水たまりに映る空
雨はかろうじて止んだものの、水たまりに映る空はまだ雲でグレーに染まっていた。雨で一層トーンを落としたアスファルトのそこかしこにある水たまりを避けて家に帰っていた。するともう止んだのに大げさなカッパを羽織った彼が自転車で自分の横を過ぎ去った。
「お先!」
もう止んでいることも気づいていなそうな彼の背中を微笑みながら見送った。
恋か、愛か、それとも
恋か、愛か、それともただの友情か。とにかく仲は良いと自負している。サークルに来たら当たり前のように私の隣の席を陣取る彼。整った顔立ちをしているその人は、大人しい性格であまり輪の中心に入ってこないのに反して、いつもどこか個性的で少し派手な服装をしている。私が絡んでいくとめんどくさそうにしているのに、他の人と話していると面白くなさそうな顔をして端に収まっているのがかわいかったのだ。私だって最初はただの友達だと思っていたのに、ただの友達として扱われているにしては特別な対応が多いことに気づいてしまったのだ。無意味なLINEは嫌いだと言っていたのに私の他愛もないメッセージにいちいち反応してくれる彼にある種の希望を持っていた。そんな中、迎えた私の誕生日。彼からのプレゼントは花束だった。
「花束なんてもらったことないんだけど」なんて笑いながらも綺麗なその重みを噛み締めた。プレゼントに花束なんて、これはもう本命ではないか、両思いなんじゃないかなんて勇気を出そうとした時だった。
「あれ、またあの花屋行ったの?好きだね〜。愛しのあの子には会えたの?」
「…別に、違うし!」
彼はからかっている同級生の言葉を聞いて、整った顔立ちを真っ赤に染めていた。何それ。話を聞くと、彼は前に行った花屋の店員に一目惚れをして通い詰めているらしい。え、何それ。私とはもう1年以上の付き合いなのに、ここ1ヶ月ぐらいで出会った人に負けたんだ。あー、一目惚れって…しかも私の誕生日を思った花束じゃなくて、その子に会うための花束だったなんて…はは、うける。だるーい。乾いた笑いは真っ赤な彼の耳には届かなかったようだ。
家に帰って綺麗な花束を机の上に置く。行き場のない怒りを花にぶつけるほど私は出来損ないではない。でもドライフラワーにしてずっと飾っておくには心の余裕が足りない。彼が花屋に行くことになったきっかけは3月のサークルの先輩の卒業式。花束の用意は1年に任されたから適当にじゃんけんで決めて彼が行くことになった。負け残っていたのは私と彼の2人。最後に私がチョキを出していたら買いに行くのは私の役目だった。ああ、なんで。私が負けていたら、こんなことにはならなかったのに。もっと上手くことが運んで、花束はもらわなくとももっと欲しかったものをくれる関係性になっていたかもしれないのに。花から目を背けるようにカラコンを外して乾いた目を労った。
約束だよ
高校卒業してもずっとずっとうちらは親友だからね!約束だよ!あと、彼氏なんて作んないで!抜け駆けは許さないから!!
新しい進路に進む前の最後の日、みんなで泣いて笑ってそんなことを約束して解散した。あれから何年だろう。
「けーこがあんなこと言い出すからうちら誰もできないんでしょ。」
「みんな律儀に守ってくれると思わなかったんだもーん。でも嬉しいじゃん!」
「確かにみんな予定合わせやすいしね。」
「そのノリ、せめて適齢期入るまでにはやめて欲しかったわ…」
「うるさい、守ったのは自分たちでしょ?本当に最高なんだから。」
「守ったというか、何も無かっただけというか…」
「もううちら、まあまあ大きめの子どもいてもおかしくない年でしょ。だってあの委員長の子も今年高校受験だって。」
「ひぇ…考えるのやめましょ。」
「そうね。」
傘の中の秘密
人を寄せ付けないようなどことなく壁のある雰囲気のはやと先輩。必要以上に人と関わろうとしないのに先輩の周りはいつも騒がしい。だからこそ先輩のクールさが引き立つのだが。飲み会にだってあんまり参加しないのにみんなの輪に入るのが上手くて、ベースも上手い。音楽が好きでよくヘッドホンをつけているはやと先輩。ヘッドホンをつけるのに邪魔だし、バイト先でお客さんにすごい目で見られるからピアスはいつもつけないと言っていた。「どこでバイトしてるんですか」と聞いたら「バカにされるから教えない」と先輩は笑った。普段はベースを弾く真剣な表情、音楽を聴きながらぼーっと歩いている表情筋ゼロの先輩しか見ていなかったもんだから、不意に見た優しい微笑みがなぜか脳裏に焼き付いて離れなかった。ピアスは穴が塞がらない程度に家で着けているというのを聞いてああ先輩らしいななんて思っている時にはもう先輩は帰る支度をしていた。私も急いで楽器を片して部室を出た。窓の外に目をやるとその日は避けようが無いくらいの雨。雨の日は憂鬱だけど、今日は先輩と話せたからなんて良い気分で帰れそうだと校舎を出た時、渡り廊下の先の屋根の下で外に手を差し出している先輩を見た。ヘッドホンは耳につけずに首にかけたまま、何かを考えるように雨で手を濡らしていた。そこで今日という日に一番必要な持ち物を先輩が持っていないのに気づいた。あぁ、どうしよう。声をかけるのなんていつも通りのはずなのに、すごく緊張する。
「先輩傘無いんですか?…よかったら、入っていきます?」
「ん?んー……」
先輩は少し考え込むように私と雨を見た後に声を上げた。
「とりあえずいいわ。走って帰るし。」
そう言ってヘッドホンをリュックにしまうと私の返事も待たずに走っていってしまった。いつも音楽を聴きながらゆっくり歩いている先輩が走っているのを初めて見た。そんなに私と傘を共有するのが嫌だったのだろうか。これでも結構勇気を出したのに。相合傘なんて目立つようなこと本当は嫌いなのに、でもはやと先輩なら良いかと思ったのは事実で、だから声をかけた。1人雨の中、家に帰る道で、覚えたてのアイラインが少し滲んだのは傘の中の秘密。
雨上がり
ただあの人だけを待っている。先々週の水曜日に傘を貸してから会っていないあの人。花屋に珍しい常連のお客さんで、年は多分自分と同じぐらい。接客した時の反応とかが良い人そうで、なんとなく仲良くなりたいとは思っていたけど、何かを間違えて来なくなってしまうのが怖かった。自分は結構見た目と違ってがっかりされてしまうことが多いから。花屋で働いているから穏やかそうだとか爽やかだとかそんなのは幻想だ。おれだって叔父が店長じゃなかったら花屋でバイトなんてしていない。はぁ、傘を貸すなんていう踏み込んだ行動、結構勇気出したんだけどな…あー、何か間違えてしまっただろうか。借りパクしていくような人じゃないんだよな...床に落ちている葉を拾いながらそんなことを思っていた時だった。
「あ...いた...良かった......」
いつもより余裕なさげに走って現れたその人は安堵の表情を浮かべていた。良かった、嫌われて来なくなったとかいうわけではなさそう。
「川崎さんこんにちは。大丈夫ですか。走られてきたんですか。」
「あ、えと...あの、傘返したくて。先週の水曜も土曜も日曜も来たんですけどいらっしゃらなくて...店長さんには内緒って言われてたし渡しておけなくて...」
まだ息も整わない中、早口でそう話す川崎さん。別に叔父さんに返しといてくれても良かったが、自分に話しかけてもらえるのを期待して内緒なんていう口実をつけてしまった。結果それが川崎さんを苦しめてしまっていたらしい。申し訳ない。
「先週は学校の関係でいつもと違う勤務で月曜と木曜と金曜の午後に入ってたんです。」
「あ、そうだったんですね…月曜とかに行けばよかった。」
「ご足労かけて申し訳ないです。」
「あぁ、いえ!全然いいんです。傘貸していただいただけでありがたいので。というか、むしろ土曜日結構強めの雨降ったじゃないですか。あさん雨大丈夫かなと思ってて…」
「あぁ…大丈夫ですよ。」
土曜日、サークルの練習終わりに外を見ると結構な雨が降っていた。こんな雨だしさすがにベースは持って帰れないなと部室に置かせてもらって帰ろうとしていた時のこと。
「先輩傘無いんですか?…よかったら、入っていきます?」
「ん?んー……」
川崎さん、傘返しに来てくれるのかな。特にこだわりもないし傘なんて返ってこなくても別にいいけど…あれから結構会ってないけどもしかしてなんか嫌われた?はぁ…もうわかんない。
「とりあえずいいわ。走って帰るし。」
後輩に入れてもらっても良かったし、生協で傘を買って帰っても良かったのに走ったのは、返してもらって会話が弾んだ後に充実感を持ってまたあの傘をさしたいと思ったから。川崎さんに傘を貸した日に話せたことの高揚感でにやけながら走って帰ったのを思い出してその気分を味わいながら帰った。まだ嫌われてない、また会えると思って雨の日も傘を使わなかった。
「あの、それでこの…お礼といってはなんですけど…これ。」
「え、なんですかこれ。」
「…ハンドクリームです。あの、お花触ってばっかりだと手が荒れちゃうかなって…もっとなんか食べ物とか軽いのにしようかなと思ったんですけどアレルギーとかあったらどうしようと思って…」
自分は割と偏食だから食べ物じゃないのはありがたかった。川崎さんが差し出した紙袋はハンドクリームの有名なブランドのやつ。香りもきついのは苦手だけど無香料でああ良いなと思った。
「ありがとうございます。傘貸しただけなのにこんな大層なものを…」
「いや!すごくお世話になったので!」
「ありがとうございます。すごく嬉しいです。大事に使います。」
「ふふ、こちらこそありがとうございます。」
紙袋を大事に受け取って川崎さんと会話を交わす。ふといつものようにありがとうございますで会話が途切れそうになった時、頭の端にあった疑問が湧いてきた。
「そういや、なんで水曜と土曜と日曜にこようと思ってたんですか。」
そう問いかけたら川崎さんは途端に目を見開かせて「えっと」とか「いや」を連発して焦り出した。先週はイレギュラーだったけど普通はいつも自分が勤務している曜日であるこの三つ。確かに川崎さんはよく会うけど叔父さんも認知してたから他の曜日も訪れているのだろう。さっきは月曜に来れば良かったって呟いてたし月曜は予定が空いていたっていうことだろう。ならなぜ来なかった?行っても意味が無いと分かっていたからだ。一つの結論に辿り着いた時に無意識に口角が上がった。
「川崎さん、自分のいつものシフト知ってたんですね。」
「…すみません!あのそんなつもりじゃなかったんですけどどうしてもお会計の時シフト表が目に入っちゃって……あ、あのでも本当にそんなつもりじゃなくて!ストーカーとかじゃないです。」
もう泣き出しそうな勢いで顔を曇らせているからもうなんか面白く思えてきた。
「自分がいると思っていつも来てくれてたんですね。」
「はい…あの、でも本当にあの、あずまさんの接客が良いなと思って、そんな変な意味じゃなくて…」
それと同時に良かったと思った。嫌われてなくて。
「ふふ、大丈夫ですよ。そんなに焦らなくて。嬉しいです。」
「…あ、え、そ、そうですか。」
仕事の時にしか使わない優しい微笑み方をして向き合うとびっくりするぐらい赤くなっている顔がそこにあった。前まであんなに悩んでいた自分がばからしくなって声を上げた。
「実は自分も川崎さんが来るの待ってたんです。傘貸す前からずっと、仲良くなりたいなって…連絡先、交換しませんか。」