんなことも気にせずに「あとであんたのカーディガン貸して?そしたら隠れるし気にせんといて。」と笑った。彼女の胸に飛び込んでまた泣いた。彼女も泣いていた。2人でひとしきり泣いてから、「最悪やぁラメ取れた」とメイクを直す彼女を見ていた。
「何ぼーっとしてんの。あんたもメイク直すんやで?」
「えっ」
「みんなの前で泣いたん丸わかりにすんの嫌やったから一人でここおったんやろ?ほら、ポーチ貸して。うちが直したる。」
貸してと言う割にやや強引にはぎ取ってくる彼女は泣いたのが嘘のように綺麗ないつもの濃いメイクに戻っていた。
「やだよ。けばくなんじゃん。」
「はぁ?けばないし、かわいいもん。あんたが普段うっすいメイクしてるだけやろ。」
「ちゃうって!あんたらみたいなギャルに合わせてたら私の顔なくなるもん。」
「もー、色々うっさいわ。ほら、こっち来ぃ!」
強引に向かい合わされてぼふぼふとパフを叩きつけられるのでもう観念して抵抗は止めた。口調はきついのに意外と手元が繊細なところが彼女らしいなぁと思いながら数分経つ。
「よし、おっけ。さあ行こ!早よ戻ってここおった分取り返すぐらい歌うで!」
いつもより何十倍もギラギラとした顔が鏡の前にうつるのを見て笑みが溢れる。
「ちょ、濃すぎひん?てか待ってよー!置いてかんといて!」
私のカーディガンを嬉しそうに羽織りながら部屋まで早く歩く彼女の後を追いかけた。